何のためにオリンピックをやるのか?

何のためにオリンピックをやるのか、この問いかけが昨今実しやかに語られている。尾身会長がその様に発信し、元大阪府知事橋下氏まで同調している。この問いかけに答えられないから、国民の納得が得られないと。

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目的は皆理解しているはずだが、敢えて語ると

スポーツや文化を目的論で語る事に、私は違和感を感じざるを得ない。心豊かな暮らしを育む為、心身ともに健康である為、人間らしく生活する為、等という言い方でいくらでも語れるし、スポーツや文化、芸術を奪われた生活を無味乾燥とは思わないのだろうか。恐らく、緊急事態だから優先順位が低いと片づけられてしまうのだろうが、本当にそれでいいのだろうか。

本当に人間が究極の危機状態に晒された時に、すがるものが必要ではないのだろうか。ある意味、宗教も同様かもしれない。人間生活において様々な苦境を乗り越え、精神的な支えとする宗教を、こんな危機状態だから意味が無いと言う人はいないだろう。何の目的で神にすがるのかはっきりさせろ、と問われても論理的回答など有り様が無いだろう。

百歩譲って、目的は百も承知だが、緊急時なので優先順位が低くなるはずだと言いたいのならば、『何のため』という、そもそもの目的を疑う様な言い方は、間違いである。

東京五輪大会関係者は、およそ10万人だが、それはスポーツ界における頂点の人達だ。その頂点で戦う姿、活躍が無ければ、底辺の拡大は成立しない。トップ選手を見て、感動し、次の世代の子供達は自分もああなりたいと夢を抱く様になる。日本女子プロゴルフ界が黄金世代やプレミアム世代と活況を示し始めているが、これは宮里藍選手に憧れた世代(親も含めて)であり、大きく影響を受けている。そして、大リーグに挑戦し成功した野茂選手の活躍があって、今の大谷選手が存在する。

トップ層だけではない。ジュニアアスリート層などへの影響、底辺の拡大、普及に確実に繋がる。当然、ジュニア世代などは、人間教育の視点も含まれるし、他の世代では、自身の参加による健康促進、観戦による心の健康促進等様々な波及効果がある。この正の連鎖現象を長い目で見て支えるのがオリンピックに他ならず、底辺含めた多くのアスリートたちが夢として目指す場所であり、社会全体にも大きな影響をもたらしている。これを奪うべきではないだろう。

勿論、その中でスポーツビジネスと言う観点での経済活動も拡大するだろうし、そうする事で、トップ層の引退後や関連企画、周辺技術等も含めた多くの雇用も生み出す。金まみれと言う批判もあるが、スポーツがビジネス化し経済効果を産み出す事は、決して悪い事ではない。悪いとすれば、その利権を既得権益層が独占する事であり、効果を産み出す構造を破壊する方向に向かうのは本質的問題解決ではなく、産業構造としての自由化、オープン化を目指す事で解決すべきなのだ。既得権益構造が存在するから、その業界をつぶせと言うのは、暴論なのだ。

非科学的な・・・かもしれない

ここまでの話は、反対派の皆さんには聞く耳すら持って頂けないかもしれない。自身がスポーツ文化との関わりが薄かったり、興味が無ければ尚更そうだろう。その方々に理解を求める事は出来ないだろうし、価値観を変える等と奢った考えはさらさらない。しかし、よく考えて欲しい。そういう方々は、文化や芸能にもそういった理解を示さないのだろうか。宗教に拠り所を求めたりはしないのだろうか。少なくとも、五輪を夢見、目標とし、人生をかけている人々も選手だけでなく多数存在するのであり、その存在を認め、多様性を尊重すべきではないのか。五輪悪論で苦しみ、悲しむ人達が世界中に多数存在する事を忘れないで欲しい。

反論として、人の命が優先すべきと言う論をよく聞く。命より大切なものはない、それは間違いない。それが故、五輪開催におけるリスク評価をするべきとの提言もある。全くその通りだろう、だからこそ真っ当なリスク評価を是非行って欲しいのだ。しかし、電波メディアで発言する多くの専門家と称する方々の言はリスク評価と言えるものではない事も認識しておかないと本当のリスクを見誤ると考えている。

昨年からずっと専門家と称する方々の予測が発信されているが、殆ど実現していない。それだけならまだいいが、実現しなかった事実を検証しフィードバックをすると言う、科学的アプローチが一切為されていない。『・・・かもしれない』とリスク評価をする上で絶対必要な発生確率を無視した、可能性論だけで、次から次に材料を見つけ出して、過去の反省もなく危機を煽っているのが実態だ。

この点は明確にしておきたいのだが、『可能性がある』と言うのは極めて非科学的発言で、正確に言い直すと『起こるかもしれないし、起こらないかもしれない』程度の意味でしかない。科学的にリスク評価する為には『何%の確率で起こり得る』でなければならない。この理由は明確で、『・・・かもしれない』では、根拠も論理もなく、何でも言いたい放題であり、本来は評価出来ないのだ。これを非論理的勝手理論と言う。

人流が増えて感染増と言う論理を持ち出すのならば、例えば、今迄の人流と感染の相関関係をデータとして示して論理性を担保する必要がある。『エビデンスはないが遠因になっている事は否定できない』この論理破綻が理解できない人は義務教育から学びなおすべきだろう。

反対の為の反対、多様性を認めない排他的で攻撃的な反対、根拠の無い『かもしれない』という恐怖に縛られた思考は、もう止めませんか?

医療の自己防衛による分断構造

日本のコロナ禍における緊急事態とは医療崩壊を防ぐ事が主目的だ。世界に誇る医療体制の、ほんの2%~程度しかコロナ対応をしていないのだから、例えば5%に上げるだけで危機は大きく減じる。ロックダウンを経験した様な先進国は一説では、約20%の医療資源を柔軟に再配分して、医療崩壊を避けたとの事。

確かに新型コロナが単なる風邪でない事は、高齢者の致死率等のデータから見れば明らかだ。しかし、逆に言えば高齢者、基礎疾患者、若者でも肥満や糖尿病患者などリスクの高い人達へのケア、重症化抑止対応を強化すれば、緊急事態は回避できるだろうし、その他大勢は、経済を回し、社会を活況化することが出来る。オリンピックも同様だろう。

専門家と称する医療従事者は、国民に我慢を強いる前に、医療体制強化を本気で拡充する事が職業上の責務ではないのか。現時点で、コロナ対応に追われ、日夜戦っている医療従事者の方々は、国民に我慢を強いる前に、大規模パーティーや寿司会食に興じる同業の責任者とその組織を徹底的に糾弾するべきではないのか。

今、スポーツ業界と医療業界が分断して何も良い事は無い。

スポーツ業界は、その価値を高めつつ、課題となっている既得権益構造に各団体、組織等、本気で向かうべきだが、そういう意味では組織委員会の組織改革などは一つの大きな前進であり、大会規模種縮小や関係者への様々な規制も前向きに受け入れている。

医療業界も、どう言い訳しようとも、先進諸国と比較して脆弱で劣後している事は間違いなく、本気で向き合う必要がある。政府や制度の責任にしてはいけない。業界の責務として、政治への影響力も強いのだから。

それぞれが、それぞれの役割と責任を全うし、他に迷惑を掛けず、他を支え、そして別ステージではあっても競い合う。そうあるべきだろう。