JASRACの音楽教室からの使用料徴収方針に対して、音楽教室事業者(以下、「原告ら」)が徴収権がないとしてJASRACを訴えた訴訟で、東京地裁(以下、「地裁」)は2月28日、原告らの請求を棄却した。以下、88ページに上る判決文の概要を紹介する。なお、判決文は音楽教育を守る会のHPにアップされている。7つある争点のうち特に重要な4つの争点について、以下、判決文からの抜粋および筆者なりの要約に必要によりコメントを加える。
①音楽教室における演奏は「公衆」に対するものか
地裁はまず「著作物の利用主体の判断基準」を示した。
原告らの音楽教室における音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、利用される著作物の選定方法、著作物の利用方法・態様、著作物の利用への関与の内容・程度、著作物の利用に必要な施設・設備の提供等の諸要素を考慮し、当該演奏の実現にとって枢要な行為がその管理・支配下において行われているか否かによって判断するのが相当である(クラブキャッツアイ事件最高裁判決、ロクラクII事件最高裁判決参照)。
クラブキャッツアイ事件最高裁判決はカラオケスナックでの客の歌唱もカラオケ店主による演奏であるとした1988年の判決。最高裁は、①客の歌唱を管理し、②営業上の利益増大を意図した、ことを条件に店主に責任を負わせた。その後、カラオケ法理とよばれ、インターネット関連の新規サービスを提供する事業者に広く適用されるようになった。
最高裁がカラオケ法理を再検討したのが、2011年のロクラクII事件判決。同時に判断したまねきTV事件判決とともに、知財高裁は事業者の責任を認めなかったため、カラオケ法理の呪縛から解かれる日も近いのではとの期待を抱かせたが、両事件とも最高裁は知財高裁判決を覆した。
地裁は演奏の実現に枢要な行為である課題曲の選定は、音楽教室事業者である原告らの作成したレパートリー集の中から選定されることから、原告らの管理・支配が及んでいるということができるとした。
②生徒は公衆にあたるか
著作権法22条は「著作権者は、その著作物を、公衆に直接・・・聞かせることを目的として、・・・演奏する権利を専有する。」と規定しているところ、「公衆」の意義について、同法2条5項は「特定かつ特定かつ多数の者を含む」と定めているので、同法22条に基づき演奏権について著作権者の権利が及ばないのは、演奏の対象が「特定かつ少数の者」の場合ということになる。
JASRACは2004年の社交ダンス教室事件名古屋高裁判決を引用しつつ次のように主張した。
ダンス教室の人数及び本件各施設の規模という人的、物的条件が許容する限り、何らかの資格や関係を有しない顧客を受講者として迎え入れることができ、このような受講生に対する社交ダンス指導に不可欠な音楽著作物の再生は、組織的、継続的に行われるものなので、社会通念上、不特定かつ多数に対するもの、すなわち、公衆に対するものと評価するのが相当である。」と判示しているが、同判決に示された考え方を本件にあてはめると、原告らのサービスを受ける生徒は不特定かつ多数のものであるということができる。
地裁はこれを認めた。
③音楽教室における演奏が聞かせることを目的とするものであるか
原告らは、カラオケボックスにおいて客は表現として歌唱するので、歌唱している客自身が歌唱を聞く立場にあるので、音楽教室のレッスンにおいては、生徒は教師に対して演奏するのであり、表現として演奏するものでもないから、生徒自身が聞く立場にあるということはできないと主張するが、カラオケボックスの客も音楽教室の生徒もいずれも公衆に当たる者であり、自らが歌唱又は演奏すると同時に、その歌唱又は演奏を聞く立場にある点で実質的な差異はないというべきである。
2009年のカラオケボックスビッグエコー事件東京高裁判決は、カラオケボックスでの一人カラオケも聞くための演奏であるとした。音楽教室のレッスンでは生徒は教師に対して演奏するので、生徒自身が聞く立場にないと原告らは主張したが、地裁はカラオケボックスの客と違わないとした。
原告らは、「聞かせることを目的」とする著作権法22条の解釈に当たっては、同法30条の4第1号の規定も参照しつつ、実質的に権利を及ぼすべき利用ということができるかという観点から、著作物に表現された思想又は感情の享受を目的とする利用態様であるかどうかを考慮すべきであると主張する。
30条の4第1号は裁判中の2018年の著作権法改正で新設された条文で、概略以下のように定める(詳細は拙著「音楽はどこへ消えたか? 2019改正著作権法で見えたJASRACと音楽教室問題」参照)。
著作物は、次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には、その必要と認められる限度において、利用することができる。ただし、著作権者の利益を不当に害する場合はこの限りでない。
① 著作物利用に係る技術開発・実用化の試験
裁判所は、22条と30条の4第1号とは、その目的、趣旨、規律内容を異にする条項であるとした上で、以下のように判示した。
著作権法30条の4の立法担当者の解説においては、漫画の作画技術を身に付けさせることを目的として、民間のカルチャーセンター教室で購入した漫画を手本として受講者が模写する行為につき、その主たる目的が作画技術を身に付ける点にあるとしても、一般的に同時に『享受』の目的もあるとされていることは、被告の指摘するとおりであって、音楽教室における演奏の目的が演奏技術の習得にあるとしても、同時に音楽の価値を享受する目的も併存しうる。
結論として、音楽教室における演奏は、「公衆に直接・・・聞かせることを目的」としているとした。
④権利濫用の成否
原告らは、教材を制作する際や、生徒による発表会などの使用には使用料を払っているので、音楽教室での演奏について使用料を徴収することは権利の濫用にあたると主張したが、教材製作のための音楽著作物の複製と、レッスンにおける演奏とは、支分権の異なる別個の行為なので、それぞれの支分権について対応する使用料を徴収したとしても権利の濫用とはいえないとした。発表会についても生徒が参加するとは限らないので、発表会の使用料に加えて、レッスンの使用料を徴収しても権利の濫用にはならないとした。
原告らは、音楽教室からの使用料を徴収すると、萎縮効果からJASRAC管理曲を使用しなくなり、文化の発展に寄与するという著作権法1条の目的に反することになると主張した。
裁判所は年間包括的利用許諾契約を結ぶ場合の年額使用料が、JASRAC管理曲を利用した講座の前年度受講料収入額の2.5%であることから、音楽著作権者の保護の要請との均衡を失するほど過大であり、文化の発展に寄与するという著作権法1条の目的に反するということはできないとした。
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以上、カラオケスナックでの客の歌唱もカラオケ店主による演奏であるとした1988年のクラブキャッツアイ事件最高裁判決、ダンス教室での一人の受講者のみを対象とした音楽の再生も誰でも受講者になれるため公衆に対する演奏であるとした2004年の社交ダンス教室事件名古屋高裁判決、一人カラオケも聞かせるための演奏であるとした2009年のカラオケボックスビッグエコー事件東京高裁判決など昔の判決が、今の時代の社会通念に合っているかの疑問には答えず、これらの判例を踏襲する判決となった。