慰安婦訴訟判決は何かをもたらすのか

元慰安婦が日本政府に損害賠償を訴えた第2弾裁判で原告である元慰安婦側の敗訴の判決が出ました。1月に第1弾の全く同様の裁判の判決が出た際には原告勝訴でしたので3カ月でまるでさかさまの判断が出たということになります。裁判は普通、原告と被告が闘うので判決で「〇〇勝訴」と表現するのが多いのですが、今回も日本政府は裁判に関知しないという姿勢を貫いており、出廷をしていませんので日本側勝訴という表現はふさわしくないのです。単に韓国側の独り相撲ということになります。

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1月の判決に対して、今回の判決の雲行きが怪しいことは事前にある程度見えていました。一つは1月判決の際、文大統領が「困惑している」と述べたことです。この判決はちょっと行き過ぎで裁判官の個人的感情が強すぎるとみたのでしょう。

2つ目に3月29日にソウル地裁で1月の判決の内容に関して「訴訟費用を日本政府が負担する必要はない」と判断をひっくり返したのです。その判決文では「本案訴訟(=1月訴訟判決)は日本政府の国家免除を認めず、原告勝訴判決を確定した」が「外国に対する強制執行は該当国家の主権と権威を傷つける恐れがあり、慎重なアプローチが必要」とし「同事件の訴訟費用を強制執行することになれば国際法に反する結果を招くことになる」(中央日報)と断じたのです。

更に「外国政府の財産に対する強制執行は現代文明国家の間の国家的威信に関連することで、これを強行すれば司法府の信頼を損なうなど重大な結果につながりかねない」とし「今回の事件は、記録に残されたすべての資料を見ても、国連の国家免除条約上の外国政府に対する強制執行要件を満たしていない」としています。「日本政府の財産を強制執行すれば、憲法上の国家安全保障、秩序維持、公共福利と相容れない結果に達することになる」ともあります。

長い引用をしました。これは極めて注目すべき点ですが、日本の報道はあまり指摘していないようです。まず、判断がなぜ180度変わったか、でありますが、韓国の裁判所の定期人事異動が2月にあったことが大きな判断変更の背景とみられます。ではその人事異動に何か力が加わったのか、でありますが、これは想像ですが、文大統領が国際的判断に準拠し、透明性をもっと持たせた裁判所機能を求めたのではないかと思うのです。

日韓の問題の多くは情緒法に代表される韓国裁判機能の劣化であり、国際水準からははるかに遠い状態にあったことを改善させ、日韓を含む外交問題にからみ、将来憲法裁判所を含む判決が三権分立を歪めるものであってならないとようやく気が付き始めた可能性は見て取れます。

日本の報道はこの判決で日韓関係は何も変わらない、とクールに受け止めています。もちろん、私も見た目にわかる程すぐ変わるとは思っていません。ただ、この1年以上、文大統領の苦悩を見て取る中で日本を敵に回し、自国への過信と中国との関係改善、最終的には北朝鮮までうまく取り込もうという野心がほぼ全滅したことで大統領自身に立ち位置の変化が見て取れるのです。

上記、引用文は当然ながら徴用工裁判にも適用できます。つまり、そちらでもなにか画期的な判断変更があってもおかしくない可能性が出てきたとみています。あくまでも韓国国内での司法判断ですので見守るしかないですが、もう一点、見落としてはならない判決文があります。それは「ICJ(国際司法裁判所)はほぼすべての平和条約と戦後処理慣行において、国家間で総額精算を行う場合、犠牲者一人ひとりに対する賠償は必須規範ではないと判断した」としている点です。ここまで言い切ってしまえば徴用工訴訟はひっくり返るのが前提ではないか、と言ってもおかしくないでしょう。

慰安婦問題の歴史とは日本の左派からの問題提起をきっかけとして韓国で世論を巻き込んだ論争となったものです。ただ、何度も言うように当時の事象を現代の常識や社会判断で断じることはできません。そんなことしたら日本の侍は人殺しで悪人なのか、という理論になってしまいます。時代は遡れない中で当時には必要なシステムであり、そのシステムがどう運用されていたかという話です。今となっては限られた情報の中でシステム運用の妥当性が問われたとすればそれは学者の世界の論争であって、日本軍が人道的に虐待していたような話になること自体がそもそも飛躍し、無理がある話です。

この話題にしろ徴用工問題にしろ戦後76年もたち、まだ韓国からぐずぐず言われることそのものがおかしな話です。日本側の認識は1965年に終わっているのですから。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年4月22日の記事より転載させていただきました。