障害の有無で命の重さが変わることのない社会に

kamisoka/iStock

大阪市生野区で発生した小学生の死亡事故の民事裁判で起こった差別とは?

2018年2月1日に、大阪市生野区の交差点でホイールローダー(トラクターショベルのうち、車輪で走行するもの)が歩道に突っ込み、下校中の大阪府立生野聴覚支援学校5年、井出安優香(あゆか)さん(当時11)ら5人が死傷する大変痛ましい事故が起きました。ニュースで事故を知った当時は、同じ障害を持つものとして、大変残念な思いをしました。そして、3年経った今、安優香さんの両親は、ホイールローダーを運転していた男性の勤務先の建設会社に対して損害賠償を求めた民事裁判で新たな差別を受けて、苦しめられ傷つけられています。

交通事故により亡くなられた安優香さん(父親の努さん提供)

安優香さんが小学部の先生や友達と下校途中、大阪府立生野聴覚支援学校前の横断歩道の前で信号待ちをしていたところ、道路工事中のホイールローダーが突然暴走し、至近距離から突っ込んできました。突然のことで、回避することもできず、また、一緒にいた聞こえる先生も守ることもできないほど、あっという間の出来事だったといいます。この事故で安優香さんが亡くなり、一緒にいた児童2人と先生2人も重傷を負いました。被害を受けた児童と先生らには何の過失もありませんでした。それどころが、加害者は持病を隠していたのです。

 

■持病を隠していた加害者は刑事裁判で懲役7年の判決

自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)などの罪で起訴された加害者の男(当時36)は、意識を失うような発作がいつ起こるかわからない「難治てんかん」という脳の持病を持っていました。このため、医師や家族は再三「運転しないように」と注意していましたが、加害者はそれを隠して、仕事で重機の運転を続けていたのです。今回の事件前にも当て逃げ、人身事故、物損事故などを起こしていたそうです。

大阪地裁は、『本件事故当時は、てんかん発作で意識を喪失していた』と認定し、『てんかんの危険性を軽視していたと言わざるを得ず、厳しい非難に値する』として、危険運転致死傷罪の成立を認め、2019年3月、懲役7年(求刑懲役10年)の実刑判決を言い渡しました。

■社会的責任を求めて民事裁判へ

刑事裁判で実刑判決が確定後、1年経った昨年3月、井出さん夫妻は加害者と勤務先を相手取り、損害賠償を求める民事裁判を起こしました。父親の努さん(48)は、民事裁判にあたってこう語っていました。

「加害者は事故後に解雇になっているが、会社は社会的責任を取るべき。私たちが第一に求めているのはお金ではない。」(日本聴力障害新聞 2021年4月1日付より)

ところがこの裁判の中で、井出さん夫妻はさらに苦しめられ、傷つけられることになったのです。

■安優香さんの生涯の収入見込額はきこえる女性の40%?

被告側は、安優香さんが生まれつき聴覚障害を持っていることから、得られなくなったと想定される生涯の収入見込額である『逸失利益』について、一般女性の40%で計算すべきだと主張してきました。

逸失利益の算定方法の根拠として、「9歳の壁により、聞こえるものと比べて、思考力・言語力・学力を獲得するのが難しく、就職やキャリアアップに影響を及ぼす。このため、聴覚障害者が得られる賃金は低廉なものとなる」としています。

■障害者の可能性を極めて低く評価することが差別行為

社会的弱者が交通事故に遭った場合、一般の方と比較して、得られなくなったと想定される収入である「逸失利益」が低目に見積もられることは頻繁に起きています。しかし、今回の事故で、逸失利益の算定において、障害を理由に一般の方の40%としていることは、障害者の可能性を極めて低く評価しており、明らかに差別と言える行為です。

9歳の壁とは、この時期の子ども達がつまずきや劣等感を抱いたり、自己肯定感が持ちづらくなったりする発達上の現象のことです。これは、教育環境によるものが大きいとされており、聞こえる・聞こえないなどの障害の有無はほとんど関係ありません。

私はこの9歳の壁を乗り越えたきこえない人をたくさん知っていますし、逆に、きこえる人の中にも乗り越えられなかった人を何人か知っています。このように、9歳の壁を乗り越えられるかどうかは、教育環境によるものが大きく、安優香さんが通っていた聴覚支援学校では、このための取り組みを充実させているそうです。聴覚障害児の教育はかなり進んできていますし、社会の理解や配慮も増え、就職率も高くなってきています。9歳の壁を乗り越えられないという事態はほとんどないと考えられます。

■障害者の可能性が広がっていく現代

障害者が働きやすくなる環境は今後、改善されていくことが想定されます。
民間企業に合理的配慮の提供を義務づける「改正障害者差別解消法」がまもなく成立する見込みですし、5月12日に成立した「デジタル社会形成基本法案」には、デジタル社会の形成にあたり「障害の有無等の心身の状態」が格差につながらないよう、是正を図ることが盛り込まれました。法律や制度が、障害者の可能性を拓く方向へと変化する中、被告側の逸失利益の算出は妥当ではないと考えられます。

弁護団の一人で聴覚障害を持つ田門浩弁護士は、こう語ります。

「今回の裁判では、被害者が将来就職したらどの程度の収入が得られる見込みがあったかが大きな争点となっています。障害のない人々の間では、過去に、裁判所が認める賠償額について、男女間で格差がありました。被害者が男子である場合と女子である場合とで裁判所が認める賠償額が違っており、これが男女差別ではないかという問題提起がなされていました。現在は、裁判官も、女子の就労をめぐる法制度、社会情勢等の変化を考慮するようになっていて、賠償額について男女格差は解消されつつあります。この考え方からいくと、障害者についても、現在、法制度、社会情勢や教育方法が変化しているので、これを考慮するのは当然ではないでしょうか」

■数えきれない被害者を生み出す交通事故

父親の努さんは、ジャーナリストの柳原三佳さんの取材に対して、悔しさを込めながらこう語っています。

「娘は11年間、必死に努力し、頑張ってきました。将来、たくさんの可能性を秘めていました。にもかかわらず、民事裁判で『聴覚障害があるため、逸失利益は、一般の方と比べて40%である』と差別され、親としてどうしても黙っていることはできません」

次回の口頭弁論は、5月26日10時から、大阪地裁で開かれます。弁護団は安優香さんの生前の学習ノートなどから、「聴覚障害があっても、きちんと言語能力を獲得し、可能性を秘めており、将来性のある子どもだ」という客観的な意見を持って、反論していく予定とのことです。

公明正大な判断が行われるべき裁判でなぜこのような主張がされるのか驚きを禁じ得ません。このような偏った見方や誤解は、今後の裁判にて是正されなくてはなりません。

父親の努さんは、今回の事件について、こう語っていました。

「加害者は、虚偽の申請で運転免許を更新し、当て逃げ事故や人身事故を犯し、娘の命まで奪ったのです。時間が経てば、悲しみは薄れると言われますが、私たちの悲しみは、時間が経つ程に深まるばかりです。涙も枯れることがありません。私たち家族は、この悲しみと、一生、向き合っていかなければなりません」

「この事件で怪我をした学校の先生は、自らも一生忘れる事の出来ない恐怖と傷を背負っただけでなく、大事な教え子の命を救えなかったという自責の念に苦しんでおられます。また、悲惨な事件現場へ救助に行き、変わり果てた教え子の姿を見た先生や、安優香と関わりが深かった先生の中にも、事件のショックからPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいる先生もいます。この事件には、私たちだけでなく、数えきれない程の被害者がいるのです」

一生懸命に言語を獲得し社会で生きていくすべを教えてきたご両親や先生たちの努力や想い、そして、何よりも将来の夢を断たれた安優香さんの想いを汲んで、正しい司法の判断が下されることを心から願っています。

※事故の詳細については、ジャーナリスト柳原三佳様の「聴覚・視覚障害の弁護士たちが立ち上った! 難聴の11歳女児死亡事故裁判に異議(掲載先:Yahoo!ニュース)」を一部引用いたしました。

【6月14日:追記】
5/27に、公益社団法人・大阪聴力障害者協会は、下記の声明を出し、大阪府立生野聴覚支援学校生徒事故の公正な判決を求める要請署名運動を開始しました。わずか4日で、当初の目標だった10,000筆を達成し、6/13時点では、16,000筆の署名が集まっています。

被告側は、井出安優香さんが聴覚障害者であることを理由に逸失利益(生涯の収入見込み額)の基礎収入を、きこえる女性労働者の40パーセントとすべき、理由として聴覚障害者の思考力や言語力・学力は、小学校中学年の水準に留まると主張しています。被告側の主張は障害を持つ全ての人に対する侮辱で、聴覚障害者を含めたすべての障害者はひとりの人間として扱われないという、優生思想ともみなされる差別の問題とみています。そこで、公正な判決を求める要請署名運動を始めることになりました。

大阪府立生野聴覚支援学校生徒事故の公正な判決を求める要請署名運動へのご協力のお願い