61年間、「日本一長く服役した男」が教えてくれた2つのこと

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

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NHK制作のドキュメンタリー番組で「日本一長く服役した男」が紹介されていた。好奇心に惹かれて軽い気持ちで番組を見始めたが、気がつけば魂ごと引き込まれてしまい、最後まで視聴してしまった。

このドキュメンタリーは、我々に強烈なメッセージを発している。それは「世の中には社会で生きることに向いていない人格が存在すること」それから、「人生に与えられた意味などない。だからこそ、自分で意味を作り出さなければいけないこと」だと筆者は捉えている。下記に論考したい。

61年間刑務所で生きた男とは?

番組をご存知ない方のために、内容について触れておこう。1人の無期懲役囚が熊本刑務所から仮釈放された。21歳で服役したこの男は、80歳を超えて表の世界に戻った。実に「61年間の服役」という、一昔前の人間が生を受けて寿命をまっとうするほどの長期間を、刑務所の中で過ごした計算になるわけだ。白黒テレビだった時代に刑務所に入り、スマホ全盛期に出てきたのだから、まさしく浦島太郎のような感覚だっただろうと推測される。

男は久しぶりに外の世界に出て、出所後に福祉施設に預けられた。だが、男は大きな戸惑いを感じていた。自由を制限されていた世界から、突如自由な世界へと舞い戻ってきたことになり、「始終、行動を誰かに指示を受ける状態が続いていた。そのため、自由を与えられても、一体自分が何をしていいのか分からない」という。そのうち、職員のいうことを聞かなくなり、「刑務所に連れて行け!」と言い放つようになっていったのだ。

周囲も本人も、どうしたらいいのか分からない。そんな戸惑いを感じる中、出所からわずか一年後に男は人生の幕を閉じた。

男は取り返しのつかない重罪を犯しているわけで、被害者遺族の気持ちを考えると「気の毒」などと言葉を吐く気になれない。だが、ある種のやるせなさが胸中に広がるのを感じる。もはやあまりにも長期間収容されたことで、自分がどんな犯罪を犯したのかも覚えていない。囚人への反省を促す意味を考えると、この男の人生の意味を考えてしまうのだ。

人間社会に向いていない人格がある

社会とはすなわち、人間による人間のために作られた世界である。山を崩し、木を切って人間の暮らしやすい世界を作った。そして、人は人と関わることでしか生きていくことはできない。筆者もこの原稿を誰か人間が読むことを前提に執筆している。

その前提を考えると、人は自覚なくとも誰かのために生きているといえる。その上では、社会のルールの上で生きることが求められる。同じ空気を吸い、食事を摂るという点でまぎれもない人間でも、社会のルールを守れない人格の持ち主がいる。彼らは普通の人が生きているものとは別の世界の住人として、異質な存在として取り扱われることになる。

この男も刑務所に入らず、別の人生を歩む無数の選択肢があったはずだ。だが、それを否定したことで、彼は社会の敷いたレールを外れた。そしてその過ちとは、多くの一般人が決して手をかけない類のものだった。

世の中には、「社会に対応しづらい人格」が存在するのではないかと思わされてしまう。これは生まれつきではなく、後天的に獲得される類のものと信じたい。

人生は自分で意味づけるもの

人生の生きる意味とは、なんだろうか。

人間は気がつけば生を受け、生き、そして誰もが必ず死ぬ。生命を維持するために与えられた時間、それは固定値でだいたい80年間前後だ。そして社会を生きる上では奨励されること、禁止されているルールの中で生きることになる。文明社会で生きる人間の誰もが、このルールから逃れる事はできない。道具は何か目的を達成するために作られるが、人間は道具ではないため、自分で人生に意味を与える必要がある。つまり、賛否はあるかもしれないが、筆者は徹頭徹尾、人生に意味はないと思っている。だからこそ、自分で「人生の生きる意味」を考え、意味づけして生きることが重要だと信じている。

この男は80歳を過ぎて社会に出たことで、もはや社会に負の打撃を与えるような力は失われた。毒気が抜かれ、安全な人物になった。だが、彼の人生にポジティブな意味合いはあっただろうか。男自身もそうだし、周囲の人物も生きることの手を持て余していた。そう考えると、この人物が生きた人生の意味とは一体何だったのだろうと考えさせられてしまう。

無期懲役とは、囚人に反省を促す刑だ。だが、これだけ長い年月が経過してしまうと、もはや自分でも何の罪を犯したのかも覚えていない。それでいて囚人に多額のコストを社会は支払い続ける。

人生と刑の難しさを考えさせられる作品だった。そして恐ろしいことに、これはバーチャルではない。我が国で現実に起こっている確かな出来事なのである。