ミャンマー:暴力の拡大

小峯 茂嗣

4月24日の拙稿「ミャンマー「内戦」の抑止へ」で、2月1日のクーデター後のミャンマーにおける「内戦」状態に陥る懸念について記したが、その懸念はその後、さらに深刻化しつつある。すでに国軍による弾圧によって、800人以上が死亡、およそ5000名が拘束されているといわれる。

Victor Golmer/iStock

4月27日にはASEAN緊急首脳会議がインドネシアのジャカルタで開かれた。この会議がミャンマーの安定化に貢献するのかが注目された。ミャンマーからは、クーデター後に国軍が設置した国家統治評議会のミン・アウン・フライン司令官が出席した。

この会議で採択された声明の要点は以下の5点である。

  1.  暴力を停止すること
  2.  すべての当事者が建設的な対話をすること
  3.  対話を促すためにASEANの特使を派遣すること
  4.  援助を受け入れること
  5.  特使を受け入れること

ミン・アウン・フライン司令官も受け入れたが、のちに、それは国内が安定した以降にという留保をつけた。そしてこの会議は、制裁などの厳しい措置を科すとか、ASEANが民主派勢力によって樹立宣言された「国民統一政府(NUG)」と仲介するような積極的な動きにつながるものとはならなかった。これはASEAN内の内政不干渉原則とも関係するのだろう。

その結果、民主化運動への弾圧とともに、少数民族武装勢力との武力衝突は継続している。

4月27日から28日にかけてミャンマー国軍は、カレン州のムトロウへの空爆を9回行った。死傷者は出なかったとされるが、29日にはカレン族の住民約2000人が国境を越えてタイに避難したと報じられている

4月29日にはカチン州のモマウクで、カチン独立軍(KIA)と国軍との戦闘で国軍側に20名の死者が出たと報じられた。また5月3日にはKIAがモマウクの近郊で国軍のヘリを撃墜したことも報じられている

北西部チン州の都市ミンダットでは、5月13日に戒厳令が出された。その後国軍は、一部の住民が結成した武装組織「チンランド防衛隊(CDF)」に対して攻撃を開始する。その後の数日間にわたる攻撃でCDFは逃走。CDFには子どもを含む男性全てが戦闘に参加していたといわれている。約4万人が住むミンダットからは、5000~8000人が町から避難した。その多くは国軍の攻撃から逃れるために周辺のジャングルに避難した。市内へとつながる道路は国軍によって封鎖され、国軍がいるため町には戻れない状況がつづいていた。

このような中、民主化運動を支持する人々を軍政の弾圧から守るために、若者たちの中には少数民族武装組織に合流して戦闘訓練を受ける者も出てきている。一例としてはモン・モンという人物がクーデター以降の民主化運動の弾圧に抵抗するため、「連合防衛軍(United Defense Force)」を名乗る武装組織を創設したとロイターが報じている

ミャンマーにはおよそ20の少数民族武装勢力があるとされるが、ミャンマー国民の7割を占めるビルマ族には民族系の武装組織というものはない。したがってこの武装組織に参加する人々は、カレン民族同盟(KNU)の支配地域で軍事訓練を受けているとのことだ。その多くが、Z世代と呼ばれる若者たちだとされる。

すでに4月24日に国民民主連盟(NLD)ら民主派勢力によるNUG樹立が宣言されており、KNUやKIAなど少数民族武装勢力もNUGに参加を表明している。さらに5月5日にはNUGは国軍の弾圧から市民を守るための「国民防衛隊」を設立すると発表した。その詳細は明らかにはなっていないが、NUGが政策に掲げる「連邦軍」創設の全段階と位置付けられている。それまで民主派勢力にとっては自前の軍事力を持っておらず、「反政府軍」であったKNUやKIAは民意に基づく政府の「正規軍」になる可能性が開けたのである。

もっとも20以上あるといわれる少数民族武装勢力のうち、NUGと連携しているのは一部であり、大半は静観している。もともと彼らは自治獲得を目指した武装闘争を続けていたわけで、ミャンマー政府の打倒が目的ではない。国軍と比べれば兵力も少なく、装備も脆弱で、たとえば航空兵力は持たない。上述のCDFのような自警団組織にいたっては、猟銃や手作りの武器で抵抗したといわれている。

「内戦」状態とは見えるものの、ミャンマー全土を覆う血みどろの「全面戦争」にはならないだろう。そうすると国軍に対抗する一つの手段は、都市型ゲリラ戦術になる。実際に、ヤンゴンなどでは爆発事件が頻発している。5月19日の夜、ヤンゴン中心部にある学校(ミャンマー軍が拠点として使用)の敷地内で2度の爆発が起き、複数の兵士が負傷する事件が起きている。もっともそういった爆発事件は、国軍の「自作自演」も含まれているのではないかという指摘もある。いずれの行為であるにせよ、反軍政派の「テロ行為」であるとして、さらなる市民弾圧の口実になるだろう(NUGも国軍から「テロ組織」と指定された)。

ミャンマーで日々繰り広げられている暴力は、民主主義への弾圧というだけでなく、民主化運動とは無関係だった少数民族武装勢力への武力攻撃も含まれている。つまり「民主主義VS軍事独裁」の問題という構図だけではなく、「多民族国家」ミャンマーの今後の国家の有り様(軍部中心国家か全民族参加の連邦制国家か)にまでも関わっている。

2月1日のクーデターに始まる暴力と混乱は4か月も続いている。非暴力的な方法でクーデターに抵抗してきた市民の疲弊も大きいであろう。そのことによって市民が暴力的な方向へと向かってしまう可能性は排除できない。そして国軍、NUG、少数民族武装勢力の思惑も絡みあうことで、暴力のかたちはますます複雑化していくだろう。