バイデン米大統領は25日、ロシアの天然ガスをバルト海底経由でドイツに運ぶ「ノルド・ストリーム2」の海底パイプライン建設で米国が関連事業会社への制裁を見送った理由として、①同建設は今年1月の段階でほぼ完了していること、②トランプ前政権時代に悪化した欧州諸国との関係正常化を重視するため、の2点を挙げて弁明した。
もっともらしい説明だが、バイデン大統領が忘れていることがある。欧州議会が今年1月21日、ロシアの反体制派活動家ナワリヌイ氏の拘束に抗議して、「ノルド・ストリーム2」の建設即時中止などを加盟国に要請した決議案を賛成多数で採択していることだ。すなわち、欧州議会は反体制派活動家の拘束を重大な人権蹂躙として加盟国が賛成多数でロシアを批判し、「ノルド・ストリーム2」の建設中止を要求したという事だ(「国際社会はナワリヌイ氏に連帯を!」2021年1月25日参考)。
同プロジェクトはロシアの天然ガス独占企業「ガスプロム」とドイツやフランスなどの欧州企業との間で2005年、締結され、第1パイプラインは2011年11月8日に完成し、操業を開始した。2本目のパイプライン建設「ノルド・ストリーム2」は計画では2019年に完工する予定だったが、トランプ前政権は、「ドイツはロシアのエネルギーへの依存を高める結果となる。ひいては欧州の安全問題にも深刻な影響が出てくる」と強く反対してきた。
米国は昨年12月、「ノルド・ストリーム2」の建設に西側企業が参加することを禁じる制裁を発動した。そして超党派の米上院議員グループは「ノルド・ストリーム2」に絡む現行制裁措置の拡大法案を提出した。
ポンペオ前米国務長官は当時、「ノルド・ストリーム2」について、「欧州の安全を守るために米国はあらゆる措置を講じる」と強調した。2017年の新制裁法「制裁による米国敵性国家対抗法」(CAATSA)の拡大適用だ。具体的には、「パイプライン建設から手をひけ、さもなければ痛い目に合うぞ」といったカウボーイ的な警告を発したほどだ。米国の制裁警告を受け、スイスのオールシーズはパイプ敷設作業を停止している。
欧州でもバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)やポーランドは「ノルド・ストリーム2」の建設中止を強く要求してきた。ナワリヌイ氏拘束問題で欧州は結束してロシアの人権蹂躙を厳しく批判した。ただ、欧州の盟主ドイツのメルケル首相はロシアの人権弾圧を批判する一方、「ノルド・ストリーム2」と人権問題は全く別問題として、同パイプライン建設の推進を支持してきた。
「ノルド・ストリーム2」計画によれば、全長約1200キロメートルで、最大流動550億立法メートル、パイプラインはロシアのレニングラード州のヴィボルグを起点とし、終点はドイツのグライフスヴァルト。パイプラインが完成すれば、ドイツは全電力の3割をカバーできる。
ドイツは脱原発を目指しているため、天然ガスの供給は不可欠だ。「ノルド・ストリーム2」計画が完了すれば、ドイツはロシアから安価なガスをこれまでの2倍確保できる。だから、バイデン氏の「制裁しない」という発言はドイツ側を喜ばしているわけだ。
バイデン氏は対中政策では少数民族ウイグル人への人権弾圧を厳しく批判する「人権外交」を推進している一方、ロシアの人権問題に対しては沈黙し、制裁を見送れば、「人権問題で対中と対ロシアでダブルスタンダードだ」という批判を受けることになる。中国側が強く反発するだろう。
バイデン氏はその批判を敢えて甘受しても、米メディアとのインタビューの中で「殺人者」と酷評したロシアのプーチン大統領と来月16日、ジュネーブで開催する米ロ首脳会談を配慮し、プーチン氏に融和のシグナルを送りたいのだろうか。それとも、高齢で認知症傾向があるといわれるバイデン氏は欧州議会がロシアの人権蹂躙を理由に対ロシア決議案を採決したという事実を忘れていたのだろうか。欧州はナワリヌイ氏拘束問題を忘れていないのだ。
「ノルド・ストリーム2」はバイデン氏が言うようにほぼ完了している。だから、いまさら前政権の制裁を継承してロシアとドイツら欧州諸国に制裁をしても余り効果がない、それよりドイツとの関係修復の機会に利用したほうが得策といった外交的判断が働いたのだろう。また、ロシアとは軍縮問題からイランの核問題まで多くの難問を協議しなければならない。ロシアとの関係正常化はバイデン氏も重要課題として取り扱わなければならない。そのように考えると、バイデン氏の「ノルド・ストリーム2」プロジェクトへの制裁の回避は多分、正しいだろう。
しかし、バイデン氏の外交判断は同盟国に一抹の不安を与えることにもなる。バイデン氏の「人権外交」への懸念だ。対中で人権外交を前面に出して北京に圧力を行使するバイデン政権がある日突然、「制裁に効果がない。対中関係の正常化のほうが重要だ」と対中政策で軌道修正する可能性が考えられるからだ。同盟国にも動揺が起きるだろう。状況次第でバイデン氏はその政策を変更、修正するのではないか、といった懸念が強まれば、欧米諸国の結束にひびが入る。
「外交の世界ではどの国も最終的には国益重視に走る。バイデン米国も例外ではない」といわれれば、その通りだが、バイデン米政権が「米国ファースト」から「世界の指導国家」として世界の諸問題に積極的に関与していく姿勢を見せているだけに、バイデン氏の「人権外交」の揺れは、米国と同盟諸国の関係に致命的なダメージを与え、国際社会の米国への信頼感を損なうことにもなる。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年5月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。