石破 茂です。
ワクチンの接種を加速するためにできることはまだ数多くあるはずです。ある開業医の方から教えて頂いたのですが、比較的高齢で現在現場からはリタイアしておられる医師も多くおられるとのことです。その方々にワクチン接種をお願いする、そしてこれまた様々な理由で現場に出ておられない潜在看護師(71万人も居られるそうです)の方々にもお願いする、ということは工夫次第で可能なのではないでしょうか。
全国に335ある二次医療圏ごとに実態を把握し、ワクチンの輸送・保管体制を整えれば、実施できるものと考えます。一方で、現役の開業医の方がワクチン集団接種を担当したいと希望しても声が全くかからないとの話もあるそうで、いったいどうしてこのようなことが起こるのでしょうか。医療の実態を正確に把握していないことの弊害は改めなくてはなりませんし、それこそが医師会が中心となってやるべき仕事です。
前回も指摘したのですが、ワクチンの接種率が70%から0.3%に激減してしまったため、子宮頸がんによる女性の死者が年間2800人も居られることの重大性をどのように考えているのか。実際には存在しなかった副反応による恐怖を散々に煽った一部メディアの責任は何故問われないのか。極めていい加減で無責任、としか言いようがありません。
昨年から今年にかけての冬の時期にインフルエンザがほとんど流行しなかったことについて、「交差免疫」説には一定の説得力がありますが、インフルエンザウイルスが新型コロナウイルスとの「人間の細胞内の陣地争い」に負けたためにインフルエンザが流行らなかった、とするこの説が正しいとすれば、相当多くの日本人が新型コロナウイルスに感染したことになります。また、この説に従えば、新型コロナウイルスが収束すればまた例年通り通常のインフルエンザが流行るようになるのでしょうが、通常のインフルエンザの方が感染者も発症者も死者も多いのです。
直近の世論調査によればオリンピック・パラリンピックの中止や延期を求める国民が8割近くに達しているようです。そのような中で開催するとすれば、オリンピック・パラリンピックのもつ世界平和への人類の努力と思い、という基本的な理念、大義を、改めて力強く打ち出す必要があると思います。それは「日本が大震災・大津波・原発事故に打ち勝った証」や「世界が新型コロナに打ち勝った証」よりも大きく、また将来世代に夢を託すものでなくてはなりません。同時に、あらゆる事態を想定し、どのケースであっても医療体制に不備はないのだ、ということを数字をもって国内外に示さなくてはならないでしょう。それは政府にしか示せないのであり、残された日々は決して多くありません。
香港の立法会(議会)が選挙制度の見直しを圧倒的な多数で可決し、天安門事件の犠牲者の追悼集会も禁止となるなど、一国二制度が終焉の危機に瀕しています。中国はあくまで内政問題であるとして国際世論の批判を歯牙にもかけないでしょうし、次はいよいよ台湾統一を視野に入れて着々と手を打ってくることでしょう。
経済的に豊かになればやがて中国も民主化するだろう、とのアメリカが採り続けてきた関与政策は、価値観を決定的に異にする中国共産党の本質を見誤ったものでしたが、1936年のナチス・ドイツのラインラント進駐から1938年の英・仏・独・伊のミュンヘン会談、1939年の第二次世界大戦勃発へと繋がる流れを教訓にすべきなのでしょう。
日本国内では尖閣海域への中国の進出が主な議論の焦点となっていますが、中国共産党はもっと多様な選択肢を考えているように思われます。現体制が掲げる「中華民族の偉大な復興」という理念を甘く見てはなりません。55民族あるといわれる少数民族の独自性の否定につながり、紛争リスクをはらんでいるとも言われますが、中国共産党としてこの理念にかけるエネルギーはかなり大きいのではないかと思います。
あらゆる事態を想定して備えるのは膨大な作業となりますが、今やっておかなければ想定外の事態が生起した時に呆然自失・右往左往することになってしまいます。
1939年8月にナチス・ドイツがソ連との不可侵条約を締結した際、時の平沼騏一郎内閣は「欧州の新天地は複雑怪奇」として総辞職しましたが、その轍を踏んではなりません(故・高坂正堯京大教授は「国際政治とはもともと複雑怪奇なものなのだ」と述べて、平沼内閣を厳しく批判しておられたそうです)。
次期自民党総裁について言及される気の早いような報道がありますが、昨年圧倒的多数で現総裁を選出したばかりなのに、いくら選挙が近いとはいえ、いささか時期として当を得ないものです。そして、今度は選挙方法を簡略化したりせず、党員の権利を尊重した本来のルールで行われるべき、というのもまた当然のことです。公党たる自民党は国民と党員のもの、という当たり前のことを、忘れたくはないものです。
生来の怠惰に加えて他の文献を読まねばならない必要が急遽生じたため、前回ご紹介した「人新世の『資本論』」はまだ読了さえできていませんが、挫けることなく努力せねばならないと思っております。
「ナショナリズムの正体」(半藤一利氏と保坂正康氏の対談・文春文庫・2017年)と「昭和史の本質 良心と偽善のあいだ」(保坂正康著・新潮新書・2020年)からは学ぶことが多くありましたが、自分の歴史についての無教養を恥じるばかりです。
来週はもう六月、時の過ぎる速さに唖然と致します。
今週の都心は梅雨に入ったかのような天候が続きました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。