オールド・メディアによる公文書危機報道への違和感:公文書危機報道を問う①

政策目的達成が第一

 森友・加計学園の騒動以来、朝日・毎日新聞などのオールド・メディアによる公文書危機報道が大規模に展開され、これに関する本がいくつか出版された。裁判もあったようだ。

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オールド・メディアが公文書危機報道を大規模に展開する理由は、控えめに言って彼らの理解でも公文書管理は単なる行政の細々とした事務の話ではなく行政全体の「記録」の話であり、何よりも「民主主義」という高次元の問題に抵触するという意識があるからだろう。例えば毎日新聞取材班が出版した「公文書危機 闇に葬られた記録」の帯文にある「現政権によってエスカレートする民主主義崩壊の実態に迫る。」という言葉はそれを如実に現わしている。問題意識が高いからだろうか、同著では政治家と官僚との「打ち合わせ記録」「レク資料」から私用メールや通信アプリ(LINEなど)にも言及している。後者にいたっては「公文書管理制度の『盲点』となっているのだ。」(1)とまで言う。表現のニュアンスから判断して毎日新聞取材班は政治家・公務員の私用メール及び通信アプリも保存し請求があれば開示せよと主張していると解釈してもよいだろう。

もっともこうしたオールド・メディアによる公文書危機報道には違和感が大きい。

具体的になんなのかというと彼らの言う公文書とは活字情報ばかりなのである。

公文書管理法第2条4項では公文書の定義として「電磁的記録」が挙げられているが、これは音声・映像データの非活字情報が含まれる。

公文書には非活字情報が含まれるという理解でオールド・メディアの公文書危機報道を読むと読者の方も筆者の違和感が理解できるのではないか。

例えば電話のやりとりはどうなのか。

毎日新聞取材班は私用アプリや通信アプリを「盲点」と呼ぶくらいだから電話のやりとりにも言及してもよいはずだが、特にしていない。私用アプリや通信アプリが「盲点」なら電話のやりとりだって「盲点」ではないか。

行政の活動の記録に強い関心を持ち「民主主義崩壊」といった大仰な表現を使う神経があるならば「役所の執務室の固定電話を常時、録音すべきである」くらいはすぐにでも主張できるのではないか。もちろん私用電話という「盲点」は依然、残るが執務室の固定電話を常時、録音すれば行政の活動は相当程度、記録化できる。ここまで想像を広げれば公文書管理の議論も一気に広がる。

音声・映像データも公文書に含まれるのだから、究極の公文書管理とは執務室の固定電話はもちろん、執務室に監視カメラ、盗聴器を設置すれば良い。「何を極端な…」と読者の方は思うかもしれないが、公文書にこだわるならば、記録にこだわるならばましてや「民主主義崩壊」とか大上段に語るならばここまで想像を広げるべきである。

執務室、職員用トイレ・更衣室にも監視カメラ、盗聴器の設置を想像してこそジャーナリズムである。

役所内に監視カメラ、盗聴器をくまなく設置すれば不正を企てる公務員は消滅するだろう。同時に皆公務員を辞めるだろう。公文書管理を徹底すると公務員の担い手がいなくなるのである。公文書管理を徹底すると行政サービスは消滅し記録を残すことすらできなくなる。

ここで筆者が主張したいことは公務員とは公文書を残すために働いているのではない。法で定められた政策目的を達成するために働いているということである。

行政を評価するにあたって最も重要なことは法で定められた政策目的をどこまで達成したかである。公文書の作成は政策目的達成のための手段に過ぎない。政策目的を無視した手続き論はなんの価値もない。

政治家との「打ち合わせ記録」「レク資料」を完全に残せとか私用メールや通信アプリも保存せよという主張は行政妨害に他ならない。

現在に責任を持つべきだ

オールド・メディアは「民主主義崩壊の実態に迫る」とか大上段な言説を並べるが、その関心は活字情報ばかりで非活字情報を無視しているから「記録を残す」というシンプルな観点から見ても不十分だし、なによりも行政が達成を目指す政策目的を無視しているから行政妨害の意味しかもたない。

公文書危機報道では後世の人間のために現在の我々は記録を残すべきだと主張されるが、現在の我々が後世の人間に残すものは記録だけではなく成果も含まれる。

成果とは成長した経済、黒字財政、持続可能な社会保障制度、充実した保育サービス、良好な治安、外敵に備える防衛力などである。

後世の人間に成果を残すためにも政策目的を無視した公文書管理の議論などあり得ない。公文書作成に労力が奪われて肝心の政策目的が達成されないなど本末転倒である。

思うに人間が過去を検証する動機は現在が苦境になったときではないだろうか。「なぜ、今の苦境があるのか」と疑問から発して過去を検証するのである。

だから現在の我々が後世の人間に果たす責任とは過去を顧みる必要がないほどの成果を残すことである。それは現在の課題に真摯に向き合うことと言い換えても良い。

注釈  毎日新聞取材班「公文書危機 闇に葬られた記録」50頁 毎日新聞出版 2020年