エネルギー問題を消費の側から考える

松田 智

元静岡大学工学部化学バイオ工学科 松田 智

エネルギー問題を議論する際には、しばしば供給側から語られる場合が多い。脱炭素社会論でも、もっぱら再エネをどれだけ導入すればCO2が何%減らせるか、といった論調が多い。しかし、そのエネルギーが、どこでどれだけ使われているのか、つまり消費構造の分析は、それに劣らず重要である。それには、エネルギー統計にある「部門別最終エネルギー消費」が役に立つ。

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2019年の統計(速報値)では、日本のエネルギー消費の内訳として、産業部門62.7%、家庭部門14.0%、運輸部門23.3%となっており、我々の日常生活で消費されるエネルギーは、案外少ないことが分かる。つまり、冷房温度28℃設定・照明の節約等、家庭での省エネは、さほど効かない。

運輸部門の大きなものはもちろん旅客部門で13.7%、家庭部門に匹敵する値である。旅客の大きな部分は、むろん自動車であり、貨物部門の大半はトラック輸送が占めている。つまり、交通機関の省エネあるいは非化石燃料依存の効果は大きく、中でも長距離貨物輸送を鉄道主体にする意味は大きい(モーダルシフト)。

最近、空飛ぶ車の開発を官民で進める話が出ていたが、時代の流れに逆行する愚かな試みである。大型のドローンのようなものになると思うが、動力を使って空中に浮くためには、大きなエネルギーが要る(ドラえもんのタケコプター的なものは不可能)。省エネ的に浮くには、気球のように浮力を使う方式が良いが、必要な体積が大きすぎて実用性がないだろう。それに、無人の小型ドローンでさえ人口密集地での飛行は制限されているのに、人が乗るような大型機を飛ばせる所が、どこにあるというのだろうか?時代は、簡易で省エネ的な交通手段の開発をこそ求めているのである。

ついでに言えば、人間の宇宙旅行なども、無用の長物と言える。観測や探査目的なら、無人機で十分できる。人間が無理に無理を重ねて宇宙空間に出かける意味が分からない。「行ってきました、青い地球はキレイでした」なんて言うために、膨大なエネルギーと資源、労力・人員・予算をつぎ込む意味と必要性があるのか、良く考える方が良い。その前に、地上でやるべきことがたくさんあるはずだ。実は、宇宙開発の一番大きなモチベーションは、軍事目的である。商業目的では、まず採算が合わない。「宇宙へのロマン」とか何とかの美辞麗句の陰に「スターウォーズ」が隠されていることを、見逃してはならない。宇宙飛行士を英雄視してもて囃す時代は終わった。

さて、地上に戻って改めて見直すと、日本のエネルギー消費の6割以上は、産業部門が占めている。大きいのは製造業の43.9%で、その約半分が鉄鋼業である。そのため、脱炭素社会論者からは鉄鋼業は目の敵にされ、国外に出て行け!などと言われるのであるが、冗談ではない。鉄は、現代社会の基盤的素材の一つであり、自動車その他の機械類・土木建設・造船など多くの産業を支えている。鉄を海外から買ってくるようでは、日本の製造業の未来は暗い。それに、鉄鋼業を海外に追い出したとしても、CO2発生量自体は何も変わらない。これまた、CO2発生抑制しか見ていない。

「もう製造業の時代は終わった。これからは第三次産業主体で食べて行くのだ」と言った議論も、経済分野の人たちから聞かされる。実際、2019年度国民経済計算年次推計によれば、この年の日本のGDP中、産業が88.9%を占め、三次産業が73%、二次産業は26%、一次産業は1%しかない。

しかし、ちょっと待ってもらいたい。三次産業(商業)は、主に商品を流通させて儲けるわけだが、その商品を造っているのは、製造業(二次産業)である。労働力の安い途上国に工場を造って安く製造し、輸入して儲けると言うビジネスモデルは、化石燃料を使って安く大量に運べる時代には成立したが、これからは難しくなる。

日本の強みは、やはりモノ造りにある。付加価値の高い製品を生み出す製造技術は、物作りを手放してしまっては、維持できなくなる。いわゆる、産業の空洞化である。これだけは避けるべきである。脱炭素政策が、国内産業の空洞化を一層進めるとすれば、それは害のみ多く益少ない政策だろう。

経済的価値の源泉は何だろうか?人間が、何を売って生きているかを考えてみると、実質的な経済価値を持つものは、商品とサービスだろう。商品は素材(原材料)と付加価値からなり、主に一次産業が提供する素材・原材料を、二次産業が加工して商品に仕上げ、三次産業で流通させる。この過程で、最も経済的価値が上がるのは、二次産業の段階である。

例えば、鉄鉱石から鉄が作られ、これを基に各種機械や精密部品等が製造される。この間の製品単価の上昇率は非常に大きい。半導体なども同様である。つまり、経済的価値の源泉の一つは、加工業=製造業である。

もう一つはサービスで、これはIT情報関連や観光、運輸(流通・輸送)、教育・介護・医療・行政サービスなどを含む。飲食業などは、二次(加工)と三次(サービス)の両方を兼ねる(統計上は三次産業)。GDPと呼ばれる指標の、実体的な部分はこれらである。日本ではGDPの約6割が個人消費と言われているが、その中身は、これらの商品とサービスである。

上記を「実業」と呼ぶとすると、土地取引(不動産)・株や債券の売買・為替相場・各種保険などの金融系産業では、実質的な財やサービスではなく、主に貨幣(お金)のやり取りで損益が生まれている。筆者は、これらを「虚業」と呼ぶ。

現代経済の大きな問題の一つは、貨幣の流通量が大きくなりすぎ、虚業で儲ける人間が相当数いることだろう。実体経済と金融の乖離と言っても良いが、「お金がお金を産む」構造になっていて、富裕層はひとりでに大きな収入が得られる一方、貧しい労働者は非正規雇用のまま低賃金にあえぎ、いつまでも貧困から抜け出せない。企業の内部留保が増える一方なのに、日本の賃金が低い水準のままであると言う構図は、正に「搾取の構造」そのものではないのか?日本のマスコミは、そうした問題を正面から伝えない。経済学者や社会学者は、これらの問題についてなぜもっと真剣に発言しないのか?多くの貧しい人たちは、現状を正しく認識する手段すら奪われていて、物事の是非を正確に判断することが難しくなっていると筆者は思う(本稿を書く動機の一つがこれである)。

字数制限のため話が少し飛躍しているが、エネルギー消費構造の話から経済・労働にまで及んだわけで、何が言いたいかと言えば、人間が生きて行く上で一次・二次産業は不可欠であり、脱炭素や経済論なんぞの観点からこれらを切り捨てるなどもってのほかであるということである。特に、環境経済論者たちの議論には首をかしげたくなるものが多く、これらについては次回以降取り上げたい。

松田 智
2020年3月まで静岡大学工学部勤務、同月定年退官。専門は化学環境工学。主な研究分野は、応用微生物工学(生ゴミ処理など)、バイオマスなど再生可能エネルギー利用関連