優秀か無能かは生まれつきではなく「環境」で作られる

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

その人が優秀か、無能かは生まれつきの才能や、これまでの学歴・キャリアだけで決まってしまうと考える人は少なくない。実はかつて、筆者もそう思っていたからだ。

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だが、今はそれとは異なる認識を持っている。会社経営者へ転身したことで、会社員時代には見えなかった事実が分かってきた。それは「優秀・無能かどうかは、環境で作られる」ということだ。「環境」とは「仕事内容や職場の評価基準。さらに人間関係」といった複数要素で構成されている。この仮説が正しい前提に立てば、優秀なプレーヤーとはすなわち、能力を活かせる得意な仕事に就き、適切な評価を受け、人間関係に恵まれた結果として生まれるものであると感じる。

つまり、優秀なビジネスマンとは求められる市場ニーズや、自身の適正を素早く見抜き、勝てる場所に身を置くことができるかどうかで決まってしまうといっても過言ではないのだ。

専門分野は条件ではなく、好きで得意な仕事を選べ

まず、第一に主張したいのはビジネスマンは仕事の専門分野を「条件」ではなく「得意」という軸で選ぶべきだということだ。

筆者はブログやYouTubeで発信をしているが、時々若いビジネスマンからキャリア相談を受けることがある。彼らは往々にして「この分野でスキルアップすれば将来、高収入・ホワイト企業転職できますか?」など「条件」を軸に進路を検討する傾向があると感じる。その気持ちはわかる。たとえば会社から受け取る給与は、本人の努力というより、仕事内容や勤務先企業の収益率で決まってしまうから、条件の精査は確かに重要だ。だが、「条件だけ」で仕事の進路を選んでしまうのはオススメしない。

長期的キャリアの展望に立てば、条件ではなく自身の適性の観点でも仕事は選ぶべきだ。その根拠を次のパラグラフで具体例を交えて取り上げたい。

好条件に飛びついた失敗談

筆者の事例で恐縮だが、学生時代に英語と会計とITスキルを磨いて就職をした。専門分野を会計にしたのは、高収入や国際的舞台での活躍ができるなどの高待遇性に加えて、規模の大きい企業へ入ることができるからという「条件」を重視して選んだ。比較的、高待遇の企業に入ることができたので、目論見通りの目標が叶ったと喜んでいた。

だが、いざ就職が決まって念願の会計の仕事で働いてみると、妙な違和感があった。米国大学留学してまで勉強したのに、仕事の歯車が噛み合う感覚がしない。他者の何倍も努力をしなければ、ついていけない。あげく、後から入社してきた新人にミスを指摘されてしまうことも何度もあった。そして何より、仕事をあまり楽しいと思えず、一時期は「自分はこの分野で一生涯、働いていいのだろうか」と随分悩んだ。

今考えれば、シンプルに筆者に会計分野の適正が合わなかっただけだった。だが、当時はそのことに気づくことができず、自分の努力不足や、同じ会計分野で仕事内容を変えることばかりを考え、随分と苦しむことになった。

好条件に飛びつき、適正がない分野に仕事をすると、能力を活かせず後悔することになる。得意なことを仕事にすれば、成果を出すこともできる。成果を出せるビジネスマンは優秀とみなされるから、この選択は決して軽視するべきではないだろう。

優秀さは誰と働くか?で影響される

また、仕事は「誰と働くか?」という軸でもその人を優秀か、無能かを決める極めて重要なファクターになりえる。特に会社員というチームプレーが求められる立場では、その傾向はより強くなる。本来、仕事内容も能力も申し分ない優秀な人材でも、上司との相性が悪いというだけで、能力を発揮できず無能化することは現実としてありえる。

筆者がかつて働いていた職場で、パワハラ上司がいた。四六時中、誰かに感情的で嫌味ったらしく叱りつけているタイプだった。中でも一緒に働いていた同僚に、常に叱られていた人物がA氏だ。A氏は特にパワハラ上司から目をつけられており、他愛もないちょっとしたケアレスミスでも、激しく叱られ「お前は無能だ」と辛辣な認定を受けていた。

ある日、人事異動で筆者とそのA氏は上司が変わった。新しい上司はまったく異なるタイプで、放任主義で大らかな性格だった。A氏はその時から水を得た魚のようにはつらつと働き、それまでは自分からは決して発言することもなく物静かだと思っていた。それが上司が変わったことによって、それがウソのように積極的に改善提案を出し続けるようになり、やがてその手腕が認められて主任格へ昇格していった。

この体験を経て、リーダーである上司の責任はとても重いことを痛感した。優秀か無能かは「誰と一緒に働くか?」によっても大きな影響を受ける。

ワークスタイルにもある向き・不向き

そして最後に「ワークスタイル」でも能力を活かせるかどうかは決まってしまう。筆者は、会社員も経営者もやってみて分かったことがある。それは人によって会社員が向いているタイプと、経営者やフリーランスが向いているタイプにわかれるということだ。

「不安定な起業なんてやるものじゃない」といったり、「満員電車に乗り、自由がないサラリーマンは奴隷だ」と揶揄する人が世の中にいるが、これは稚拙でナンセンスな議論と感じる。その人の適正によって、向いているワークスタイルが異なるという事実が存在するからだ。

以前、東大を出て一流企業に就職し、活躍して今は起業してフリーランスをしている人物とランチをしたことがあった。会社員のキャリアは華々しい経歴そのものであり、実績も出してメディアに取り上げられる「いかにもエリート」という印象を受けた。だが、彼は起業してから、それまでの活躍ほどの成果が出ていないように感じた。彼はネットで単発の仕事をいくつも請け負いながら生計を立てており、「今、本業はこれに取り組んでいる」とビジネスを見せられた。そこから月日は流れ、ある日その本業ビジネスについて調べてみると途中で進行がすっかり停止してしまっているようだった。

これは筆者の勝手な想像になってしまうが、おそらくこの人物は明確な課題を解くのは非常に得意な能力を持っていると感じる。その一方で、市場ニーズを汲み取ってビジネスの仕組みを構築する仕事には、不向きである可能性がある。与えられた課題を解く能力が求められる会社員と、ビジネスの仕組みを構築が求められる経営者・フリーランスとでは、求められる能力に大きな違いがある。そのため、十把一絡げに「経営者やフリーランスは会社員より上」などといえない理由はこの点にある。件の人物について言えば、大きな組織でチームプレーで働く方が向いていたのかもしれない。

以上、様々な職場環境の要素によって「無能か?有能か?」は作られると考える論拠を展開させてもらった。その人が優秀か、無能かは生まれつきの才能だけでは語れない。つくづく、ビジネスは奥深いと感じる。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。