JASRAC訴訟、画期的判決で実質勝訴した音楽教室

JASRACの音楽教室からの使用料徴収方針に対して、ヤマハなどの音楽教室事業者(以下、「音楽教室」)がJASRACを徴収の権限がないとして訴えた事件。2020年2月の東京地裁判決では音楽教室が全面敗訴したが、3月18日の知財高裁判決では主張が一部認められた。認められたのは、7つある争点のうちで重要な争点である「争点2(音楽教室における演奏が「公衆」に対するものであるか)について」と争点3(音楽教室における演奏が「聞かせることを目的」とするものであるか)について」である。この2つの争点について、知財高裁は「教師による演奏」と「生徒による演奏」とに二分して、「生徒による演奏」部分にはJASRACに徴収の権限がないとした。

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判決は、「教師による演奏行為については、受託契約にもとづき教授義務を負う音楽教室事業者が行為主体となり、不特定の者として『公衆』に該当する生徒に対し、『聞かせることを目的』として行われるものというべきである」とした。

生徒による演奏は聞かせる目的の演奏ではない

一方、生徒による演奏行為については、以下のように判事した(「控訴人」は「音楽教室」と言い換えた)。

まず、演奏行為の本質については、「教師に聞かせようとして行われるものと解するのが相当で、他の生徒や自らに『聞かせる目的』での演奏とはいえない」とした。

演奏主体については以下のように続けた。

音楽教室における生徒の演奏の本質は、あくまで教師に演奏を聞かせ、指導を受けること自体にあるというべきであり、音楽教室による楽曲の選定、楽器、設備等の提供、設置は、個別の取り決めに基づく副次的な準備行為、環境整備にすぎず、教師が音楽教室の管理支配下にあることの考慮事情の一つにはなるとしても音楽教室の顧客たる生徒が音楽教室の管理支配下にあることを示すものではなく、いわんや生徒の演奏それ自体に対する直接な関与を示す事情とはいえない。(中略)。

以上によれば、生徒は、専ら自らの演奏技術等の向上のために任意かつ自主的に演奏を行っており、音楽教室は、その演奏の対象、方法について一定の準備行為や環境整備をしているとはいえても、教授を受けるための演奏行為の本質からみて、生徒がした演奏を音楽教室がした演奏とみることは困難といわざるを得ず、生徒がした演奏の主体は、生徒であると言うべきである。

地裁判決で音楽教室は、争った7つの争点すべてで敗訴した。知財高裁判決でも5つの争点で主張が認められなかったが、最も重要な争点である争点2と争点3で、生徒による演奏については主張が認められた。

社会通念から乖離した判例と決別した画期的判決

自身も音楽教室に通った経験があり、音楽ビジネスにも携わっている安藤和宏東洋大教授は下記のとおり、JASRAC にとって実質敗訴とも言える内容だとしている(2021年3月19日、産経新聞)。

音楽教室の生徒は受講料を支払ってレッスンを受けており、演奏する義務があるわけではない。判決は生徒の演奏の目的や対象を重視し、生徒の演奏には徴収権限が及ばないとした。音楽教室の実態に即した判決であり、評価できる。JASRACは使用料を年間受講料収入の2.5%としているが、これは教師と生徒双方の使用料を含んでいる。レッスンで主に演奏するのは生徒であり、今回の判決が確定すれば、2.5%の前提も覆る。 JASRAC にとって実質敗訴とも言える内容だろう。

筆者も地裁判決後に投稿した「音楽教室 vs JASRAC事件判決文の4つの争点について」で以下のように結んだ。

以上、カラオケスナックでの客の歌唱もカラオケ店主による演奏であるとした1988年のクラブキャッツアイ事件最高裁判決、ダンス教室での一人の受講者のみを対象とした音楽の再生も誰でも受講者になれるため公衆に対する演奏であるとした2004年の社交ダンス教室事件名古屋高裁判決、一人カラオケも聞かせるための演奏であるとした2009年のカラオケボックスビッグエコー事件東京高裁判決など昔の判決が、今の時代の社会通念に合っているかの疑問には答えず、これらの判例を踏襲する判決となった。

特にクラブキャッツアイ事件判決は、最高裁判決であることもあって、その後も踏襲する下級審判決が多く、カラオケ法理ともよばれるようになった。JASRACもこの判決を適用すべきだと主張したが、知財高裁は以下のとおり退けた。

カラオケ店における客の歌唱においては、同店によるカラオケ室の設営やカラオケ設備の設置は、一般的な歌唱のための単なる準備行為は環境整備にとどまらず、カラオケ歌唱という行為の本質からみて、これなくしてはカラオケ店における歌唱自体が成り立ち得ないものであるから、本件とはその性質を大きく異にするものであるものというべきである。

以上まとめると、判決は、「生徒による演奏を教師に聞かせようとして行われるものと解するのが相当で、他の生徒や自らに『聞かせる目的』での演奏とはいえず、同じく事業者を演奏の主体としつつも、他の同室者や客自らに聞かせる目的で歌唱がされるカラオケ店(ボックス)における歌唱等とは、事例が異なる」として、クラブキャッツアイ判決やカラオケボックスビッグエコー事件判決など過去の判例と決別した点で画期的判決といえる。

城所岩生