中国の「食糧安全保障」政策に警戒を

安全保障問題と言えば、多くは軍事的な危機管理の観点から理解するが、国民が日々摂る食糧の確保も安全保障問題だ。日本農林水産省の公式サイトによると、「食料は人間の生命の維持に欠くことができないものであるだけでなく、健康で充実した生活の基礎として重要なものだ。全ての国民が、将来にわたって良質な食料を合理的な価格で入手できるようにすることは、国の基本的な責務」と明記している。

世界の「食糧安保政策」を調査するFAO FAO公式サイトより

具体的には、平成11年7月に公布・施行された「食料・農業・農村基本法」に基づき、国内の農業生産の増大を図る一方、不足分を輸入及び備蓄で対応し、食料の安定的な供給を確保していくことになるわけだ。世界的に人口増加による食料需要の増大、気候変動による生産減少など、国内外の様々な要因によって食料供給は影響を受けるから、国は常に食料の安定供給に心を配らなくてはならないわけだ。

日本は食糧の60%以上を海外から輸入している。食糧輸入国だ。だから、世界の食糧事情を理解し、緊急時には対応しなけばならない。その意味からも、世界の食糧問題は日本の国家安全保障となるわけだ。

スイス放送協会のウエブサイト「スイス・インフォ」(5月7日)から興味深いニュースが配信されてきた。中国の食糧事情だ。中国は耕作可能な土地は世界の1割しか占めていないが、人口では世界の2割を占めている。国が養わなけれならない国民の数が収穫できる耕作地の2倍以上だ。その結果、中国は必然的に日本と同様、食糧輸入国とならざるを得ないのだ。

中国国家統計局は11日、2020年に実施した国勢調査の結果、中国の総人口(香港とマカオ、台湾除く)が14億1178万人だったと発表した。10年間で7206万人増だ。14億人の国民を養わなければならない中国にとって、安全な食糧確保は国の最大課題だろう。同時に、中国の食糧事情は世界にも大きな影響を及ぼすことになるから、世界各地で食糧争いが生まれる危険性が出てくるわけだ。

ちなみに、中国は1979年から一人っ子政策を実施し、人口増大の抑制に乗り出したが、これは食糧安全保障の観点から避けられない政策であったことが理解できる。ただし、中国は2016年から二人っ子政策に修正し、国民の願いに応えている。

中国共産党政権は軍事力の強化と共に、それを支える国民経済の安定成長のために、エネルギー確保と安定した食糧供給が国家の命運をかけてのテーマとなる。習近平国家主席が提唱した「一帯一路」プロジェクトの狙いはその点にあるのだろう。

スイス・インフォは、「中国は約14億人の自家用車や他の消費財に対する購買欲拡大にとどまらず、肉や乳製品をより多く摂る食生活への変化によって、大豆、牛乳、穀物の需要も高まっている。中国国内の牛肉の消費量は19年に11%増加し、同年の輸入量は60%も増えた」と報じ、中国国民の食嗜好の変化を指摘している。

それでは、中国はその食糧安全保障のために如何なる政策を実施しているのか。スイス・インフォの記事によると、中国の国有食料最大手「中糧集団」(COFCO)はスイス・ジュネーブに拠点を置く同社の貿易部門「中糧国際」(CIL)と国内の複数の事業部門を統合した新会社を設立する動きを見せているというのだ。その統合が進めば、世界の穀物取引の9割を支配する4大メジャー、米アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM)、ブンゲ、カーギル、仏ルイ・ドレフュス(LDC)にとっても将来、脅威となってくる。米ブルームバーグ通信によると、「この事業統合は今年末か来年に予定されている上海での上場に先行するもので、新会社の企業評価額は約50億ドルと試算されている」という。

スイス・インフォによると、「CILは19年、農産品の取扱量1億1400万トンから310億ドルの収益を上げた。カーギルは1140億ドル、LDCは360億ドルだった。COFCOは当初、20年までに市場のリーティングカンパニーになるという野望を持っていたが、達成できなかった」という。世界の食糧市場のトップになるためにはまだ時間がかるわけだ。

中国共産党政権は2年前、ローマに本部を置く国連食糧農業機関(FAO)の事務局長ポストを握るために積極的な外交戦を展開させた。その結果、2019年6月23日、第41会期総会で新事務局長に中国の屈冬玉・農業農村省次官が選出された。191カ国が投票し、屈冬玉氏が当選に必要な過半数を超える108票を獲得し、第1回投票で対抗馬のフランスのカテリーネ・ジャラン・ラネェール女史(71票)を破り当選したのだ。

中国は世界の食糧事情を考慮し、FAOを重要な国連機関と考え、FAOを通じて世界の食糧事情を掌握していく意向だろう。その前線で戦っているのが中国最大手のCOFCOだ。COFCOは豊かな資本と国家からの支援を受け、欧米の食糧関連会社をM&A(企業合併・買収)を通じてその支配下に置き、パワーをアップしてきているわけだ。

当方はこのコラム欄で「中国共産党の国連支配を阻止せよ」(2019年6月10日参考)と警告したが、中国の国連支配は既に現実となっている。国連専門機関の人事を握り、そして「食糧安全保障」の強化に向けて国有企業が総動員されていることが分かる。

中国共産党政権の計画的、戦略的な経済活動、外交は世界制覇に向け着実に進行しているのだ。米国や日本など欧米社会が中国の軍事力の増強、宇宙開発といった側面に目を奪われている時、彼らは国家存続のため食糧確保を重視し、先手を打っている。

人類は過去、食糧、水源の獲得から始まり、領土の拡大、核兵器製造など軍事力の強化まで、その存続と勢力拡張のために戦争を繰返してきた。そして21世紀、人類は再び食糧争いを引き起こす危険性が出てきている。その際、人口最大の中国の「食糧安全保障」政策が大きな影響を及ぼすことは間違いない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年5月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。