山谷えり子議員のLGBT発言は差別だったのか

松浦 大悟

takasuu/iStock

自民党の山谷えり子参議院議員が差別発言を行ったとマスコミは連日報道しているが、果たしてそれは本当だろうか。拙稿ではゲイの当事者である筆者が山谷議員の発言を検証しながら、LGBT問題について再度考察してみたい。

5月14日、立憲民主党は、超党派「LGBTに関する課題を考える議員連盟」での与野党協議で、自民党案のLGBT理解増進法に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」との文言を盛り込むよう要請。これを受けて自民党は20日、性的指向・性自認に関する特命委員会と内閣第1部会との合同会議を開いたのだが慎重論が続出し、了承は見送られた。その後の記者からの取材で、山谷議員は「アメリカでは学校のトイレで、いろんなPTAで問題になったり、女子の競技に男性の方が心が女性だからといって参加してメダルを取ったり、そういう不条理なこともある」と答え、「性自認」という概念に基づく法律を施行した場合どのような社会現象が起こるか海外から学ぶ必要性があると訴えたのだった。

以前筆者がアゴラに寄稿した通り、性別適合手術を受けなくても性別変更できる国は40以上あり、そのことによって混乱が生じているのは事実だ。山谷議員の言葉はまさにこうした問題意識を反映したものだったといえる。

今回の騒動は右派VS左派の構図で捉えられるものではない。90年代の性教育に対するバックラッシュとも質が異なる。なぜならこれはトランスジェンダーの人たちを排除しようといった話ではなく、トランスジェンダリズム(「私の性別は私が決める」というイデオロギー)への異議申し立てだからである。

法的性別を「自認」に依存させるやり方には抵抗感があると、多くの生得的女性たちも非難の声を上げている。その中には共産党を支持している女性たちもいる。そしてポイントは、少なくないトランスジェンダー当事者がトランスジェンダリズムを推し進める学者や活動家に「それはおかしい」と反対していることだ。

日本の研究者の中には、不信感を抱く保守層を懐柔するために「性自認が男性の女装家はトランスジェンダーには含まれない」と説明する人もいる。しかし、それは単なる自説に過ぎず、国内での共通認識になっていないばかりか海外では差別発言となることに気づいていない。こちらの国連人権高等弁務官事務所のサイトを翻訳した画像を見てほしい。

国連の定義では、クロスドレッサー(女装)もトランスジェンダーとして分類されていることが確認できる。そもそもトランスジェンダーコミュニティの始祖ヴァージニア・プリンスは二回女性と結婚している異性愛者のクロスドレッサーだったわけで、「彼女のようなタイプはトランスジェンダーではない」などという主張が海外メディアで伝えられれば大変なことになるだろう。

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法改正をして自己申請で戸籍の性別変更ができるようにしたい人たちは問題を覆い隠すことに必死で、たびたび論理矛盾に陥っているように思う。例えば毎日新聞は人権派弁護士のこんなコメントを紹介している。

「トランスジェンダーかどうかは、性別変更の有無やホルモン治療歴などを調べればすぐにわかります。実際に男性が女性のふりをして施設に不法侵入するケースがあったとしても、トランスジェンダーとは切り離して議論すべきです」

これに対して武蔵大学の千田有紀教授は、自らのFacebookで次のように不快感を表明している。

トランスジェンダーを性別変更の有無やホルモン治療歴で他者が判別するのって、差別に当たりませんか?あくまでもそのひとが、どのような性自認(gender Identity)を持つのかを尊重することが大切であって、他者が「あなたは本当のトランスジェンダーじゃない」とか決めつけるのって、差別なのでは?例えば安冨歩氏は、この定義だとトランスジェンダーから外れてしまうけれども、彼女が自身を「女性」だと認識している限り、私は尊重すべきだと思いますけど。

つまり彼らは、事の本質から国民の目をそらせようとするあまり、トランス当事者の中に新たな分断線を引いてしまっているのだ。

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では、どうするか。簡単に答えの出る問題ではないが、筆者はEテレの『バリバラ10年目SP #2自分らしさって!?多様な性と多様性』で特集されたタレントのはるな愛さんの生き方が一つのヒントになると感じる。

NHKより

子どもの頃から男として生まれたことに違和感があったはるなさんは、高校中退後、女性として生きると決心。ショービジネスの世界へ飛び込み、性別適合手術も受けた。タイで行われたトランスジェンダー女性のコンテストでは世界一になり、多くの当事者に感動を与えてきた。

ところが彼女は、「性別適合手術をしたら悩み事が無くなると考えていたけど、生理がくるわけでないし、本当の女の子の体にはなれないとわかった」と心境を吐露。「大西賢示」として生きてきた過去も自分の中の大切な部分だと明かす。

そして、「お仕事で男性の服装をする機会があったのね。そうしたら、目線まで男みたいになって女の子のミニスカートに目が行ったりしたの」と、最近では女性との恋愛も意識するようになったことを告白する。

そう、はるなさんの性自認は揺らいでいるのだ。戸籍上の名前は本名の大西賢示のままで、性別も変更していないはるなさんは、「トランスジェンダー=“女にないたい人”と見られることが生きづらさにつながっている。自分は自分らしく生きられていないのかも」と、社会と個人のより良い関係性について考えを巡らせる。

トランス男性は社会のなかで男性として認められたいと願っている。トランス女性は社会のなかで女性として認められたいと願っている。

しかしながら日本学術会議の提言に従って法律を制定すれば、どんなに頑張って性自認だけで戸籍を変えたとしても女性器/男性器を除去していない以上は男湯/女湯を利用することはできない。これはトランスジェンダーにとってみれば「あなたは本物の男/女ではない」と国民全体から言われていることと等しい。

こんな悲しい法改正があっていいのかと思う。重ねて罪深いと感じるのは、学者たちは自らの手は汚さず、銭湯や温泉の事業者に、浴場の入り口で性別適合手術をしているかどうかをチェックする差別を担わせること。トランスジェンダーに寄り添ったつもりが、逆に差別を生み出す結果になっている。

わが国が取り得る選択肢はひとつではない。

はるな愛さんは、トランスジェンダー=“女になりたい人”と見られることが生きづらさにつながっていると述べた。もしそうだとしたら、無理に戸籍の書き換えを目指さなくてもトランスジェンダーがトランスジェンダーのままで生き生きと暮らせる社会の在り方を我々は模索すべきではないのか。

もちろんこれは、性同一性障害のように身体に何とも言えない違和を抱えている人たちの適合手術を阻むものではない。ホルモン療法の保険適用の実現に水を差すものでもない。これまで「差別だ!」と封じられてきた議論の中にも見るべきものがあるのではないかという提案だ。

差別は絶対に許してはならない。その意味でLGBTが「生物学上、種の保存に背く」と発言した自民党議員には猛省を促したい。ただし、左派にも似たような考えが存在することは指摘しておきたい。

人権NGOヒューマン・ライツ・ウオッチは、性別適合手術のことを「断種」と呼び、日本はこんな野蛮な国だと海外に向けて発信している。欧米では女性から男性になったトランスジェンダーが妊娠出産したケースが複数あり、自分たちも生殖の権利は手放さないということだろうが、(再)生産性の信仰に根差している点において「種の保存」のロジックと違いはない。

性的マイノリティの欲望がヘテロセクシュアルと同型である必要はない。せっかくLGBTに生まれたのだから、社会の持続可能性を横目でにらみつつも、生殖未来主義とは違うオルタナティブな価値観を築いていけたら最高である。