大阪や兵庫の医療崩壊は本質的な問題ではない(後編)

前編「日本は世界一病床が多く、しかもコロナ患者数は圧倒的に少ないのになぜ医療崩壊してしまうのか?」と言う問いに対するひとつの回答として、「医療の提供が常に満床を目指す自由競争市場に委ねられていること」を挙げた。

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これに対し、「森田は日本の医療を悪く言い過ぎだ」と思いになられた方も多いだろう。

しかしながら、実は私は日本の医療はかなり優秀に機能していると思っている。ただし2つ条件がつく。

「平時においては」と、「急性期医療においては」という条件だ。

まず「平時においては」の部分を説明しよう。

簡単に言えば「自由市場で切磋琢磨の競争をしている日本の病院は、感染症のパンデミック時に協力関係になりにくい」ということである。平時においては有効に機能しても、緊急時に協力関係を築けないのなら、国家の安全保障としては機能しないだろう。

実際、今大阪・兵庫が医療崩壊直前、と大騒ぎだが、お隣の鳥取県は重症者0人、そのお隣の島根県も0人だ。もちろん重症病床使用率0%。更にそのお隣の山口県は、重症病床を兵庫県より多い124床持っているが、実際の重症者はやはり0人で病床使用率はもちろん0%だ。(参照:新型コロナウイルス感染症患者の療養状況、病床数等に関する調査結果

問題は県レベルの連携だけではない。大阪・兵庫の中にだって、本来コロナに対応できる病院はたくさんあるのだ。しかし彼らは患者を受け入れることもないし、医療従事者を派遣することもない。なぜ彼らは知らん顔しているのだろうか。これは、隣国が九州に攻めてきている時に、本州の軍隊が知らん顔しているのようなもの。普通ならありえないだろう。しかし、日本の医療は平気でこの状態を放置し、その状況で「医療崩壊!」が叫ばれているのである。コロナ被害が日本の数十倍、しかも病床数も少ない欧米においては地域どころか国境を超えて患者が搬送されていた。日本とは雲泥の差である。

平時においては非常に有効に機能していた日本の「市場競争による医療の最適化」は、感染症のパンデミック時に想像以上に機能しなかったのだ。緊急事態に日本の医療全体が一丸とになって対応できない…というシステム上の欠陥が今まさに露呈してしまったと言えるだろう。

次に「急性期医療においては」の部分について述べる。

日本の医療の質が世界最高レベルなのは、医療の提供が自由市場の競争原理に委ねられ、医療機関がお互いに切磋琢磨しているからである。これは間違っていないと思う。手術や事故・急病の治療に当たる急性期医療についてのみに当てはまるものかもしれない。

しかし、日本の医療の大部分を占めているのは高齢者医療・慢性期医療などの世界である。そこにおいては、その競争原理ゆえの歪みが生じてしまっているのだ。急性期医療の患者はそうそう増やすことは出来ないの比して、慢性期医療では比較的容易に患者を増やすことが出来るからだ。

高齢者の多くはなにかひとつくらいは疾患を抱えている。それが3か月に一回の通院なのか、1ヶ月に一回の通院なのか、入院すべきなのか、施設入所すべきなのか、その判断の多くはグレーゾーンだ。しかし多くの判断は医師の判断に委ねられる。競争原理の中で満床を目指す病院にとって、月ごとの外来患者を増やすこと、病床を埋めることはそんなに難しくないタスクなのだ。

これは下図のグラフを見ればよく分かる。


都道府県の死亡率や有病率にはほとんど差がないのにもかかわらず、県民一人あたりの入院医療費には約2倍の差があるのだ。しかもそれは病床数に比例している。

これは、医療というサービスの根本に「医師ー患者間の情報の非対称性」が存在すること、また「患者側が医療の質を評価することが困難」ということに起因する。医療において患者が医師より詳しい情報を持っていることは少ない(情報の非対称性)し、また入院や入所は一回限りのことが多いからその質を比較検討することもほとんど出来ない(医療の質を評価困難)からだ。

外来通院なら複数の医師の診療内容を比較検討も出来る。しかしそれは、病院の清潔さとか医師の態度・受付の対応など、表面的なホスピタリティへの評価で終わってしまうことがほとんどではないだろうか。処方内容の正当な評価や治療の成績という、真に医療の質を評価すると言うことは、殆どの場合で行われていないだろう。

つまり、供給側が需要側に対して圧倒的に知識を持っていて、更に需要側がそのサービスについて正当な評価を出来ない、という供給側に圧倒的に有利な条件が揃っているのだ。まさに「売りたい放題売れる」世界である。

これでは自由市場における正しい競争が成り立たず、供給過多にならざるを得ない。いわゆる「市場の失敗」ということになってしまうのだ。特に慢性期医療ではこの現象は顕著に発生しているのだ。

たしかに市場原理は、現代の民主主義・自由主義経済を支える大事な根幹だ。しかし、以上で説明した医療業界の例外があるように、市場原理がすべてのサービスで適用できるわけではない。事実、先進諸国では医療はほとんどが「公的サービス」として提供されている。英国ではクリニックに会計窓口はない。すべて税金で運営されているから受診後の会計支払いは「ない」のだ。日本で警察・消防などのサービスを使っても支払いがないのと同じなのである。

今、騒がれている大阪や兵庫の医療崩壊の裏には、こうした日本の医療の現状がある。そこを基礎に置かずに、表面的に「病床が足りない」とか、「感染を抑えるべきだ」とか言っても、それはまさに表層の議論でしかない。本質的な問題を見極めるには俯瞰的・総合的に事態を見ていく必要がある。まさにいま、政治に求められているのはその部分ではないだろうか。