跋扈する政治屋から日本を守らなければ。

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・40歳)です。

Torsakarin/iStock

その設定は合っているのか

今回の緊急事態宣言延長に際して、私は大胆にグレートリセットをしなければならないと実感しています。これは過激な事を言っているのではなく、昨年3月のダイヤモンドプリンセス号の頃から報道姿勢が変わらない事。しいては広くコロナと向き合う姿勢についての設定が変更されていない“コロナ専門家”など全ての立ち位置を見直す必要があると考えます。更には感染症分類、PCR検査のありかなど様々な設定を国民全体で見つめなければなりません。

政府コロナ対策が見えていない

読売新聞社が5月7~9日に実施した全国世論調査で、政府のコロナ対応を「評価する」との回答は23%(前回4月2~4日調査35%)に下がり、同様の質問をした昨年2月以降で最低で、「評価しない」は68%(同59%)と最も高い数字となりました。

ところが、西村大臣らがTVに出ては様々な経済対策などを説明している通り、公的融資もはじめ前例の無い規模の財政出動です。NHK日曜討論で大臣は「雇用調整助成金、休業になってもしっかりと企業に払って頂く為に、パートの方も含めて1人一日15,000円を国が全額出しています。さらに休業手当を出して頂けない方には、御自身で申請して頂く事になるが休業支援金も6千億円用意しています。」と語っていたのですが、こういう制度が国民に伝わっていない事も世論調査結果に繋がっているのではないでしょうか。

隣にいるのは政治家?政治屋?

そんな折、私にはアメリカの政治家であったジェームズ・ポール・クラークの言葉が刺さります。

『A politician thinks of the next election and a statesman thinks of the next generation.』

政治屋(politician)は次の選挙のことを考える。政治家(statesman)は次の世代のことを考える。

Wikipediaより引用

私は2005年から数年の間でしたが小野晋也氏(元自民党代議士)の下に毎週通い、現代社会の風に流されずに物事の本質を見極める力を身に付けたいと学んでおりました。これは政治哲学だけでなく、より広く深く。アラン、ラッセル、ヒルティの幸福論もあれば、佐藤一斎、山田方谷、陽明学など洋の東西を問わずに、毎週毎週、レポートを書いておりました。今年のゴールデンウィーク中に、コロナ禍で今、私は何を為すべきかを見つめ直そうと、当時の資料を引っ張り出しノートなどを読み返したのでありました。小野氏自身が「真の政治家になる為には、永田町の論理ではダメだ。人材育成だ。」と2009年総選挙を出馬せずに四国を拠点とする人材育成活動へと道を変えたので少なくとも12年以上前のノートが混迷の時代に響きました。

時世をイラストと短歌で綴るイラ短日記を代議士時代からずっと続けている

自らはどうだろうか?

そこに記されてあったのが、上記クラークの言葉です。

私は今、YouTubeを中心としたSNS発信に力を入れ、地場では墨田区議会議員と共に「制度と制度の隙間で困ってらっしゃる方」への策を日々考えています。その中で、常に今の国政、都政への怒りや不満を頂く事になります。コロナ対策は大きく分ければ「医療政策」と「経済政策」です。その中でも、病院機能の強化、保健所機能の強化、ワクチン供給体制整備などなど多くの必須項目があり、経済も休業協力金、雇用調整助成金、感染症対策、各給付金などなど細分化されていきます。日本国民お一人お一人の考え方が異なり、大切だと思う観点も異なります。

ですから、一気に万人受けするコロナ対策はこの期に及んでは成立し得ないと言えます。にも関わらず、マスコミやTVコメンテーターは分かりやすい一部の成果を求め騒ぎます。そこで大切な事は政治家と国民との十分なコミュニケーションなのに、そに向き合わない為政者が問題です。小池知事は「“もっと強く言え”と言われたので、強く言わせていただきます。若者の皆さん、どうぞ遊びに出ないで。」と会見で発言しました。果たして、これは正しいのか?ここまでくれば「若者が」とか「高齢者が」という次元ではないわけです。高齢者でも外で集まって騒いでいる姿を見かけます。

決めない政治に極論が拍車をかける分断

病院もそうです。医師会が悪いとか、民間病院が悪いではなく、コロナ重症患者を「受け入れる病院」「受け入れない病院」で分類し、その原因を丁寧に国民に伝えるべきです。各地域医師会はワクチン接種体制なども積極的に動いて下さっています。私の墨田区では、医師会が動く事で「転院調整」を軸する「地域完結型」を年末年始から既に行えています。本質的には「大学医局制度」「労働組合」などの霞ヶ関や東京都庁がアンタッチャブルにしてしまっている既存体質があります。都立病院のコロナ重点化を私が提言した際も、関係者から懸念事項として私に言ってきた方が複数いたのも事実です。それでも、政治や行政が本気で向き合えば、医療人は絶対に動いてくれる。知事に決断を迫るべきだと何度も都立病院を管理する病院経営本部に強く迫ったものです。

オリンピックの開催についても同様です。扇動としか捉えられない「人命より五輪か」の究極の投げかけ。これに「人命より五輪だ」と答える人は皆無でしょう。では、ワクチンはいつまでに全国に行き渡り、少なくとも高齢者はいつまでに接種できるのか?海外からの選手管理はどうするか?緊急自体宣言していながら、聖火リレーや札幌ハーフマラソンやるって何だ?という問いに対して、携わる政治家が対処できていないのが問題ではないでしょうか。当然、難癖をつけるだけのクレーマーは別として、説明に説明を重ねる事こそが「安全安心」の第一歩だと思うのです。私は森前会長の一件、開閉会式演出・佐々木宏さんの一件などが出て世間が「五輪下げ」に進む度に、自分は2009年10月の16年招致に敗れてから始まる20年大会の招致・準備に費やしてきた10年以上の月日は何だったんだろうと自問自答を繰り返していますが、それでも、様々な場面で説明責任は果たそうと努力を重ねております。これをやらない政治家が多過ぎなのも苛立ちます。

「酒を出してはいけません」という飲食店に対してや、東京なら「デパート」「映画館」等のみを国が示した時短基準と変えて全面的に休業するという理由の説明が十分になされていません。これでは、当該事業者も都民も納得しません。ましてや、本件については都庁クラブ記者でさえ東京都側の説明に理解できず、記者説明の場では再質問が繰り返されていたと聞いています。お上の方針を「無条件で飲め」「営業補償はしないけど、これは知事の法律に基づく要請だ」という対応は、先のグローバルダイニングでの一件でも証明された小池都政の傲慢な姿勢だと誰もが感じたわけです。

対話、調和の政治

だからこそ、複雑に絡み合う諸問題を丁寧に政治家が説明していく。そこには国会議員とか都議会議員とか区議会議員とか関係ありません。少なくとも、誰よりも行政にアプローチが出来るのです。私自身も、小池知事の政策決定プロセスに疑義は多いし、一部の側近だけの囁きに反応する事にも不満はありますが、それも含めて「都政人」としてやるべき説明責任は果たす所存です。当然、その中において、政府にも都知事にも改善要望は適宜行っていくつもりです。

高次元に及ぶ連立方程式のようなものであり、これを「1+1=2」にように簡単な算数で表すかのような政治屋や活動家の言説には本当に注意していかなければなりません。間違った分かりやすさが日本を確実に間違った方向へ導きます。コロナ対応で、大多数が納得されていない現状だからこそ、ポピュリズムに負けない、強くて、きめ細かい、柔よく剛を制すような調和の政治家を私は実践していきたいと考えています。