ドルの威信は維持できるのか

バイデン大統領の1.9兆ドル(200兆円)の経済対策大盤振る舞いは様々な懸念を生み出していますが、今日はその中で、財政の健全性について考えてみたいと思います。

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アメリカの2020年10月から21年9月までの会計年度の収支は上記経済対策分を入れないで240兆円の赤字と見込まれています。「バイデン経済対策」は長期間に渡って行うプログラムが多いのですが、それでも今期、250-260兆円に上振れするのでしょう。日本の赤字も90兆円ありますので人のことは言えませんが、それにしてもどうやって返済するのか、実質的な手段は限られています。

ちなみにアメリカの借入残高である国債発行残高は3000兆円あります。2001年残高は600兆円ほど、2006年に1000兆円、14年に2000兆円という流れからすると今後、この金額は加速度がつき、垂直上昇に近い形となります。アメリカ議会予算局によると21年の利払い予定額は33兆円規模、これが31年になると90-100兆円にもなります。アメリカの21年の軍事予算が80兆円規模、日本の歳出額が100兆円ちょっとですから財務の健全性という意味では尋常の域ではありません。

もちろん、国の債務については何処も似たり寄ったりなのでアメリカが一概に悪いとは言えません。但し、アメリカは基軸通貨ドルの発行母体だという点を考えるとこれは別の話です。

無限に債務を発行し続けるか永久債を許すのでしょうか?その場合、国内で発行する通貨の価値はどう担保するのでしょうか?アメリカが現在の国際的地位を維持し、代替の基軸通貨が出なければライバルがいないだけの話ですが、世の中そんな単純明快な時代はとっくに過ぎています。

昨年あたりはデジタル通貨(暗号資産)がそれにとってかわるのではないか、と噂されたこともあります。しかし、それはいくら何でも早計です。というのはビットコインは数ある暗号資産のひとつであり、そもそも発行できる量に限界があります。(だからこそ、単位当たりの価値を異様に高めるのだという考えもあるのかもしれませんが邪道です。)

他の暗号資産には発行を担保する裏付け資産を求められるものが増えており、今後発行されるものはそれが主体になるでしょう。とすれば今後、無数のデジタル資産が市場に登場する中、どれが本命になるか、絞り込むのも容易ではありません。その点からは現時点でデジタル資産がドルの代替になることは考えにくいのです。

国家が発行する通貨は政府紙幣とも言い、担保は政府であります。国家が潰れればその国債はパーになりますが、そのリスクは小さいともされます。ですが、今起きているのは「みんなで渡れば怖くない」式の無制限無尽蔵型国債発行であり、いつかは機能しなくなることは自明です。

もちろん、アメリカが債務返済のためにアラスカ州を売却するという手はあるでしょうけれど。(ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、アラスカは明治維新の1年前、1867年にロシアがアメリカに売却したもので取引価格はたった720万ドルでした。)ただ、日本が借金のカタにアラスカの一部を貰うなんて言うことは夢にもあり得ません。

通貨の価値とは様々な力の組み合わせであります。軍事力、国家財政、経済力、国際影響力、成長余力、資源、国家持続可能性、環境、人口…エレメントは非常に多いと思います。その中で気になるのはアメリカが世界の警官を辞める中でアメリカの威信が落ち、中国が台頭し、ロシアが好き勝手をし、欧州は意見調整で苦労し、日本は陽が沈んだままである点です。これは混迷以外の何物でもないのです。ドンパチが起きれば「大変だ!」と気が付くのですが、解決不能なこの問題は影武者のようにそろりと迫ってきています。

ドル威信を意識すべき理由は投資やビジネス、世界経済を語るうえで「当たり前の前提」になっていることに警笛を発しなくてはいけないからです。仮に今、ドルの価値が崩落したらあなたなら何を代替にしますか?私ならとりあえず金を買います。無国籍で政治色がなく、人類の歴史の中で価値が認められたものだからです。金利がつかないといわれますが、ゼロからマイナス金利の預金が当たり前になり、無配の株式へ投資することを考えれば何ら躊躇ありません。

基軸通貨ドルはユダヤ人の生み出した最高のマジックでもあります。しかし、国債発行による借金が当たり前の時代になり、その国債を買ってくれる人がいるからこそ、借金が成り立っているということも忘れてはなりません。世の中、投資枠の問題はあれど、投資のビークル(手段)は増えたのです。考えてみれば世界の中央銀行は金融緩和に伴いETFやREITを当たり前のように買っているのです。

かつては国債投資は国際金融の主流でしたが今や国債でなくても投資対象は他にもあるのです。世の中はそれぐらい変動し、かつての常識が非常識になることはなんら驚くべきことではなくなったわけで、恐ろしく予見しにくい時代になったものだと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年5月24日の記事より転載させていただきました。