国会で性別の定義変更の議論が始まろうとしている

松浦 大悟

いま国会で、実質的な性別の定義変更につながる議論が始まろうとしていることをご存じだろうか?

4月13日、LGBT議員連盟事務局長である公明党の谷合正明議員は、役員会を開いたことをツイッターで報告した。自民党案のLGBT理解増進法、野党案のLGBT差別解消法、そして性同一性障害特例法の見直しについて、今後の議論の進め方を確認したという。また、特例法の見直しには、年齢要件、非婚要件、未成年の子なし要件、手術要件、ICDに沿った名称のあり方といった論点があることを明かした。

これだけを聞いても一般の国民には何のことだかさっぱりわからないだろう。「え? LGBT法には与党案と野党案があるの? トランスジェンダーの人たちもテレビでよく見かけるようになったし、こうした政策はどんどんやってもらいたいよね」といった感想を持つ人が大半ではないだろうか。だが話はそう簡単ではない。

ADragan/iStock

2003年に成立した性同一性障害特例法は、身体的性別に違和を覚える人たちが、生殖腺を取り除く手術を行うなどの要件を満たすことで、戸籍上の性別変更を可能とした。ところが日本学術会議は、この特例法を古い制度だと断定し、廃止することを政府に提言した。もはやWHOが性同一性障害は精神疾患ではないと表明したのだから、わが国も手術要件をなくし、簡易に戸籍の性別が変えられるようにしようというのだ。身体の治療に主眼を置くのではなく、性自認のあり方に焦点を当てた人権モデルへの移行を強く要望した。

キーワードは「性自認」という概念だ。左派のLGBT団体は「性同一性」ではなく「性自認」という用語を採用してほしいと、いま必死に議員会館をロビーイングしている。それはなぜか?

もともと「性同一性」も「性自認」もGender・Identityを翻訳したものだ。しかし日本語にしたことで別のニュアンスが入り込む余地が生まれた。性同一性の「同一性」とはアイデンティティのことであり、過去も現在も未来においても、自己の性別に統一性、一貫性、持続性が求められると同時に、社会からどう見えているかが肝要になってくる。一方の性自認にはアイデンティティの意味が反映されないので、時間軸も社会軸も関係なく「自分の性別は自分で決める」という思想が侵入するようになっていった。つまり自己申告で性別の変更ができるようにするためには性自認という言葉の方が都合がよいのだ。

さて、そうするといったいどうなるだろうか。精神科医の針間克己氏は、「自称性同一性障害と本物をどう見分けるか」というタイトルでブログ記事を書いている。結論から言うと、現在においても自称と本物の鑑別は専門医であっても困難だということ。診断は彼らの主観をベースにするしかないのだから、手術要件をなくしてしまえばほぼ要求が通ってしまうことは容易に想像がつく。女性になった自分の姿に性的興奮を感じるオートガイネフィリアが、マニュアル通りの受け答えをして診断書を書かせたという話はネット上にごろごろ転がっている。精神科医は当事者から「門番」と疎まれており、GID学会では医師である理事長の解任動議が何度も出されている。しかし本当に性別を自分たちだけで決めることに問題はないのだろうか。

自己申告で性別を変えられるセルフIDを導入した海外ではすでに混乱が生じており、日本の女性たちからも不安の声が上がっている。男性器のついたトランス女性が女性専用シャワールームに入ってきても注意した人が警察に通報されたり、女性刑務所に収監された男性器のついたトランス女性が女性受刑者に性暴力を繰り返したりといったニュースは後を絶たない。

またアメリカでは、性別適合手術をしていないトランス女性が女子スポーツに出場するようになり、上位入賞を独占している。「身体的男性が身体的女性と競うことをあなたは公平と思うだろうか」と悲痛な面持ちで訴えた女子高校生アスリートに元オリンピック選手の為末大氏は驚き、「ここから連なるツイートを是非読んでください。公平性とジェンダーの自己決定は競技の場で対立するという話です」とツイッターに投稿した。

その後、ミシシッピ州では、トランス女性が公立学校の女子競技へ参加することを禁止する法律が成立。20以上の州議会で同様の措置が検討されているという。為末氏は「こうせざるを得ないと思います」と再びツイッターに書きこんだ。昔からLGBTを支援している為末氏としては、断腸の思いでの「線引き」だったのではないだろうか。

バイデン政権は、下院でトランスジェンダーなどへの差別を禁止するLGBT平等法を通過させた。だがレズビアンを公言しているプロテニス選手のナブラチロワ氏は「LGBT平等法は不平等だ」と異を唱えた。トランス女性選手が、これまでの生得的女性選手の記録を次々と塗り替えていることへの怒りからだった。バイデン大統領が強く打ち出したLGBT政策は、トランプ氏とは違う形で再びアメリカを分断させようとしている。

日本において考えなくてはならないのは温泉や銭湯の問題だ。たとえ男性器がついていようとも、法的に女性となった人を女湯から排除することは差別になるからだ。トランスジェンダー活動家は「私たちは権利を獲得してもその権利を行使することはない」というが、それは個人の善意に期待している話に過ぎない。そもそも権利を行使させないこと自体が差別に他ならない。日本学術会議は「男性器をつけて女湯に入ってくる人は刑事罰で訴えればいい」という。しかし仮に野党案であるLGBT差別解消法が成立すれば、訴えた人間が差別主義者として糾弾される可能性は高い。

LGBT差別解消法は、各地に地域協議会を作り、ご当地のLGBT団体や識者がメンバーとなり、持ち込まれた差別案件を審査する。何をもって差別とするかは明記されておらず、「女湯から排除され傷ついた」とトランス女性が駆け込んできた場合、間違いなくマスコミは大騒ぎする。協議の結果、銭湯の事業主が「シロ」と判断されても後の祭り。連日のようにワイドショーで非難された暁には、名誉の挽回などできはしない。第二の人権擁護法案といわれる所以だ。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「日本ではいまだに断種が行われている」と海外に発信している。確かに健康な体にメスを入れたくない当事者の気持ちはわかる。しかし自分の体の違和感に苦しんでいた人たちは強制されて生殖腺を除去したわけではない。外圧を利用して国内での議論を加速させようとしているのかもしれないが、手術を終えて社会に溶け込んで静かに暮らしている人まで貶める必要はない。

トランスジェンダーの人権と生得的女性の人権がバッティングしているのが今の状況だ。クィア学者は「いまだって男性器付きのトランス女性は女湯に入っているが生得的女性たちは気付かない。その程度のものだ」という主旨の発言をするがそういう問題ではない。難しい連立方程式をどう解きほぐしていくか、国民全体で知恵を出し合わなければならない。性別の再定義という大テーマを、当事者や一部の学者だけで決めていいはずがないのだから。