介護問題とは家庭内で確実に上がってくる問題であります。かつては大家族時代で誰かが親の面倒を見ることも可能でしたが、今は小家族でかつ、住むところも遠隔地であることも多いとなればこれは悩ましい問題の何物でもありません。
私の年齢からして今までお付き合いのあった諸先輩方の声が聞こえなくなるのは危険信号の一つであります。私は校友会の支部長もしていることからイベントの際に皆様に声をかけていくわけですが、メールの返事がない、つまり、YESともNOとも何も言ってこなくなると心配になるんですね。そこで個別にメールします。「〇〇さん、お元気ですか?先日お送りしたメールの件ですが…」という具合です。
それでも返事がない場合、次は電話をします。声を聞き、その反応でなんとなく大丈夫そうだ、あるいはちょっと不安そうだというのは感じるようになりました。ただ、不安だと感じたとしてもその方のどこまで入り込んで良いのかは微妙なところです。
特に介護が必要かどうか、あるいは認知症の境目ぐらいの方は自分がそうなりつつあると認めたくないものです。ましてや私を含め、第三者が下手なことを言えば相手を傷つけることもあります。これが例えば病気ならばもっと明白な切り口があるからよいのです。医者が病気を判断しその治療をするというわかりやすさです。患者は医者の言うことは一応聞きます。(セカンドオピニオンといったことがあることは今は横に置いておきます。)
ところが介護が必要かどうか、自分がボケてきたか、そのボケが単なる老化なのか認知症なのか、というところまで来ると病気とは違い、「何言ってんだよ、俺は何ら、生活に支障はないじゃないか」とむしろ、息巻く方もいらっしゃいます。つまり本人の気持ちの準備がないのです。
もう一つは家族が捉える介護問題であります。3月3日号の本ブログで「あぁ、介護」と題して書かせて頂いた中で触れていない事象の一つが家族が介護をどう捉えるか、であります。いざという時に「誰が、どの責任範囲で、どうやって」という目先の対応の問題と「いくらの費用をかけるか」であります。私にはどうも後者の金銭面が案外大きいように感じます。手厚い介護はカネがかかる、だけど自分を育ててくれた親には不自由させたくない、という優しい方ばかりではないのです。そもそもない袖は振れぬという方もいらっしゃいます。
となると介護問題を抱えたご家族が「介護方針」をどう設定していくか、そしてそれがはたして主役である被介護者の幸せにつながるのか、というところまで踏み込むとこれほど厄介な問題はないのであります。
日経ビジネスに「団塊を団塊ジュニアが介護する『2025年問題』にどう備える?」という参加型記事があり、読者が思い思いにコメントを入れています。ざっと拝見する限り意見は見事にバラバラ。価値観の相違も浮き彫りとなっていて、介護問題が一筋縄でいかないことが見て取れるのです。
私は介護は100家族いたら100通りの方法がある、と言っています。それぐらいこの問題の捉え方はマニュアルチックでこのデジタル社会の中で明治時代から何も進化していないといってよいぐらい人間の根源に関わる事柄なのだと考えています。
では今後、どうすればよいのか、ですが、個人的にはドラスティックな解決方法はないもののいくつかの対策は打てると思います。例えば遺産ではなく、介護のためのお金を用意しておき、子供や残された家族に「これを使って」と渡す方法があります。
実は私の叔母は一人もので子なし、親せきも少なく私はそのわずかな一人でありました。会うたびに申し訳ないとは思っていましたが、いかんせん四国の高松に行けるのはせいぜい5年に1度。そこで叔母は地元にいる甥っ子に自分のことを託しました。甥っ子なので遠慮もあったのでしょう。介護や病気の対策のために別口座を作り、「このお金は私が何かあった時のために使ってほしい。仮に余ったらそれは面倒をみてくれたあなたに全部上げる」というものでした。もちろん、私にも依存はありません。結局、叔母は昨年亡くなりましたが相続は非常にスムーズでありました。
認知症の際の後見人などについては一般に資産全般の管理について話をしますが、このケースは自分が病気、介護、葬式までの費用につき、その部分のみ特定の人に特定目的でアクセスを許している点がある意味、画期的なのです。ここまでは配慮した叔母は立派だったと思います。(法的に正しいプロセスではなかったと察しますが単純明快さが一番やりやすかったとも言えます。)
介護支援や年老いた親をチェックするテクノロジーはいろいろあると思います。遠隔地にいる親が生活活動をしているかどうかを確認する技術は様々確立されています。しかし、それは事実を知るだけでそうなったときの全般的なプランではありません。
介護は子育てと同じで非常に手間も時間もお金もかかります。子供を育てるときは大変なパッションをもって教育を受けさせたのに親にはローコストで、というのもどうかと思いますが、そういう方は残念ながらいらっしゃるのです。
介護問題、避けて通れない難問です。しかし、知恵は必ずあると思っています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年4月4日の記事より転載させていただきました。