格差問題の必然性

少し前ですが、日経に「『一億総中流』もはや過去 成長と安全網、両輪で」という記事があります。一億総中流という死語が日経あたりに出てきたのは驚きましたが、先進国で起こる経済的格差について俯瞰してみたいと思います。

rancescoch/iStock

私が80年代初頭にみた英国は見えない身分制度が社会の中に蔓延していたような国でした。労働者階級の子供は大学に行くことはなく、その子供もそのまた子供も労働者階級が当たり前という「枠組みがある世界」を知った時は衝撃でありました。英国社会は疲弊し、若者はパンクロックで不満を爆発させ、ドラッグ、酒に走ったのは夢やチャンスが少なかったからでありましょう。

私はその後、アメリカ、ニュージャージー州で「繁栄のアメリカ」を知ることになります。まだまだ輝きあるアメリカの時代です。田舎娘がブロードウェイの舞台に立つことを夢見て…と、ミュージカル「コーラスライン」は誰にでもトップになれるチャンスがあるという強烈なメッセージを発していました。しかし、そのアメリカも2010年代には「1:99」問題にみる経済格差が蔓延しました。

日本でなぜ、一億総中流が崩れたのか、見方はいろいろあるでしょう。私はその世代を目の当たりにしてきた中で「中流から上流を目指す意識が子供の世代に引き継がれなかった」ことは一つあると思っています。一億総中流と言いながらもその間、実はアリとキリギリスがそこで発生したと思うのです。

ある中流家庭は限られた給与を上手にやりくりし、自分たちの資産を形成すると同時に子供にもしっかり教育をします。ところがある中流家庭はその貰ったお金を浪費三昧で旅行や美食、新製品を買いあさり貯金はなく、生活のためにボーナスを取り崩していました。

30年もすればその格差は目に見えてはっきりします。また、しっかりした家庭では自分たちへの投資も怠らず、研究、勉強熱心で学を身に付け健康を維持します。一方、楽ちん家庭ではテレビが一日中ついています。するとどうなるでしょう?優勝劣敗です。

中国人や韓国人のケースを見てみましょう。移民のメッカ、バンクーバーには97年の香港返還を前に香港、台湾移民が大挙して押し寄せました。同じ97年、韓国からも経済危機で海外脱出組が増えました。香港、台湾、韓国から移民してきた層の親たちは優秀で働き者で家庭のこともよく考え、子供に良い教育を受けさせました。その親たちが当地に投資した少なくない事業で花が咲きました。しかし、ここにきて明らかに息切れ感があるのです。一流教育を受けた子供たちの芽が出ないのです。なぜでしょうか?

跳び箱の例が分かりやすいと思います。親の時代は跳び箱を1段目から飛びました。経済的にまだ貧しいという意味です。一段ずつ上げていき、6段、7段と飛べるようになります。それは順番を踏まえて体力増強をしてきているからです。ところがその子供が育った経済環境は既に親が作った6段目、7段目の水準です。ここからスタートするのは難しいのです。かといって1段目まで戻れないので親が援助をします。つまり、心地よく4段目ぐらいにいる、これが親の事業を引き継ぐ子供たちの事業環境だとみています。

私は大予言をしましょう。中国の繁栄はいつまで続くか、ですが、10年後には大きく変わっているかもしれないと思っています。今までのような成長が出来なくなるのです。理由はこの2-30年の中国経済成長が生んだ親と子の立ち位置の違いであります。

ここバンクーバー。相続税がない、不動産が1986年からずっと右肩上がり、資源国家で一攫千金的なところも多い、となるとその行きつくところは努力しなくてよい、であります。街には大麻ショップが煌々とネオンを付け、昼間、どう見ても働き盛りと思える人たちが犬の散歩をしています。街で働く人はアジア人を中心とした移民層。白人は何処で働いているのでしょうか?一種の先進国の疲弊だと思うのですが、残念ながら疲弊具合はともかく、白人社会同様、日本も中国も韓国も同じ罠にかかりつつあります。

社会疲弊の最先端である英国はEUから良い刺激を貰っていたのにそれをシャットアウトしたのは「中高年層が刈り取ったチャンスの芽」というのが妥当な表現でしょうか?

格差問題。落ちるところまで落ちたらまた這い上がる気が起きるかもしれません。但し、その時の競争は熾烈です。きっとインドやブラジル、アフリカ諸国の人から「昔取った杵柄、もうダメね。君たち、競争、勝てないよ!」と言われそうです。

こんなことが頭をよぎるから踏みとどまらせたい、いや、陽をまた昇らせてみたい、と思うのは私たちの世代までなのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年5月7日の記事より転載させていただきました。