大阪や兵庫の医療崩壊は本質的な問題ではない(前編)

森田 洋之

必要病床数というものは、非常に恣意的に解釈され得るものだ。人口10万人あたりの病床数は、英米で200〜300床である。先進国標準はだいたい300〜500床なので、妥当な必要病床数はこのあたりだろう。

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しかし、日本は1300床で世界最大の病床大国なのだ。もちろん、この中に精神科病床・療養病床など先進各国にはあまり無い病床も含まれているが、そこを除いても英米の2倍以上の病床数があり、病床が多いという事実が覆るわけではないだろう。

そして、その日本の中でも病床数には地域差が著しくある。最も病床が少ない神奈川県は10万人あたり約800床。最も多い高知県は2600床。これは都市部と地方の差だけで説明できない。長野・新潟・三重などの地方の県も病床は少ない方だからだ。

つまり高知県は神奈川県の3倍の病床を持っているわけだ。高知県民はそんなに不健康なのだろうか?そんな訳はないはずだ。

しかし、下図でわかるように、事実として病床の多い県はそれだけ多く「県民一人あたりの入院医療費」を使っている(実際に入院している)のだ。

これは、医療機関が「満床を目指さないと経営を維持できない」市場システムに組み込まれているからだ。

つまり、すべての病院が常に満床を目指している今の日本では理論上「空床」はほぼ存在し得ない、ということが言える。事実、神奈川や長野の3倍も病床がある高知県で病床が余っていると言う話は聞かない。

医療を自由市場システムに任せている限り、どんなに病床を作っても、その病床が埋まっていくだけで、急に現れる感染症パンデミックなどの危機には対応出来ない、ということが言えるだろう。

実は、医療の提供を病院の自由に、市場原理に委ねているのは日本・アメリカなど少数の国だけなのだ。多くの先進国は「医療は国家の安全保障なのだから、消防・警察と同じ公的存在」として、その提供量や質も国家が管理している。

今回のコロナパンデミックで多くの先進国が日本の数十倍の感染者・死者を出し、しかも病床も日本より遥かに少なかったにも関わらず医療崩壊に至らなかったのは、「医療を公と考え国家の管理下に起き、満床を目指すような自由競争の市場に委ねていなかった」というのが最も大きな理由なのだ。

医療が国家の管理下ある為、一部地域で病床が足りなくなったら病床に余裕がある地域に患者を移す、医療従事者も移動させることが可能だ。ある地域を敵に攻められたら、他の地域の軍隊も駆けつけるのが当然であろう。

また、病床数も国が管理出来るので、突然のパンデミック時には、10年来の腰痛の手術とか老化による白内障の手術などの延期できる手術は延期して、感染症病床を一気に増やすことができる。欧州ではICUを2週間で数倍に増やすとか、外科の先生が感染症専門医の指示を受けながら人口呼吸器管理してコロナ患者を診ていた。と言うことが普通に行われていた。

一方、日本は世界一の病床数を誇るのにも関わらず、すべての病院が自由に満床を目指しているので「空床」が無い。また、医療の提供が医療機関の自由競争に任されていて国の管理下にないため、スピード感を持って病床を増やしたり移動させたりが出来なかった。というより、1年以上たった今でも、ICUの数はほとんど増えていないし、その増え方も少しずつ徐々に増えていくという増え方だ。本来なら感染の波に合わせて急激に増やしてパッと減らす、延期していた手術をもとに戻す、ということをするべきだが、波に関係なくじわじわと増え続けているという推移なのだ。

常に満床の上にこれだけ硬直したシステム、これが簡単に医療崩壊してしまう最大の理由だ。

現在、コロナ入院患者数は3万人程度で、日本の全病床数150万の2%程度。しかもそのうちの多くは軽症・無症状だ。その証拠に、全人工呼吸器45000台のうち現在コロナへの稼働は316台(0.6%)、ECMO2200台中、稼働は23台(1%)。これだけしか医療に負担がかかっていないにもかかわらず、一部地域で医療崩壊してしまい、しかも他地域からの応援も一切ない。

その裏にはこうした、根本的な医療提供システムの欠陥があるのだ。

後編に続く)