誰にでもできる将来予想

過去のことをいろいろな立ち位置から検証し、分析することはごく普通のことです。普段から様々なシーンでそんな世界に接しています。歴史書、日記、自叙伝、ブログはその典型。仕事の分野で言えば経理の仕事は過去のお金の流れを期間ごとに一定のルールでまとめ、自分だけではなく、他人との比較もしやすくしたものです。

では将来はどうでしょうか?子供の頃の宇宙飛行士やケーキ職人になりたいといった夢は子供心の中で強い記憶とあるきっかけで興味をひいたことが印象付けされたものです。ところがそれはいかにも漠としており、自分の置かれている立場と現実にギャップが大きい場合もあります。それが中学、高校生となると現実味を帯びてきます。つまり、将来を見据えるなら、現在の自分の与件と現実を比べながら想像力を発揮するともう少しありえそうな将来像が見えてきます。

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大人の社会でもテレビなどメディアの力は人々を一定方向に導く力を持っています。古い話ですが、みのもんたさんが昼のワイドショーで取り上げた食材は夕方、八百屋から消えるといわれ、これを信じる主婦を「みのもんた教信者」と揶揄していました。これもみのさんのインプットをそのまま「正」と判断し、他の選択オプションがないまま、八百屋に突っ走るわけです。別に悪いことじゃないのですが、すこし冷静になればよいのに、と思います。同じような話は昨年のコロナでマスクが異様な高値を付けたことや、古くは70年代の石油ショック時のトイレットペーパー事件もそうでした。もっと古くは米騒動がずいぶん頻繁に起きました。つまり人間の行動は何年たっても情報化が進んでもほとんど変わっていないのです。

ではマスクがないならどうしましたか?「作る」というオプションがありました。トイレットペーパーがないならどうしましょうか?欧州にはビデというものがあったのをご存じでしょうか?下半身を洗うものです。そしてそのビデの横には必ず綿の布がついていました。つまり、洗って布で拭くということがその昔は当たり前だったのにそれが応用されなかっただけなのです。(その後、ウォッシュレットが普及したのはご承知の通り。)キャンプで火を熾そう、だけど誰もライターを持っていないならどうしますか?

私はかつてトイレに閉じ込められたことがあります。鍵が壊れたのです。ではどうやってそこから脱出したか、といえばドアノブに隠されているある秘密の穴にたまたま持っていたクリップを伸ばして差し込むとあら不思議、ドアノブは簡単に取れてしまうのです。

こんな雑学知識を含め困ったとき、どうするか考える癖をつけることが実は将来予想をするトレーニングになるのです。どういうことかと言えば人間社会は1%の考える人と99%のフォロワーで成り立っているとします。その違い何でしょうか?

考える人は現在から将来を予見するのにオプション案がたくさん思い浮かぶのです。そしてそれぞれのケースを自分なりに分析し、重みづけをします。たしか30年ぐらい前の日経新聞の週末の付録紙にある事象やトピックスに対してそれが現実に起きるか、オプションを3つならべ、それぞれの起こるであろう確率が60%、40%、20%といった具合に提示し、多分これが答えではないかと検証するコラムがありました。私はそれで学んだのです。「そうか、オプションをならべ、それを一つずつ検証すればよいのか」と。

最も難しいのはこの起こりうるべく確率の算定です。英語のprobabilityという言葉でprobable(ありそう)という形容詞の名詞形ですが、いくつかある選択肢から最もありそうなことをなるべく多くの客観性をもって自己判断するのです。そうすると得られる答えは極論にならず、かなり現実に即したものになるのです。

会社の経営者は事実から将来を予見し、そこにビジネスをシフトしていくことを求められます。私は秘書経験者ですが、トップと言えども結局、部下からの報告をもとに判断することが多かったと記憶しています。しかし、部下の報告には必ずバイアスがかかっているのです。(例えば営業案件なら無理してでも受注したいとか、研究部門なら予算が欲しいからいかにもその調査が重要だといった具合です。)そのバイアスを読み取り、経営者として判断を間違えないようにできる人が成功する経営者、部下と共に討ち死にするのができない経営者です。

以前、私は社内の人とは食事はイベント時しか食べないと申し上げました。理由はこのバイアスなのです。経営者は孤独であれ、というのはそれゆえに考え、判断が下しやすくなるのです。部下をより深く知ることも大事ですが、その部下と対立する人間、ライバル会社、産業全体、社会全体を見ると全く違った絵図が現れてきます。

残念ながら我々の社会の周りは色のついた情報だらけになりました。まずはニュースから事実の部分とそこから創作されている色を切り分け、色抜きをする癖をつけると案外、報道への接し方も変わってくるかと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年5月2日の記事より転載させていただきました。