ヤルムルケと「サタンのシナゴーグ」

欧州では新型コロナウイルスの感染拡大に関連して反ユダヤ主義的言動が広がっている。ウィーンでも先日、大学でユダヤ教を学ぶ女子学生が地下鉄でユダヤ教に関する本を読んでいると、3人組に脅迫され髪を引っ張られるという事件が発生したばかりだ。この女子学生はオーストリア人だった。別のケースは、ユダヤ人の男性(頭にキッパを着けていた)が停留所でバスを待っている時、50歳代の女性が「出ていけ」と罵倒した事件だ。事件自体は小さな出来事だが、罵倒され批判された人にとっては消し難い嫌な体験だったはずだ。

ユダヤ人男性のアイデンティティ、キッパ―(反ユダヤ主義の拡大を警告する欧州連合の欧州基本権機関(FRA)公式サイトから)

米保守派論客ベン・シャピ―ロ氏(Ben Shapiro)が自身のYouTubeチャンネルで「なぜ自分はヤルムルケ(Yarumulke)を着けるか」というタイトルで話していた。ヤルムルケとはユダヤ人の男性が頭の上につけているキッパーのことだ。スラブ系出身のユダヤ人はキッパーではなく、ヤルムルケと呼ぶという。シャピーロ氏は、「ヤルムルケは自分のアイデンティティだ。反ユダヤ主義者の襲撃を恐れて着けないということは出来ない。アブラハム・イサク・ヤコブの神を信じる自分としては常に神が自分の頭の上にいる事を実感できるためにヤルムルケを着けている」と説明していた。

当方はユダヤ人の男性に、「外に行く時はキッパーを外すか、野球帽をかぶって歩くほうが安全だ」と述べ、ユダヤ人の危機管理として、その旨をコラム欄で書いたことがあるが、シャピーロ氏の話を聞いて、事件の核心はそんな簡単なことではないことが分かった。ユダヤ人男性とにとって、キッパーは自分のアイデンティティを表すもので、反ユダヤ主義者の襲撃を恐れてキッパーを外すなどもっての外なのだ。シャピーロ氏の「信仰告白」を聞いて、ユダヤ人が置かれている状況が如何にシリアスかを教えられた。

当方は最近、独仏共同出資の放送局「アルテ」(ARTE)の「アポカリプス」シリーズを観ている。初期キリスト教の実態について、欧米の著名な聖書学者たちから取材した内容をまとめたものだ。その第1回目のテーマは「Die Synagoge des Satans」(サタンのシナゴーグ)だ。アポカリプスは世界の終末とか大災害を意味するものではなく、本来覆い隠されてきた真実を明らかにするという内容だ。後者の副題「サタンのシナゴーグ」は新約聖書「ヨハネの黙示録」第2章で記述されているが、その意味するところは、イエスを受け入れないユダヤ教徒を中傷、罵倒するのではなく、非ユダヤ人にもイエスの福音を伝達していったパウロ派のキリスト者たちに対して「サタンのシナゴーグ」と呼ばれてきたというのだ。両者ともイエスを信じていたが、ユダヤ教に対するスタンスが異なっていた。イエスを信じないユダヤ教徒に対して「サタンのシナゴーグ」と呼んだわけではないのだ。

それでは「誰」がそのように批判したのか、この点が問題だ。それはユダヤ教徒ではなく、ペテロ、ヤコブ、ヨハネなどのイエスの弟子と初期キリスト者たちがパウロなどのキリスト者を中傷する時にそのように呼んできたというのだ。すなわち、ユダヤ教の教えを守る一方でイエスの教えを信じる前者のキリスト者たちはユダヤ教の教えを放棄、無視して、ユダヤ人ではない人々にまでイエスの福音を述べ伝えるパウロ派のキリスト者を「サタンのシナゴーグ」と呼んできたのだ。「サタンのシナゴーグ」が登場する「ヨハネの黙示録」はヨハネが書いたものだ。ただし、パウロ派がキリスト教の主流となっていく中で、「サタンのシナゴーグ」はイエスを信じなかったユダヤ教徒への中傷誹謗と受け取られていったわけだ。

イエス復活後の初期キリスト教会の内情を「『原始キリスト教』の本流と傍系の話」2021年2月21日参考)の中で少し紹介した。初期キリスト教会ではその源流と言うべきユダヤ教の教えを守りながらイエスの福音を信じるペテロやヤコブたちと、イエスの教えをユダヤ人以外にも述べ伝えようとしたパウロやその群れとの間で激しい主権争いがあった。「サタンのシナゴーグ」などの中傷もその争いの中から出てきたものだ。その中傷が今日、反ユダヤ主義者が使う用語となっていった。聖書学者の中には、非ユダヤ人にもイエスの福音を述べ伝えていったパウロが反ユダヤ主義を鼓舞していったと考えている人もいる。

新しい宗教が生まれ、その創始者が亡くなった後、その宗教グループは先ず、誰がその後継者かで激しい争いが生まれてくる。同時に、創始者の教えについても、本流派と傍系が生まれてくる。創始者がいないため、争いを解決できる人物がいない。それだけに、その戦いは激しく、時には血を流すような事態すら起きる。イエス復活後の初期キリスト教会の実情もそのようなものであったのかもしれない。

イエスの福音はローマ帝国にまで及び、西暦392年、テオドシウス帝はキリスト教を国教とした。その功績は生前のイエスに出会ったことがなかったパウロにあるともいわれる。キリスト教はパウロ神学によって構築されていったと受け取る聖書学者が多い所以だ。そのため、というか、「イエスの福音」はより広い世界に宣布されていった一方、イエスの福音を聞いた後もユダヤ教の教えに拘ったペテロやヤコブらの初期キリスト教信者のアイデンティティは失われていったか、歪曲されてきた可能性は排除できない。ひょっとしたら、ユダヤ教の中に“失われたイエスの福音”を見出すことができるかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。