コロナ禍における「人新世の資本論」の意味

話題の新書「人新世の「資本論」」を読んだ。

非常に納得できる部分が多く、また昨今のコロナ禍において知っておくべき内容も多々あったので、今回はこれについて書いておきたい。

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まず本書の概要だが、一言で言えば

「人類が地球環境に大きな影響を及ぼすまでに至ってしまった時代(地質学的にいう「人新世」の時代)において、もはや成長・拡大を前提とした資本主義は選択されるべきでない。「脱成長」を達成できる体制こそが求められる姿であるが、そこに「資本論」後の晩期マルクスの「脱成長のコミュニズム」が合致する。」

というものである。

たしかにうなずける。「サピエンス全史」にもこう書いてあった。

アダム・スミスの偉大な発見は「神の見えざる手」にもまして「社会の富(パイ)は拡大・成長する」ということを発見したことだ、と。

社会全体の富が有限ならば、金儲けはすなわち隣人の財産を奪い取ることであり、金持ちはすなわち不道徳者である。江戸時代の武士は貧困にあえいでいたが、富豪の商人を横目にそれでも彼らが品格を保っていたのは、「社会の富は有限であり金儲け=金持ち=不道徳」という社会通念があったためだろう。その時代の人々は無自覚だっただろうが、当時の世界ではこれが常識だった。

アダム・スミスはこれを打ち破り、社会の富は拡大する、金儲けは社会全体のパイが拡大することであり、すなわち資本家の利潤追求は資本家だけのためではなく社会全体の、民衆のためのものなのである。つまり金持ち=美徳と言ったわけである。ここから資本主義がスタートし、成長と拡大の時代が始まったというわけである。

もちろん、ここに産業革命や科学技術の進歩という要素が加わるわけだが、基本的に「資本」という概念が成長・拡大の基礎となっていることには疑いの余地はないだろう。

しかし、本書ではその成長・拡大の大きな誤謬を指摘している。それが「犠牲を不可視化する外部化」だ。日本など先進各国は資本主義によって成長・拡大してきたわけだが、その大量生産・大量消費型の裏には、我々の見えないところ(発展途上国など)の人々の生活や環境負荷の上に成り立っている。また、膨大な化石燃料の使用による二酸化炭素排出などは、まだ生まれてすらいない未来の世代に負担を転嫁=外部化しているとも言える。そうした外部化を繰り返しながらこれまでの資本主義は成長・拡大を続けてきたわけだが、流石に地球という資源は有限でありもう負担や犠牲を転嫁・外部化する先がなくなってきているということだろう。

この部分などは、藤原ひろのぶ氏がいつも言っている部分と重なり非常に共感できる部分だった。

また、本書では「資本主義は効率化のため仕事や作業を細かく分業化し人間としての総合力を奪った」ともいう。たしかに、自動車の部品を組み上げる工員にとって、自動車が動く原理を知っていることは必須ではない。一昔前の日本人は、米や野菜を自分で作り、かまどに火をつけ煮炊きをし、衣服も自分で繕っていたのに、そうした総合的な人間の能力は現在の世界では求められない。農業もエネルギーもアパレルもすべて専門業者にまかせていればよく、それ故にそれらが欠乏したときに我々は為す術もない。資本主義は専門分化・効率化することによって成長・拡大してきたとも言えるが、それ故に人間としての非常に大事な総合的な能力が失われつつあるのだろう。

実はこの専門分化の弊害は医学界でも同様の問題が起こっている。

たしかに内科・外科・小児科・精神科・整形外科・眼科・産婦人科・泌尿器科・皮膚科…医学の分野は幅広く、また日進月歩に進んでいるためすべての分野を専門的に深く学ぶことは不可能である。それ故に医師には専門性が要求される。初対面の人の職業が医師なら「ご専門は?」と尋ねるのが普通だろう。確かに医学的視点ではこれが効率的なのかもしれない。

しかし、現場の医療は医学的視点だけでは語れないことが多い。というのも医療の現場で発生する多くの問題は、医学的にクリアに解決できるものでないことがほとんどだからだ。特に高齢化社会になるに従ってこの傾向は顕著になっている。今の医学がどんなに進歩したと言っても、人間の老化を止めることはできない。高血圧・糖尿病・骨粗鬆症・認知症…多くの慢性疾患はそれなりの薬こそあるものの、それでピシャッと治るわけではなく表面的な症状や数値をなんとなく抑え込んでいるだけだ。こうした段階になると、糖尿病だけを管理する医師や認知症だけを治療するような医師にもまして、その人の生い立ちや生活全般に目を向け、老いの過程に寄り添いながら伴走してゆくような、総合的な視点をもった医師が求められる。医学の専門性は逆に弊害として作用してしまうことすらあるのだ。

新型コロナウイルスは感染症なのだから専門家に任せるべきだ、と思われるかもしれない。しかし、統計を見れば新型コロナウイルスの死亡者の大半は高齢者だ。死亡平均年齢も80歳を超えている。もちろん、人工呼吸器やECMOで救命すべき命も多数あるだろうが、それとは別に、「老いの過程に寄り添いながら伴走してゆくような医療」が必要な方々も相当数含まれていることは容易に想像がつく。医療逼迫・病床不足と言われる問題の背後には、こうした専門分科の弊害という要素も多分に含まれているだろう。そしてその根本には、「資本主義的専門分化」という社会全体の意識の問題もあるのかもしれない。

人新世の「資本論」」を読んで私はそんな感想を抱いた。皆さんはいかがだろうか。