「同性婚への祝福禁止」に反旗続々

バチカン教理省が発表した「同性婚には神の祝福を禁止」という声明は、欧州のカトリック教会で大きな反発と批判を呼び起こしている。独日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)23日付によると、神父、神学者、修道院関係者、教会活動家ら2000人以上がバチカンの表明に異議を唱え、組織的な抵抗運動を呼び掛けている。同運動はローマ教皇フランシスコへの「不従順宣言」と受け取られるだけに大きな波紋を呼ぶことは必至だ。

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カトリック教義の番人、バチカン教理省(前身・異端裁判所)は15日、「同性婚者への神の祝福を与えることは出来ない。これは同性愛者への差別でもないし、審判でもない」という内容の声明文を公表した。声明文には教理省長官ルイス・ラダリア枢機卿と次官のジャコモ・モランディ大司教が署名している。もちろん、フランシスコ教皇の承認のもとで公表されたものだ。

声明文によると、「教会は同性愛に基づく婚姻に対し、神の祝福を与える権限を有していない。同性愛者のカップルに対し、神父はその婚姻に如何なる宗教的な認知を与えることも禁止される」と述べている。教理省の表明内容は決して新しくない。カトリック教会は同性婚問題ではこれまでも反対してきた。新しい点は同性婚問題で曖昧な態度を取ってきたフランシスコ教皇が「同性婚は神の計画ではない」とはっきりノーと答えたことだ。南米出身のローマ教皇に期待してきたリベラルな聖職者、神学者、信者たちは今回のバチカン教理省の声明に失望を超え、ショックを受けたわけだ。

独教会では過去、平信者グループや聖職者グループ、神学者たちがバチカンの方針に異議を唱え、衝突するケースがあったが、今回の同性婚への神の祝福禁止令でバチカンとの関係が更に険悪化するのではないかと懸念されている。

バイエルン州のバンベルク大司教区のルドヴィック・シック大司教 は21日、「神の祝福が既婚者、シングルマザー、他の生活様式で生きている人にもありますように」と説教の中で語っている。 エッセン司教区フランツ・ジョセフ・オバーベック司教は全教区宛てに書簡を送り、同性愛者に対し、その生き方を真摯に評価する旨を表明している。同じようなトーンはドレスデン教区やオスナブリュック教区の司教たちからも聞かれる。それだけではない。ミュンスター大学では200人以上の神学教授が声明文を公表し、「バチカンの声明には神学的な深みが欠けている」と指摘している。

その一方、バチカンの声明を歓迎する声もある。レーゲンスブルク教区やパッサウ教区の司教たちは、「バチカンの声明は同性婚問題で明確な路線を提示した」と評価。聖職者の未成年者への性的虐待事件を隠蔽した容疑問題で大きな衝撃を与えた独教会ケルン大司教区のライナー・ヴェルキ大司教は、「カトリック教会の婚姻観と家庭観を明確にするものだ」として歓迎する一方、「如何なる性的嗜好とは関係なく、全ての人に寛容に接することは教会の基本姿勢だ」と説明している。

バチカンの「同性婚への神の祝福禁止」は独教会だけではなく、隣国ベルギーやオーストリア教会にも大きな波紋を投じている。今月19日にはウィーンの教会で性的少数派のシンボル、レインボーフラッグが教会の建物から垂らされ、バチカンへの抗議意思を表明している。「不従順への呼びかけ2.0」運動はバチカンの祝福禁止に対して強く反対している。同運動には380人の神父、助祭が参加している。また、ベルギーではアントウェルペン司教区のヨハン・ボニー司教は、「バチカンの決定を恥ずかしく思う」と述べている、といった具合だ。

ところで、欧米社会では同性愛を含むLGBT(性的少数派)を擁護する人々が増えてきている。それを社会の多様性の現れと受け取る人々も出てきた。その多様性を支えているのは「寛容」という言葉だ。誰もが他者に対して寛容でありたいと願う。性的少数派に対しても同様というわけだ。

それに対し、現代の代表的思想家の一人、ポーランド出身の社会学者ジグムント・バウマン氏は、「寛容は無関心の別の表現の場合が多い。自分に直接関係ない限り、どうぞご自由に、といった姿勢が隠れている」と指摘し、現代人の「寛容」には無関心さが潜んでいると喝破している。同時に、「寛容」を叫ぶ人々には自分の弱さも認めてほしいという願望が潜んでいるというのだ。独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で答えている。

バウマン氏は、「リベラルな社会では個人の利益が最優先され、人間の相互援助の精神は次第に失われていく。社会的連帯は個人の自己責任に代わり、人間同士の繋がりは失われていく。現代人が自己のアイデンテイテイに拘るのは共同体意識が失われた結果だ」というわけだ。

多くの現代人にとって同性愛やLGBTも自分に悪影響を及ぼさない限り、どうでもいいことだ。しかし、「多様性」と「寛容」が時代の用語となっている今日、表立って異をとなえれば、「寛容のない人」というレッテルを張られてしまう。その一方、「同性愛やLGBTは間違っている」と主張する人が出てくれば、それに反論することで「寛容の実証」を求められる知識人も出てくるわけだ。いずれにしても、性的少数派は現代社会の「寛容」エールを「認知された」と受け取らないほうがいいだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年3月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。