グローバル・インテリジェンス・ユニット チーフ・アナリスト 佐藤 奈桜
新型コロナウイルスによるパンデミックがある意外なものの供給を混乱させている。
それは「かつら(ウィッグ)」である。
今年(2021年)5月、今次パンデミックが世界的に「かつら」ビジネスを混乱させ、供給が不足し価格が高騰していると報道された(参考)。
特に2010年代以降、かつら市場はそれまでの男性用中心市場から女性用及び医療用がけん引するものへと変化してきた。世界的には癌患者など治療や投薬による髪の脱落に悩む患者が装着する、いわゆる「医療用かつら」の成長が著しい。近年では医者の側からかつらの装着を薦めることも多いという(参考)。また我が国では食生活の欧米化により壮年女性の髪質が劣化していると指摘されており、女性の利用者も急増している(参考)。
かつらはそもそも高額で、医療用ウィッグは数万円から数十万円、女性用ウィッグでは既製品でも10万円程度に上る(参考)。
かつらには人工毛、人毛、そしてその両方を組み合わせた素材のものがある。ファッションウィッグでは一般的に人工毛が使われており、これは化学繊維などから工場で作られるため価格の変動はそれほどない。他方で比較的高価なファッションウィッグや医療用かつらは人毛もしくは人毛と人工毛の混合で作られる。
人毛をかつらにしようとする場合、最低30センチの長さが必要となる。髪は1か月でおよそ1センチ伸びるため、30センチ伸ばすには2年半程度かかることとなる。
こうした観点から非常に希少なかつら用の人毛の主たる供給地は、新型コロナウイルス変異株の感染拡大の影響を強く受けているインドやミャンマーなのである。
他方で原料供給地とは別にかつらの生産という観点から注目すべきは中国だ。中国は世界最大のかつら輸出国であり、世界の供給量の70%を担っている。同国はインドやミャンマーから仕入れた人毛を用い、人件費の安い北朝鮮でかつら生産を行っている。
北朝鮮は周知のとおり、核実験の実施により国際貿易のほとんどが国連の制裁対象とされている。制裁下で行っている貿易のほとんどは中国との間のもので、中でもかつらは利益を上げている産業であった。
ところが新型コロナウイルスの感染拡大が始まった昨年(2020年)2月以来、中国と北朝鮮の間に陣網取引の記録がないというのである(参考)。
中国は国内での生産も模索しているものの、縫製の甘さなどコスト面での課題が多い。
今年(2021年)3月には北朝鮮の羅先にあるかつら工場が「見学ツアー」参加者を募集していた。今次パンデミックにより、各国は入国者に対して2週間程度の“隔離期間”を設定しており、中国・北朝鮮も例外ではない。ところがこの見学ツアーに際してはそうした隔離期間が設けられておらず、「国内扱い」とされているのではないかと注目されていた(参考)。
他方でそもそも北朝鮮において生産され、中国を通して世界中に輸出される「かつら貿易」は制裁との関係でグレー・ゾーンであるとの見解もある。
同じ陣網を用いて北朝鮮で多く生産されている「つけまつげ」については、去る2019年に米カリフォルニア州の化粧品企業が中国から輸入していた製品に北朝鮮由来の原料が使用されていたとして米財務省が100万米ドル近い罰金を同企業に対して課している(参考)。
特に医療用かつらは「つけまつげ」などに比べてより利用者の精神的苦痛を還元するという観点では必要性が高いと言える。しかし上述の「つけまつげ」の生産・輸出プロセスが「かつら」のそれと類似していることからは、後者もこうした制裁の対象となり得ることを否定できないのではないか。
こうした中、今かつら市場で注目されるのが東南アジアである。
かつら関連の製品を扱う日本企業の中にはすでに生産拠点を中国からフィリピンなどへ移しているケースもある(参考)。
また高温・多湿で水質も異なる現地でも快適に使うことができるかつらの開発により、東南アジア自体が新たなマーケットとして注目されてもいる(参考)。
世界的に癌患者の増加が“喧伝”される中、こうした関連マーケットも依然注目されよう。
更にこれにより「かつら」に関する中国、ひいては北朝鮮依存からの脱却が図られるとすれば、同市場を巡る構造も大きな転換を迎えるかもしれない。
今次パンデミックはこれまで中国及び北朝鮮に一極集中してきた「かつら」生産の多様化を進展させるのか。引き続き注視していきたい。
■
佐藤 奈桜
株式会社 原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士前期課程(平和研究)修了、名古屋大学大学院法学研究科博士後期課程(憲法)単位取得満期退学。安全保障・平和問題を主に研究する。2020年6月より現職。