我々の社会では民主主義が前提となっています。選挙では一番票を獲得した人が投票するし、企業の株主総会における動議の判断も投票結果で是非が決まります。小学校や中学校では先生が「賛成の人は?」と聞き、手を挙げた数で「では、こうしましょう」と決めていたと思います。典型的な民主主義であります。
最近は民主主義をテーマにした報道も散見できますが日本での報道は基本的に民主主義を是とするものがほとんどであります。ところが、たしか本ブログでも当時コメントしたと思いますが、日経が20年10月に組んだ特集「パクスなき世界」の1回目で「民主主義、少数派に 豊かさ描けず危機増幅」と報じています。まずはこれをもう一度、振り返ってみたいと思います。
同記事は19年の調査で民主主義国家が87,非民主主義国家が92になったことをベースに展開しています。我々は民主主義が当たり前だと思っていますが、国家の数で行くと民主主義は選択されず、非民主主義が正しいという答えになり、地球儀ベースで多数決を取った場合、我々の考え方は間違っていることになります。オイオイ、何をばかなことを言っているのか、と言われるでしょうけれどこれが我々の習っている民主主義に照らし合わせると正論となってしまうのです。
では我々が信じる民主主義はそんなに居心地がよいのでしょうか?過去2回のアメリカの大統領選は特に拮抗しました。ほぼ半数の人は負けを認め否が応でも相手に従わねばいけないのです。僅差でも勝利することが正しいとするならば民主主義が必ずしも国家や国民を幸せにするわけではないということになります。ならばいっそのこと、過半数ではなく、7割を取得するまで繰り返し選挙をする方がよいのかもしれません。
会社という組織も比較的民主主義による決断が主であることはあります。部内で「コーヒーサーバーを業者から導入するので、コーヒー代として月に一人1000円の負担をお願いしたい」という判断があったとします。「私はコーヒー飲まないから反対です」という女性社員の声も大多数の男性社員がコーヒーを飲むから民主的に賛成になります。女性社員は飲まないのに1000円を払う羽目になります。そうすると「この職場は男性が多いからこういう判断になる。もっと女子社員を増やすべきだ」という気持ちが昂るかもしれません。
話をもう一歩進めましょう。日本で野党が不人気な理由を改めて考えてみました。週刊誌的な話題には過剰なまでに反応するけれど本当の政治イシューで野党が活躍した話はほとんど聞こえてきません。我々はこれをふがいない野党と考えてきました。事実、そうかもしれません。が、もう一つの考え方は自民党が中道右派からもう少し中道に寄ったとしたらどうでしょうか?つまり与党のポピュリズムにより与野党の差が無くなり、野党の存在感が薄れたという考え方です。
私はこの方が正しい気がするのです。最近の自民党は民意をくみ取ろうと必死。つまり、リーダーシップではなく、「国民へのすり寄り型の政治」と変貌したのです。頭を下げる菅総理をみてなるほど、と思ってくださる方もいるでしょう。
高度成長期の頃の首相らを思い出してください。非常に個性的であり、猪突猛進型が多かったのですが、今、そのタイプは「文春砲」であっさり砕け散る運命にあります。例えば安倍さんが50年前に首相をしていたら別の意味で歴史に残ったでしょう。時が悪かったのです。
では50年前と今、何が違うのでしょうか?もちろん、情報化もありますが、私は昔はもっと均一で単純な社会だったのに、今は複雑怪奇になったことで民主主義そのものが機能崩壊しつつあるのではないかという気がするのです。
例えば高度成長期に外国では日本人のことを「羊の群れ」と例えられたことがあります。ドブネズミ色のスーツに白のワイシャツ、地味なネクタイ姿のサラリーマンや行動パタンがほぼ同じの主婦層、小学校では集団教育など…は日本が極めて均一でわかりやすい形であり、時の首相や政権が目標を設定すれば必死でそこに向かっていったのです。だから池田内閣の所得倍増論も簡単に達成できたのです。習近平氏が2010年に掲げた2020年までにGDP倍増計画が達成できなかったのは中国の社会構造がもはや単純ではなくなった点は無視できないと考えます。
お断りしておきますが、私は民主主義が反対だと言っているわけではないのです。ただやみくもに過半数を「正」とする民主主義でよいのか、ということです。複雑化した社会における民主主義とは「最大公約数」でありなんの特徴も面白みもない没個性な社会しか生まれないのです。非民主主義の社会が増えた理由は国家の成長を考えたとき、最大公約数では無理であると判断した意思が背景にある点は無視はできないのでしょう。現在の民主主義のあり方は先進国が抱える重大な疾病なのかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年3月9日の記事より転載させていただきました。