初めにジェンダーがあったのか?

米保守派論客ベン・シャピ―ロ氏(Ben Shapiro)のYou Tube番組「ベン・シャピ―ロ・ショー」(Ben Shapiro Show)は時のテーマを鋭く指摘する番組として保守派系のネット世界では人気がある。彼はユダヤ系米人で、米民主党やリベラルな活動家の言動を俎上に挙げて連日、辛辣な批判を展開するので当方も時たま観ている。

ミケランジェロの作品「アダムの創造」 Wikipediaより

シャピーロ氏は「母の日」を「Happy Mother’s day 」と呼ぶところを、「Happy Birthing Person’s day」と呼ぶべきだと主張するジェンダーフリー運動の話を紹介していた。「母の日おめでとう」と言えば済むところを「出産する人々おめでとう」と呼んでいるのだ。ジェンダーフリー運動家は「母」という表現を嫌っていることが分かる。

このコラム欄で「『母乳』を『ヒューマン・ミルク』に?」2021年2月22日参考)という記事を書いたが、「母乳」とは呼ばす、「ヒューマン・ミルク」と呼ぶべきだという話だ。英国のブライトンとサセックスの両大学クリニックの産科病棟関係者は今後、性転換者に配慮するため、出産時に対してジェンダーニュートラルな用語を使用することになった。そこで大学クリニックに従事する助産師と産婦人科の医師は「母乳」という呼び方に代えて、「ヒューマン・ミルク」か「授乳中の親からのミルク」と呼ぶようになるというわけだ。それだけではない。授乳もBreastfeedingという伝統的な表現を止め、Chestfeedingと呼ばなければならない。母親は「出産する親」に、「父親」は「親」ないしは「共同養育者」に代わるべきだというのだ。

シャピーロ氏は面白い話を紹介していた。今年1月5日、米民主党会合で招かれた聖職者が祈りを頼まれた。そこで彼は祈り出したが、最後に「アーメン」と言って祈りを閉じる段階にきたら、何を考えたのか「Amen and A-Women」と言って、祈りを結んだのだ。同聖職者にとっては「アーメン」は男性格だから、女性格の「アーウーメン」と言わなければならないと考えた末の解決策だったのだろう。

シャピーロ氏は、「アーメンはヘブライ語であり、ジェンダー用語ではない。その通りだといった連帯の意思表示だ。それを差別用語と受け取って、アーウーメンと祈ったわけだ」と指摘し、笑いながら首を傾げていた。同ショー番組ではこの種の少々滑稽なトピックスが紹介されるので、米国社会を知る上で勉強になる。

米国ではリベラルなジェンダーフリー運動が広がっているが、「アーウーメン」が飛び出すほど過激化しているとは考えていなかったので、当方は正直いって驚いた。米国社会はおかしくなってきていると改めて痛感した。もちろん、「アーウーメン」と祈る人はまだ少数派だろうが、全てをジェンダーの観点からその是非を捉える思考はやはり危険ではないだろうか。

シャピーロ氏がジェンダー・フリー運動や人種差別問題で講演を頼まれた時など、警察官が同氏の身辺保護に当たる。過激なジェンダフリー運動家に襲撃される危険があるからだ。その点、カナダのトロント大学心理学教授ジョーダン・ピーターソン氏(Jordan Peterson 55)と似ている。同教授はジェンダーフリー運動の問題点を指摘するので、運動の関係者から常に狙われ、攻撃の対象となる。

欧米大学内ではジェンダー論争は大きな影響を与えている。男性と女性のジェンダーだけではなく、さまざまなジェンダーに関する表現、アイデンティティーが存在するから、相手を呼ぶ時、注意が必要となる。ピーターソン教授は、「何を言ってはならないというより、何を言うべきかと強要されるほうが人はストレスを感じるものだ」と説明していた。ジェンダーフリー運動家たちは人に「こう言うべきだ」と強いてくるのだ。

「最近は複数で相手を呼ぶ傾向が出てきた」という。どのジェンダーか分からないからだ。間違ったジェンダー表現で話しかけたら反発されてしまう。例えば、テレビのアナウンサーは「政治家たち」と複数で呼ぶ時、「Politiker Innen」(独語)と話す。両単語の間に一呼吸入れて喋る、といった具合だ。

新約聖書「ヨハネによる福音書」の最初の書き出しを思い出す。「初めに言があった。すべてのものは、これによってできた」という有名な聖句だ。欧米社会のジェンダーフリー運動をみていると、「初めにジェンダーがあった。全てはジェンダーから始まる」といった感じがする。実際、宇宙森羅万象には男性的要素(陽)と女性的要素〈陰)があって、両要素の和合を通じて、愛、美、機能が出てくる。その意味で「全てはジェンダーから始まった」という表現は間違いではない。

しかし、陽陰で構成されてきた言葉(ロゴス)が対立し、いがみ合えば、混乱をもたらす。ジェンダーフリー運動は歴史的に軽視されてきた「女性の権利」の回復に貢献したが、同時に、ここにきてロゴスの破壊を生み出してきているのを感じる。なぜならば、男性、女性といった性別に拘る一方、その性差を明確にする言葉、表現、その内容に対しては激しく拒絶反応を示しているからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年5月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。