日本が米国の同盟国であるかが問われている

9日金曜日、ミャンマー市民を支持する共同声明を、駐ミャンマーの15大使が共同声明の形で公表した。

米国と安全保障条約を持つ同盟国でこれに参加しなかったのは、ほぼ日本だけだった。

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EU構成国という言い方で含まれている欧州諸国と、カナダなどの主要G7国だけでなく、韓国、オーストラリア、ニュージーランドなども加わった。

日本は大丈夫か。

「日本にはミャンマー軍とのパイプがある!」論にむきになって固執しすぎるのも、もうそろそろいい加減にしたほうがいいのではないか。

日本の唯一の同盟国であるアメリカが、「親密な同盟国・パートナー国との国際協調の努力」の一環として、共同声明などの行動を誇示していることに、注意を払うべきだ。

高齢者層の日本人は、気づいていないのではないだろうか。同盟とは、「価値の共同体」だということを。価値を共有しているという信念があればこそ、共同防衛体制をとる。

反共産主義の砦になる、と呟いてさえおけば、同盟体制は安泰、と考えるのは、冷戦ボケである。冷戦終焉後の世界では、あるいはバブルが崩壊して経済大国ではなくなった後の日本では、「アメリカが誘ってくる余計な事にはなるべく関わらず、ただアメリカが尖閣を守るようにだけは仕向けておくのが日本外交の奥義」、という姿勢は、通用しない。

9日、ミャンマー当選国会議員が形成している「CRPH」の大使となって世界中のメディアの対応をしているDr.Sasaが、日本外国特派員協会とのオンライン会見に臨んだ。そこでDr.Sasaは、「日本がミャンマー軍を批判するとミャンマー軍がいっそう中国とロシア寄りになるなどということはない、もうとっくに寄っている」、と述べていた。

今や、日本の「ミャンマー軍を批判するとミャンマーがいっそう中国寄りになるので日本はミャンマー軍を批判できない」論は、ミャンマーの人々を含めた世界中の人たちの「日本とはどういう国か」の基本理解になってしまっている。皆が、そういう視線で、日本を見ている。

これでいいのか。

9日はさらに、国連安保理の非公式会合がオンラインで開催された。日本がその存在を認めようとしない「CRPH」の外相や、ミャンマー軍に罷免通告された国連大使らが、堂々とミャンマー軍の国際法に反した非道行為を告発した。安保理構成15カ国の中で、この流れに同調しなかったのは、ロシアくらいであった。

今、ロシアはウクライナ周辺で軍事力を強化しており、それにNATO構成諸国は警戒心を強めている。アメリカは黒海に軍艦を派遣した。NATO構成諸国は、ウクライナ情勢を見たうえで、「価値の共同体」の結束を乱さないように行動している。

日本だけが、「ミャンマーでは一番大切なのはミャンマー軍とのパイプです、でも尖閣が危なくなったらアメリカは日本を守ってね、ただ基本、それだけでいいです」、という行動をとっていていいのか。

「全世界平等に普遍的に一律な制裁は実施できない」「日本は第二次世界大戦の侵略国だ」といった骨董品のような抽象論も、ミャンマーやウイグルやチベットをめぐる国内の議論に触発されたのか、高齢者が発言し始めた。

だが、日本という国の外交は、もっと具体的に、戦略的に、考えるべきだ。

もちろん、現場の駐ミャンマー大使が、ミャンマー国内のあらゆるリソースを活かして外交をしようとするのは当然だし、それは支援するべきだ。だがそんなことは、どんな国でもやっている。

福島の原発でも、新型コロナ対策でも、日本の指導者層のリーダーシップのあり方が問われた。権限は譲らないまま、現場の努力に責任を転嫁しようとする。日本の指導者のよくある行動パターンである。

結果、目の前の直近の危険をやりくりすることはできても、大局的な視座に立った長期的な危険の回避がおろそかになる。

「制裁を全世界普遍的に平等に実施できるか」「第二次世界大戦の侵略国としての日本の責任は何か」といった高尚な議論は、大学の教員にでもやらせておけばいい。

実務に携わる政治家や外交官には、大局的な視座で国益を考慮したうえで、もっと具体的かつ戦略的に、政策を判断していってもらいたい。