少年の不登校宣言と世阿弥が指摘した職業キャリア問題

「YouTuber・少年革命家ゆたぼん」を名乗る少年が「中学校に行く気はありませーん!」と、一部の方を刺激するようにも見える「不登校宣言」を公表してから2ヶ月が経とうとしています。しかし、大人達のリアクションの余波が止みそうにありません。

ゆたぼん氏ユーチューブチャンネルより

この件、どう捉えて良いのかと「もやもや」した気持ちになった方も多いのではないでしょうか?実は私もその一人です。さらに、あるwebメディアが、私が過去に取材を受けた記事をこの問題と結びつけて再掲したのを見つけて、何だか無視してはいけない気持ちになってしまいました。そこで、私なりの考察を寄稿させていただきました。何かの参考にでもなれば幸いです。

大人たちはいかにリアクションしたのか?

ます、主要な(と思われる)大人たちのリアクションを整理しましょう。最初に大きな話題になったリアクションとしては、「2チャンネル」や著書「1%の努力」で有名なひろゆき氏が子どもの教育と親の責任をめぐる問題提起でした。ここに、少年本人だけでなく心理カウンセラーを名乗る父が反応しました。

さながら、「父子vsひろゆき氏」の論戦が展開される様相となり、注目されました。私も次世代の育成に責任を感じている一人の国民として興味深く拝見していましたが、このストーリーはここで終わりませんでした。

一つに、学識で知られる著名人が不登校宣言を応援するかのようなコメントを発表して話題になりました。この著名人は父子と面識があるということで、一種の「ハロー効果(厚意を持つ相手をひいき目に見ること)」のようにも捉えられていましたが、次に人生観に一家言を持つとされる芸人EXIT兼近氏のコメントも話題になりました。父子はこのコメントに好意的なリアクションを示し、これもさらに話題になりました。すると、これらの議論を特集するTV番組まで制作されました。

さらに、ゆたぼんの父が選挙に出馬するという報道まで流れ、この報道に対する不登校児の親の本音を取材し特集するメディアも現れました。現在も、ネット上では父の出馬についての話題が扱われ続けているようです。

なぜ、大人たちはここまでリアクションしたのか?

ではなぜ、TV番組が制作され、父の出馬報道が出るほどに、大人たちのリアクションが加熱したのでしょうか?その一つの答えは、“「教育」は様々な価値観が錯綜する世界だから”という点にあると言えるでしょう。

近年、実証に基づく科学的な教育学も発展が著しいですが、教育は誰もが当事者を経験しています。それぞれの想いがあります。

想いは感情です。科学的な根拠や理屈だけでは語り尽くせないところも、納得できないものもあります。そのため、教育を議論すると多くの場合で「価値観vs価値観」となります。価値観に唯一の正解はありません。価値観の対立は多くの場合で対話を重ね、相互理解を目指すことになります。したがって、誰もが論客になり得るテーマなのです。

例えば、私のカウンセリングでもご夫婦の間で、あるいは義父義母との関係の中で、教育をめぐる価値観の違いをめぐるご相談が少なくありません。誰もが論客なので論争に、言い換えれば「価値観バトル」に発展しやすいのです。そこで、なかなか合意にたどり着かずにお悩みになるようです。

私にはこの度の革命家を名乗る少年の不登校宣言に端を発した一連の出来事は、ご家庭でよく起こるような論争が広く(もしかしたら日本中に?)拡大したもののように見えます。多くの人が教育をめぐる「価値観vs価値観」の対話に興味を持たざるを得なかったことでこのような展開になったのでしょう。

では、問題の本質は何なのか?

さて、教育の問題は「価値観バトル」に発展しやすいとしても、問題の本質がどこにあるのかが気になります。TVで取り上げられた議論だけでなく、ネット上でもメディアや評論家らが次々とこの問題についての議論を展開されました。

私が閲覧しただけでも、「(少年が)大人に利用されている!」、逆に「大人が(少年に)利用されている!」といった真逆の論点、さらに「問題の本質は不登校宣言を通して学校と真面目に通う生徒らを卑下したかに見えたこと」という議論もありました。

また、憲法や法律を引き合いに出す議論や、教育の責任論に注目した議論もありました。まさに議論百出と言えるようですが、多くの議論が事の本質の一端を捉えているかのように思われます。本質はそれぞれの価値観の中で見つけるものなのかもしれませんね。

ただ、ガマンして、がんばって学校に行く生徒さんや子ども、それを支える親御さんらのお気持ちを代弁したかのようなコメントは少なくとも私には説得力がありました。多くの方が時に葛藤を抱えながら学校における教育と向き合っている現状を考えると、このご意見は多くの方に納得を与えたのではないかと思います。

ですが、一つだけ、少なくとも私が拝見した限りではあまり見いだせなかった論点がありました。それは、職業キャリアの論点です。少年の将来を思い遣る論点の中に近いものが見いだせましたが、次で詳述したいと思います。

職業キャリアの視点からは何が見えるのだろうか?

少年はYouTuberを名乗り、父も少年がこの「職業」で稼いでいることを誇りにしているように報じられています。私はこれも一つの価値観かと思います。

同じく現代の職業観の一つですが、職業に貴賎はありません(現実問題として格差はありますが)。どの仕事も誰かの役に立ち、誰かを幸せにしているからそこにお金が付いています。お金がつくことで仕事は持続可能な活動となり、職業を通してお互いに幸せにし合う社会の実現へと繋がります。格差の問題は自尊心の問題を刺激するのでそちらが注目されることも多いのですが、実はどんな仕事も誰かを幸せにするという「価値の創造」が伴うから仕事になっているのです。

この度は発信力のある「少年」の刺激的な宣言が改めて教育への関心を呼び、議論を活性化し、論争というドラマを提供しました。これが誰かの幸せに結びつくかはこの先の私たちの受け取り方次第ですが、少なくとも議論を呼ぶという「価値の創造」になっていたと言えるでしょう。この観点では、少年の試みは職業として成立していたと言えます。

問題があるとしたら、持続可能性という点でしょうか。「中学校に籍がある当事者」そして「少年」という立場で発信したので注目されましたが、この立場は時間的な限りがあります。特に少年の立場については能の世阿弥の名著『風姿花伝』でも古くから示唆されていますが、同じことをするのでれば大人が行うより子どもが行うほうが注目されます。逆に言えば、大人になると子ども時代と同じやり方では価値を生み出し難くなるのです。この件が持続性なく、一時的に消費される何かになってしまうと、私は少し残念な気持ちになります。

改めて、職業とは、価値を生み出すとは…を問い直そう!

私はこの件で生み出された価値の背景にあるものに目を向けることで、改めて職業とはなにか、価値を生み出すとはなにか、そして社会とはなにか、生きるとはなにか…、と再発見するきっかけにできるのではないかと思います。少なくとも私はこうして何かの再発見と私なりの納得を得られたらと思います。

そして、YouTuberと呼ばれる方々は常に次の価値を生み出す手立てを考え続けているので、この職業を続けられるのだと思われます。どのような職業も楽をして価値を生み出せることはありません。すべてのYouTuberと呼ばれる方々が価値を生み出し続け、誰かを幸せにし続けることを応援したいと思います。

杉山崇(脳心理科学者・神奈川大学教授)
大人の杉山ゼミナール、オンラインサロン「心理マネジメントLab:幸せになれる心の使い方」ではメンバーを募集中です。心理学でもっと幸せになりたい方、誰かを幸せにしたい方、心理に関わるお仕事をなさる方(公認心理師、キャリアコンサルタント、医師、など)が集って、脳と心、そしてより良い生き方について語り合っています。