音楽には「ジャズと他の音楽が存在」

ラジオでジャズの番組を聴いていた時、オーストリアのジャズ音楽家が「音楽には2種類ある。ジャズと他の音楽だ」と説明していた。うまいことをいうものだと感心した。彼はジャズ音楽家だから、音楽と言えばまずジャズ音楽だ。クラシック音楽やポップ音楽ではない。彼がジャズ音楽を最初に挙げたのは当然だが、他の音楽分野を批判したり、貶したりぜす、「ジャズ以外の音楽」という意味で「他の音楽」に述べ、礼を尽くしているわけだ。

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「他の音楽」だけではない。「他の国々」そして「他の惑星」といった具合に多くの分野でもいえる表現だ。当方がジャズ音楽家の表現になぜ感動したかといえば、自身のアイデンティティと他者のアイデンティティへの明確な一線をひく一方、他のアイデンティティへの尊敬心が含まれている表現と感じたからだ。大げさな表現となるが、「他の……」の名誉回復ともいえる。

少々哲学的になるが、「私という存在」に対し、「無数の他の個」が存在するが、それは本来、対立する関係ではなく、共栄共存の関係と考えることで、「無数の他の個」に対するシンパシー、エンパシーを感じることができるのではないか。

ジャズ音楽家が、「僕は音楽と言えばジャズしか考えられない。クラシック音楽は時代遅れであり、ポップはカオスだ」といえば、「彼はジャズ音楽一筋の音楽家であることは分かる一方、ベートゥーベンやモーツァルトはあまり好きではなく、ポップには敵意すら感じているミュージシャンではないか」といった印象を受けるだろう。前出の彼はジャズ音楽が大好きという自身の世界を正直に言う一方、それ以外の他の音楽の分野にも一定の尊敬心を払うことを忘れていないのだ。些細なことかもしれないが、「他の音楽」という音楽家の表現力に感動した所以だ。

当方は日本人だから、日本人が大好きだといっても批判を受けることはないだろうが、「日本が大好きで、他の国、韓国や中国は嫌いだ」と答えれば、それを聞いた人は「この人はナショナリストだ」と受け取られるか、せいぜい愛国者だと受け取られるだけだろう。

同じような内容について、欧米社会で保守系の若者たちに最も注目されているカナダのトロント大学心理学教授ジョーダン・ピーターソン氏はYouTube番組で「私と他の人々」という表現を殊更強調する。自分はあくまでも他の無数の「私」が存在して初めて存在できるという前提があるからだろう。アイデンティティの問題だが、同氏は自分のアイデンティティを守る一方、自分と同じように他のアイデンティティにも一定の理解と尊敬心を払っているわけだ。

このコラム欄で何度も引用したことだが、ピーターソン教授は、「何を言ってはならないというより、何を言うべきかと強要されるほうが人はストレスを感じる」と説明していた。ジェンダーフリー運動家たちが人に「こう言うべきだ」と強いてくることに強い抵抗を覚えている。先のジャズ音楽家が、「音楽の中でジャズ音楽が一番だ。君たちもジャズ音楽を聴きたまえ」といったら、抵抗を覚える人がでてくるだろう。同じことだ。

さて、いつものように前口上が長くなったが、米プリンストン大学のハロルド・ジェームズ教授は、「われわれは急激な科学技術と経済変遷に直面する一方、資本主義が世界的にその魅力を失ってきているのを体験している」と述べている。興味深い点は、アンチ資本主義は本来左派陣営から聞こえだすものだが、ポピュリズムの極右陣営から飛び出してきたことだ。グローバリゼーションは結局は貧富の格差を拡大させただけで、一部の資本家、大企業だけが利益を得た、といった声が極左だけではなく、極右の両陣営から出てきているのだ。換言すれば、世界のグローバル化では勝利者は一人であり、他は敗北者だという苦い思いだ。

時代を逆行できないように、グローバリゼーションは逆行できない。コンピューターや人工知能、インターネットのIT技術は日々急速に発展している。ジェームズ教授は、「近い将来、銀行は消えていくだろう。銀行業務はオンラインプラットフォ―ムで代行されていくからだ」と予想している。資本主義経済の要だった銀行がそのプレゼンスを失っていくと予測しているのだ。

資本主義、そして共産主義が現れ、後者が姿を消すとリベラル主義とグローバリゼーションが主導権を握ったが、ここにきてアンチ資本主義、反グローバル、反リベラルの動きが出てきた。誰が最後に笑うだろうか。グローバルな風に乗って大儲けした一握りの大資本家か、それともIT革命と人工知能の時代を先駆けて切り開いた人間たちだろうか。

一部の経済学者、社会学者はコロナ禍を「創造的破壊」と受け取り、新しい世界秩序の建設を主張し、知識人の中には過去の大恐慌などを例に挙げ、現在が「グレート・リセット」(Great Reset)の時だと主張している。

ユバル・ノア・ハラリ氏 Wikipediaより

世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari)は独週刊誌シュピーゲル(2017年3月18日号)のインタビューの中で、「人類(ホモ・サピエンス)は長い歴史を経ながらさまざまな進化を重ねてきた。ネアンデルタール人、ホモ・エレクトス、ホモ・デニソワ人を経て、ホモ・サピエンスが生まれ、今日まで生き残ってきた。人類の進化は続いている。科学技術の発展によって、人類は神のような存在ホモデウスに進化していく」と主張し、注目を呼んでいる。ニーチェの「超人」を思い出させる発想だ。

同氏は、「人類はこれまで飢え、戦争、病気といった3つの人類の敵を克服してきた。紛争や飢餓は依然あるが、人類歴史上はじめて、飢えで死ぬ人より肥満が原因で死ぬ人間の数の方が多い。過去の人類史では見られなかった状況だ。2010年、世界で300万人が肥満による様々な病気で死去したが、その数は飢え、戦争、紛争、テロで亡くなった数より圧倒的に多い。欧米人にとって、コカ・コーラはアルカイダより脅威だ」と指摘する。

更に「20世紀までは労働者が社会の中心的役割を果たしたが、労働者という概念は今日、消滅した。新しい概念はシリコンバレーから生まれてくる。例えば、人工知能(AI)、ビックデータ、バーチャル・リアリティ(VR)、アルゴリズムなどだ。労働者という言葉はもはや聞かれない。労働者が今も有しているのは選挙権だけだ。そしてその選挙権すら余り意味がない。世界は余りにも急速に変化しているので、人間は方向性を失ってしまった」という。

当方はこのコラム欄で「人工知能(AI)が「神」を発見する時」(2020年5月29日参考)という記事を書いた。ハラリ氏が主張するホモデウスの到来は既に到着しているのかもしれない。その時、私たちは「無用者階級」(ハラリ氏)になるか、IT技術を駆使しながら、ひたすらホモデウスへ進化していくことができるだろうか(「人類は“ホモデウス”に進化できるか」2017年3月26日参考)。

繰り返すが、IT技術がもたらしたグローバリゼーションの世界はもはや逆行できない。その時代圏で如何に私たちは自身のアイデンティティを維持しながら、時代が提供する新しい技術環境に適応していくかが問われてきている。音楽には「ジャズと他の音楽が存在する」ように、「私」というアイデンティティを見失うことなく、「他の存在」の世界(グローバリゼーション)で成長していく道を模索していかなければならない。その時、私たちは時代の指導者であるか、急速に進化するIT技術の下請け業者の地位に留まるか。その答えは、私たちのこれからの歩みにかかっているわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年5月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。