マニフェストからみる名古屋市政 --- 伊藤 嘉浩

4月25日は名古屋市長選挙の投開票日であった。4人が立候補したが、現職で4選を目指す河村たかし氏と名古屋市議会員を辞職して立候補した横井利明氏の、事実上の一騎打ちであった。

NHKより

河村氏は1993年に衆議院議員として政治家デビューをはたし、当選し続けている。2009年からは名古屋市長を務める。横井氏は1991年に名古屋市議会議員に初当選し、以来30年の議員経験をもつ。異なる政治キャリアを誇る2人だが、マニフェストを比較すると共通点が多い。

  1. 新型コロナウイルス対策を最優先
  2. 福祉や子育て支援、教育などに手厚い
  3. 商品券を配るなどのバラマキ政策が多い
  4. 産業政策に関する記述が薄い

コロナ対策は当然としても、両候補とも福祉や子育て支援、教育に関する項目がずらりと並ぶ。例えば、河村氏は子どもの医療費を助成し、通院・入院とも18歳まで無料とする。一方、横井氏は学校の給食費を無料とする。いずれの支持者層も有権者のボリュームゾーンである高齢者や子育て世代の女性が中心となっている。彼らに手厚く目配せして、財政出動を伴う施策が並んだ。

ポピュリズム的なバラマキ政策を強く打ち出している点も共通している。横井氏は看板政策として、全市民に商品券2万円を配布すると発表した。これまで、ポピュリズム的な政策で他を寄せ付けない強さを発揮してきた“常勝”の河村氏に対して、新人の横井氏は得票につながる施策に苦心しただろう。愛知県岡崎市の市長選挙における5万円のバラマキ批判がくすぶるなか、商品券の配布を打ち出したのは苦しまぎれであったかもしれない。それでも、横井氏は名古屋市民がなびくと考えた。

選挙において、ライバル候補の有効な政策を封じるため、同様の効果がある政策で打ち消し、争点化を防いで差がつくのを回避する戦術がある。河村氏は横井氏の政策を確認したうえで、電子マネーで買い物をしたときに2万円を上限に3割をキャッシュバックすると対抗した。岡崎市長選挙での批判をかわすため、キャッシュバックという工夫も施した。もとよりポピュリズム的な政策は河村氏の真骨頂であり、難なく争点をつぶした。

横井氏が苦しいのは、他に看板政策がみあたらないことからも推察できる。コロナの感染拡大が収まるまでという条件つきながら、河村氏の看板政策である減税を継続するとし、対立軸を示すことができない。また、市長給与については、河村氏が従来の3分の1程度となる800万円まで下げていたところに、さらに愛知県民の平均年収である544万円まで下げるとした。安値競争では勝るが、河村氏が在任12年にわたって主張してきたことの延長線上にあり、インパクトは薄い。

他にも両候補の政策には似ている項目が多く、方向性に相違がない。市民から高い評価を得ているワンコイン(500円)がん検診は継続。名古屋城の木造天守閣は復元の方向で、あいちトリエンナーレ2019に対してはいずれも否定的な姿勢をとる。官庁街である三の丸地区の開発についても推進の方向で一致している。

政策が似ていれば、現職の河村氏に有利だろう。違いがなければ議論は盛りあがらないし、政策が支持されているならそもそも市長を変える必要がない。横井氏は知名度と発信力の劣勢を挽回するため、新しい提案や魅力のある内容で市民に訴え、注目され、支持を得る機会を自らつくりださなければならないが、政策面からはうまくいっていない。

直前の報道によれば、現職が優勢とされていた。だが、どちらが選ばれても、名古屋の産業の将来については明確な方向性を打ち出すことにならない。両候補ともベテラン政治家でありながら、街の将来像やそれを支える産業の在り方を提示できていない。そこも共通している点である。

地方自治体の選挙では、経済や産業に関する主張が希薄なことがある。得票につながりにくいためだ。実際、政治関係者のなかには政策議論に価値をみとない者もいる。マニフェストで選挙をやれるわけではないし、よい政策だけでは勝てないと言い切る。選挙に深く関わるベテランほど、支持者層の関心の濃淡に影響を受けるのだろう。一方で、行政には優秀な人材もいるが、はやい人事サイクルや選挙による方針の転換が、長期的な政策を維持するのに障壁となっている。また、行政機関の性格上、機動性を欠くのは仕方がない。地方政治・地方行政においては、産業政策はおざなりにされやすいのが現状だ。

とはいえ、愛知県では現職の知事が就任して以来、一貫して明確に産業支援を重点施策としている。県と政令市が協調して地域経済を牽引するまたとない環境が整っているが、名古屋市は足並みをそろえようとはせず、地元経済界の落胆するところであった。河村氏では難しく、横井氏にしか主張できない大胆な政策提案があるとすれば、ひとつは経済・産業の未来像を示すことであったのではないか。

名古屋は中部圏経済を牽引する旗振り役を担える唯一の基礎自治体で、市単体としても近隣を巻き込んだ経済圏としても、様々な可能性に富んでいる。しかし、両候補ともその具体性に踏み込めなかった。12年間の河村市政と両候補のマニフェストをみる限りでは、地域経済圏の将来を見据えた有効な産業政策が打たれることに期待をするのは難しいようだ。

市長選後の名古屋の課題のひとつは、マニフェストに記述のない部分にあると言えるのではないか。

伊藤 嘉浩
愛知県在住46歳。同志社大学卒、元自動車部品会社職員、元経済産業省中部経済産業局職員、元出版社職員、元政策担当秘書、元シンクタンク主任研究員、元宇宙ベンチャー職員、現建設コンサルタント職員