黒坂岳央(くろさか たけを)です。
東洋経済オンラインに19日、堀江貴文氏による「お金は爪切り。必要な時に使うだけの道具に過ぎない。お金を集めることに囚われてはいけない」という主張が掲載された。
まったく同感だ。お金は人生を豊かに生きるための「道具」に過ぎず、お金そのものが人生を幸せにしてくれる力はない。当たり前の話でありつつ、つい見落としがちだった気づきを提供してくれた良い主張だと思う。
「お金は爪切り」という主張
まずは「お金は爪切り」という話について取り上げたい。
「自分にとってお金は、爪切りと同じです。爪が伸びたら使います。必要なときに、持ち出す道具にすぎません。あなたは爪切りのことが好きですか? と聞かれたら、どうしますか?」
引用元:東洋経済オンライン「堀江貴文「お金は自分にとって爪切りと同じ」」
的確な表現だ。この記事では「爪切り」と評していたが、電球や自動車など、世に存在するあらゆる道具に代替できる話だ。電球は明るい日中には使う必要がないものだし、自動車も乗る時以外は単なる鉄の塊に過ぎない。道具とは、使う瞬間にだけ価値を帯び、それ以外の時間は眠りに落ちて再び使われる時を待ち続ける性質のものだ。だから使われない道具に価値はないのである。
そしてお金とは「価値交換という経済活動の流動性を高める」という目的で作られた道具である。太古の昔は貝殻だったが、現代では紙幣と硬貨を用いるようになった。ここで特別に留意するべき点として「そもそも、道具とは人間を豊かにするために、使われる目的を持って作られている」という点である。お金はまぎれもない道具だ。しかし、あくまで道具であるのだから、目的達成以外の場面では、お金も単なる物言わぬ紙や硬貨に過ぎないということになる。
道具は人間が使うものであって、人間は道具に使われるべきではないという本質がある。そういう意味で同氏の「お金は爪切り」という主張はその本質を一言で言い表した、優れたワーディングチョイスだと感じる。
評価経済社会では資金力より人間力
また、同氏は「お金持ちが必ずしも、人間的魅力に優れているとは限らない」という。確かにそうだ。お金がある人に集まるのは、大抵の場合がビジネス、経済的見返りを期待してのものだろう。「この人と一緒にいたら仕事がもらえる」「有力者と知り合える」といった見返りあってのものに過ぎず、本質的に人的魅力がなければ、お金の切れ目は縁の切れ目になってしまうだろう。会社で重役を務め、部下や同僚が集まっている人も、会社をやめてしまうと、いきなり誰も寄り付かなくなるという事例からも分かる話だ。
一方、お金を使った経験はその人の人的魅力を高めてくれる。「1億円貯金しました」という人より、「1億円をグルメに使いました」という人物がいれば、話を聞いてみたいのは後者だろう。1億円分もグルメ追求する人生はなかなかマネができないし、この人物からは面白い話がたくさん聞けそうだ。お金とは違って、魅力的な経験には課税されることはないし、その価値は一生残る。この点において「人的魅力を高める経験の本質的な価値」はお金より高いと言えるだろう。
上述の通り、お金は持つことではなく、使う時に意義が生まれる。せっかく使うなら、自分の魅力を高めるような使い方をするべきだ。お金はそれを実現するための道具にすぎない。それ故に使う予定もないお金を集める行為は、単に人生を浪費するだけであるという話である。
一般人にとってホリエモンのマネが難しい2つのポイント
以上の通り、堀江氏の主張は徹底して正論だと思う。だが、一般人にとっては同氏の生き方のマネが難しいと感じるポイントが2つあると感じた。これは批判ではなく、新たな視点を提供する意図を持って書いている。また、便宜上「一般人」としているが、ホリエモンレベルの起業家ではない人たちという意味であり、決して下に見るつもりではない(もちろん、筆者もその一般人の一人である)。
まず1つ目は人生をかけ、心底夢中になれるものを掴む難しさである。ホリエモンは「使う予定のない貯蓄は無意味」と言っている。これは裏を返せば「夢を叶えるのに使うお金は意義がある」という意味だ。実際、同氏は宇宙開発に資金を使っている。だが、そもそも喜んでお金を投じられるだけの、情熱的な夢を持つことは簡単なことではない。
世界的起業家は宇宙という新たなフロンティアを目指す、という不思議な共通点がある。否、起業活動そのものをフロンティア開拓の一環と考えれば、不思議ではないのかもしれない。イーロン・マスク氏、ジェフ・ベゾス氏、それから堀江貴文氏に前澤友作氏は全員起業家で宇宙を求めている。彼らはビジネス、または自己実現欲求の達成の一環として宇宙を目指しているのだろう。
もちろん、誰もが夢は持っている。だが、一般人にこのような大きな夢を、長期的に持ち続けることは容易ではない。世界的起業家との違いは、そのスケールとタイムスパンである。世界的起業家はまさしく人生丸ごとをベットしてその夢を追い続ける。だがこれはもはや素養の領域であり、人を選ぶ話だと思うのだ。有意義なお金の使い道が発見できず、気がつけば口座にお金が溜まっているという人も少なくないだろう。
そしてもう1つは「不安からの開放」の難しさである。日本人は不安を抱きやすい人の割合が高い、というデータが存在する。慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授・前野 隆司氏は東洋経済オンラインの記事で「不安を感じやすい、セロトニントランスポーター遺伝子・SS型を持つ日本人は65%を占めている」と主張している。不安そのものは、決してネガティブな要素だけではない。不安を払拭するために、綿密な計画性を持つことにつながるメリットもあるだろう。実際、日本人の多くは計画性、チームプレーが得意な気質傾向があると個人的に感じている。だが、同時に不安払拭のために、異様に不確実性を忌避する傾向がデータからも明らかになっている。
このように米国や欧州地域と比べて、日本人は資産の多くが日本円貯蓄へ偏っている。これは多くの現代人が日本円の壊滅的な価値の毀損を経験しておらず、「安心」を求める貯蓄性向の現れであろう。不安を感じやすいメンタリティは、ほぼ生まれつきの要素である。つまり変動値ではなく、固定値として捉えるべきパラメータだ。不安を払拭するために、お金を貯めることは固定値である不安から来ているものと仮定するなら、その開放はなかなかに困難であると感じるのだ。
お金は貯めることではなく、使うことに意義があるという問いにはハッとさせられる。ついつい忘れがちなその本質を思い出させてくれる話だ。