聖書は旧約聖書と新約聖書、全66巻で構成されている。もちろん、聖書に加えられなかった外典も少なくない。旧約聖書では神は異教の神々を信じる人々を容赦なく罰する強権者のイメージが強い一方、新約聖書ではイエスを通じて「愛の神」が人々の心を捉えっていった。新旧聖書の神は同一の神だろうか、それとも「旧約の神」と「新約の神」は全く別なのだろうか。
「旧約の神」と「新約の神」は本来、同一のはずだが、聖書では異なった神イメージが浮かび上がってくる。ところで、旧約聖書学者、米イェール大学のクリスティーネ・ヘイス教授は、「神は人間に命令するだけの存在ではなく、人間との対話、議論を避けていない」という。もちろん、話すといっても人間同士の話し方とは違うが、神は決して議論を拒む存在ではなく、人間の心情を模索し、そのマイクロ・エクスプレッション(微表情)ですら読み取る存在というわけだ。事実とすれば、人間にとって朗報だ。
ヘイス教授によると、神は自分が創造した原則、原理を無視して行動はとれないが、人間の反応次第ではその原則を離れて対応するというのだ。例えば、奴隷生活を強いられたエジプトから神の約束の地、カナンにイスラエル民族を導いたモーセの場合にもそのような「神と人間の対話」が見られたというのだ。
神はモーセに「これこれをせよ」と命じる。モーセは神の問いかけに沈黙する。神はモーセが答えないので、「それではこれではどうか」と別の命令をする。モーセはその命令を受け入れ、金の子牛を創って我々の神だと称えていたイスラエル人に神の願いを伝える。神は沈黙するモーセの表情から彼の心を読み取り、自身の原則を放棄して、モーセに譲歩する。旧約の神は人間の心の動きを読み、必要ならばそれに応じようとしているわけだ。まさに、「旧約の神」も「愛の神」だというわけだ。「旧約の神」の名誉回復だ。
上記の観点からアブラハムからイサク、ヤコブを通じて誕生するイスラエル民族に対する神の言動を振り返ると、「旧約の神」はイエスを通じて具現化した「愛の神」に負けない心情溢れる神だという事が理解できる。
神が罪の街となったソドムとゴモラを亡ぼそうとされた時、神はアブラハムの申し出を受け入れ、譲歩している話は有名だ(創世記18章29~33節)。そして神がアブラハムに自身の息子イサクを燔祭として捧げるように命令した時、神はアブラハムが信仰者であることを知っていたので、イサク燔祭を止めさせる場面を思い出してほしい。ヘイス教授はその場面を、「文学的に最高のシーンだ。その描写はパワフルであり、非常に印象深い」と評している。創世記の書き手は読者の関心をいやが上にも高める筆力を有した人間だというのだ。すなわち、「旧約の神」はアブラハムに対しても命令するだけではなく、アブラハムが置かれた立場を理解し、その願いに譲歩しようとしているわけだ。「旧約の神」は、イエスを通じて「神の愛」を伝えるやり方とは異なっているが、同じ「愛の神」であることが分かる(「『アブラハム家』3代の物語」2021年2月11日参考)。
アブラハムはハガルとの間で息子イシマエルを得る。イシマエルはアラブの先祖だ。神はサラにも1人の息子イサクを与える。神は正妻のサラから生まれたイサクを通じて神の計画を展開させる一方、ハガルとイシマエルに対しても「将来、大きな民族として栄えるだろう」と祝福している。神はイシマエルの未来にも心を砕いているわけだ。イシマエルから派生したアラブでイスラム教が生まれ、今日、世界に広がっている。
上記の話をまとめる。神は人間との議論を拒まない存在だという点、そして神は自身が創造した原則、原理を自分から放棄できないが、人間の反応次第ではその原則、原理を忘れて譲歩することがあるという2点だ。
世の中は議論で溢れている。「地球温暖化問題」から新型コロナウイルスの「ワクチン接種」まで、激しいプロ・コントラが展開している。それぞれが自身の主張、見解が正しいことを相手側に説得するために忙しく、相手がなぜそのように考えるのか、といった相手の主張への分析、配慮が時として欠ける。だから、激しい議論の後、苦い思いだけが残る、といった経験をする人は結構多いだろう。
アブラハムやモーセは神の問いかけに答えられない時(議論が止まった時)、沈黙している。すると神はその沈黙を彼らの答えと受けとり、その沈黙が意味するところを読み取ろうとする。必要ならば、神は自身の考え、原則を少し横に置き、その沈黙に対して譲歩する。このような議論があるだろうか。沈黙が議論の風向きを変えたのだ。
沈黙は単に言葉を発しない時を意味するのではなく、心情が言葉を圧倒している瞬間ではないか。神はアブラハム、モーセの沈黙に譲歩せざるを得なくなった理由もその辺にあったのではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。