黒坂岳央(くろさか たけを)です。
プレジデントオンラインに「夜中に甘いものが食べたい」三流は食べ、二流は我慢する、では一流は?という興味深い問いが掲載された。
人間が生きる上で「甘い食べ物」は必要不可欠でないケースが少なくない。ケーキやお菓子などは、栄養やカロリーの獲得という面では、健康を損なうデメリットが目立つ。内臓には不要だが、脳が欲しがる嗜好品である。
そんな「甘い食べ物」を「腹が減った真夜中」に対峙した時、その人の哲学的な姿勢が問われるという話だ。誰しも抗いがたき、脳の欲望とどう向き合うかで、その人の人生哲学が透けて見える気がしている。
4つの「枢要徳」
西洋中世の哲学者トマス・アクィナス(1225頃~1274)は、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」を参照しながら4つの「枢要徳」に整理している。
本稿のテーマであり、甘いものへの態度とは「節制」に関する問いである。そしてこの節制への態度によってその人の哲学性を問われることになるであろう。
三流は欲望に負け、二流は欲望を我慢する
まずもって甘いものへの欲望に負けてしまうのは、三流としての態度としている。ここで言う三流とは「社会の負け組」などという、他人を見下す薄っぺらい話のことではなく、あくまで哲学的成熟度としての話であることをお断りしておく。
記事のテーマでは、「夜中の空腹時に甘い食べ物に対峙した時の態度」としているが、これはあらゆる欲望に当てはめて考えることができるのではないだろうか。たとえば、冬の寒い朝に早起きをして活動をしなければいけないタイミングもその1つだろう。この場合、誰しも辛い寒い朝に、温かい布団から抜け出すことに苦慮した経験があるはずだ。人間は感情的に行動をして、論理的に言い訳を後付けする。三流は「やっぱり睡眠不足は良くないな」と言い訳をしながら二度寝を貪り、二流は「しんどいな」と苦痛に耐えながら起きるのだろう。
ここまではわかりやすい話だ。問題は一流がこうした欲望に対して、どういった態度を取るのか?ということだ。
一流は節制を楽しむ
同記事によると一流とそれ以外とをわける「差」とは、次の通りだとしている。
一言で言うと、「抑制ある人」は、いやいやながら欲望を我慢して押さえつけているのに対して、「節制ある人」は、節制ある在り方をしていることに喜びを感じている点にです。
つまり、一流は二流の段階である「欲望を我慢する」を経て、節制と上手に付き合う力を得るという話である。
件の真夜中の空腹の話でいえば、「本当は食べたい甘い食べ物」を我慢することで「節制をしたことで、健康を得ることができた」といった新たな喜びを獲得するというものだ。そしてこれは記事内には書かれていないが、「節制をできたことによる自信」を醸成することにもつながるだろう。
一流は節制を楽しむ、それによって本来求めていた目的を達成するだけでなく、欲望へのメンタルコントロールや、自信や喜びを取り戻すことができるのではないだろうか。
節制が人生をクリエイティブにする
筆者はこのことがよく分かるつもりだ。常に欲望の渦に身を任せ、放蕩を重ねる人生の喜びは忌憚のない言い方をするなら「浅い」のだ。
知人に専業の個人投資家がいる。この人物はすでに莫大な資産を築いているので、お金で買える世の中のあらゆるものを手に入れられる立場にあり、気の向かない労働などからは完全に開放されている。羨ましさを感じる人もいるかもしれないが、その実、本人としては「節制なき人生に面白さはない」という。巨万の富を得た最初の頃は、好きな時に海外旅行を楽しんだり、遊んでみたがすぐに飽きた。達成するべき目的のない人生は、あまりにも長すぎる。有り余る時間のせいで余計なことばかりを考えてしまい、鬱のような心理状態に陥ったというのだ。
今はそれまでの人生論や投資のノウハウを指導する立場で、忙しく過ごしている。あえて自分自身を制約のある環境に身を置くことで、クリエイティブな人生を取り戻したのだ。「やりたいことを集めて、今はとっても忙しくなった」と嬉しそうにいう。これも制約が人生をクリエイティブにした事例と言えるだろう。
筆者自身も放蕩を重ねた時期があったが、人生でこれほど辛い時はなかった。窓から覗く外界は忙しく動いているのに、自分ひとりだけが変化し続ける世界に取り残された心持ちとなり、不安に潰されそうになった。ワーカホリック自慢をするつもりはないのだが、日々忙しく動いて「あれもこれもやりたいが、残り時間でどうやりくりするのか?」という制約下で、クリエイティビティを最大限楽しむ面白さに取り憑かれている。
また、食事もそうだ。好きなものを好きなだけ欲望に任せて食べるのは、辛い人生になるだろう。健康を損なうだろうし、病気の不安も生まれる。第一、おいしいものはたまに食べるからおいしいのであって、毎日酒池肉林の生活が続けば誰しも苦痛でしかない。ちなみにこのことは、経済学における限界効用逓減の法則として説明が可能だ。
「欲望は我慢せよ」と思っている内は二流であり、一流は節制そのものを楽しむ。人生をクリエイティブに変えてくれ、楽しみつくすためのエッセンスが詰まった哲学的な問いだ。