「迷惑な善意の押し付け」で日本を息苦しくする人達

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

日本人は親切丁寧で、空気を読み、和を尊ぶと言われてきた。だが、最近はネットであらゆる事項が可視化されるようになり、我が国に根付く社会の息苦しさの存在を感じることがある。それが「迷惑な善意の押しつけ」である。

fizkes/iStock

厄介なことにそれをやっている本人は「自分は社会のために良いことをした!」とまるで世直しをしたつもりでいることであるから恐ろしい。そしてこの問題は気を抜くと、気が付かぬ内に自分も加害者になり得るリスクをはらんでいる。

少しでも迷惑な善意の押し付けが減ればと願いつつ、論考したい。

頼んでもないのに上から目線で講釈する教え魔

「教え魔」というワードが広がりつつある。頼んでもないのに、上から目線であれこれと講釈を垂れる人たちのことだ。筆者の個人的感覚値だけで言えば、概ね中高年の男性に多い傾向に感じられる。

こちらのツイートは、とあるボーリング場に貼られた「STOP教え魔」という張り紙を投稿し、広くバズったものである。ボーリング場において、利用者同士でボーリングのやり方を教える「迷惑行為」が起きているという。「他人にボーリングのやり方を教えてくれる人なんて、親切なのでは?」と思われるかもしれない。だが、教わる側の立場になれば、突然知らない人からボーリングのレクチャーを受けるのは恐怖でしか無い。多くの利用者は、ボーリング場で人との出会いを求めていない。シンプルに迷惑という話だ。

講演で受けた教え魔の迷惑体験

筆者も教え魔の被害を受けた経験が何度かある。

ある公益法人から講演依頼を受けて会場でお話をしたことがあった。無事終了し、帰り支度をしていると難しい顔で腕組をしていた高齢男性から突然次のようなことを言われた。「君はまだ経験が浅いから知らないだろうけど、あの話は間違っている」というのだ。このような教え魔に捕まった経験が過去に2回ほどあった。

正直、これをされると非常に困る。こちらはお金を頂いて講演をする以上、絶対に間違った話をしてはいけないと気持ちを引き締めて会場に立っている。しっかりと綿密にデータを調べ、信用のおけるファクトの裏取りをしてから臨む。もちろん、自分が本当に誤りを犯しているなら、この指摘に感謝しなければならない。だが、こうした教え魔は往々にして事実の裏付けのない、その人の経験を元にして「君は間違っている」と指摘してくるので、得るものはなにもない。返答や対応に苦慮する。教え魔は自覚がないだろうが、頼んでもいないアドバイスは迷惑だ。

もしも、溢れんばかりに誰かに教えたい欲求があるなら、ぜひブログやYouTubeで発信することを勧めたい。彼らの話に市場ニーズがあるなら、喜んで話を聞いてくれる人はいるだろうし、うまくいけばビジネスに繋がるだろう。…もっとも、教え魔のように相手の都合を考えずに善意を押し付ける「マーケット感覚の欠落」した人物に、価値提供を前提としたビジネスを展開できるかは疑問は残る。

日本を監視社会化する通報魔

そしてもう一つの迷惑な善意は、どんなことでも本社に連絡をする「通報魔」である。

過去にこれで大きな問題が起きた。電車の運転士がペットボトルの水を飲んだことを「業務中に水分補給をしている!」と通報され、また運転士が熱中症・脱水症状で緊急搬送されたことがあった。さらに名古屋市消防局では、「救急車でコンビニに立ち寄り、飲料水などの購入をすることがあります。あらかじめご理解を」と呼びかけをしていた。通報魔があれこれ本社にクレームを入れることで、業務にあたるスタッフが迷惑を被っているのだ。

通報魔の心理としては、教え魔同様に「世直し」のつもりでいるのだろう。「御社のスタッフがひと目を盗んで職務怠慢を働いている!」と、わざわざ教えてあげているという感覚でいると推測される。

これでは隣国の「国家による監視社会」を笑えない。我が国においては「国民による監視社会」が起きているのである。

迷惑な善意が社会を息苦しくする

迷惑な善意によって社会は息苦しくなっている。運転手や、救急隊員など人が集まる公の場に姿を見せる職業についていると、一挙手一投足について誰から何を言われるのかわからない。業務にあたる当人のご苦労を考えると心が痛む。

迷惑な善意は即時的な取りやめが難しい。教え魔も、通報魔も法的に抵触する行為ではないし、本人は迷惑行為だと自覚はないからだ。現実的な対応方法としては、社会全体での持続的な啓蒙活動しかないだろう。すなわち、「頼んでもいない善意は迷惑」というメッセージを地道に発信していくことだ。

たとえばパワハラやセクハラ問題の事例で、期待効果を検討したい。パワハラやセクハラは昔からあった問題だった。これまでは「業務指導の一環」として処理され、特に問題視されることがなかったのだろう。また、上司と部下のパワーバランスの関係からも、存在の問題性を問われることに長き時間を要した。だが、近年において啓蒙活動が進んだことにより、近年において社会全体として認識されるようになった。問題に抵触する行為は明文化された。今どき、大手企業でパワハラやセクハラをすれば、加害者は強く社会的責任を追求される。これは大きな変化であり、啓蒙活動の成果と言える。

同じく、迷惑な善意についても、時間をかけて取り組んでいくしか無いだろう。具体的に言えば、「運行中、運転手が水分補給をさせていただくことがございます」とバスや電車に張り紙を貼るなどである。社会的な認識の変化には時間がかかる。だが本来、あらゆる教育の浸透には時間がかかるものだ。諦めずにじっくりと取り組めば効果は出てくるだろう。

最後になるが、迷惑な善意ではなく、ありがたい善意であふれる息苦しさのない社会になることを、心から願わずにはいられない。

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