党首討論など

石破 茂 です。

9日の党首討論は、内容も討論の技術も本来のディベートのありかたとは遠い残念なものだったというのが正直な感想です。自分のことを棚に上げて言えば、各党ともディベートの勉強を一からやった方がよいと思います。

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国民の代表として質問に立つ質問者は、今国民が何を知りたいと思っているかをまず考えなくてはならないのであって、滔滔と持論を展開すべきではありませんし、答弁者は討論の機会を自分の考えを国民に理解してもらう絶好の機会と捉えて、端的かつ分かりやすく述べるべきです。国会の質疑時間は質問者の時間でも答弁者の時間でもなく、すべて主権者である国民の時間なのです。

オリンピック開催の是非に関しては、私自身、以下のような疑問があり、これが明らかになれば、と期待していたのですが、触れられることがなかったので、当欄に記しておきます。

*オリンピックの主催者はあくまでIOC(国際オリンピック委員会)であり、東京都は「開催都市契約」の当事者として開催に関する義務を負うが、開催の可否について何らの決定権を有しない。また、総理が述べられたとおり、日本政府はいかなる法的意味においても当事者ではない。

これらを前提とすれば、「オリンピックを中止もしくは再延期すべきだ」との意見は、感情論はともかく、法的にはそもそも日本政府や東京都に言っても意味のないことではないのか。

*仮に東京都が、契約の履行(オリンピックの開催)が難しい旨を申し出て、IOCの判断により中止となった場合、損害賠償の対象となる金額、保険でカバーされうる範囲、はどのくらいなのか。それに伴い、東京都民の負担はどれくらいなのか。

一方で、開催する場合の、来日する選手・役員の安全の確保、行動確認と管理、報道やスポンサー企業関係者への対応、医師や看護師などの確保、日本国民の医療供給体制への配意、などは詳しく国民に伝え、理解を得るべく不断の努力を重ねるべきです。

当欄では何度も申し上げていることですが、私は新型コロナで明確になった日本の医療体制の機動性・弾力性の欠如という問題点を解決するために、緊急事態に際しては都道府県知事が民間医療機関に対しても命令権を行使できるよう、医療法を改正することが必要なのではないかと思っています。

そして、国民に自粛を要請する、という感染対策の持続可能性は非常に低いと思っています。特に、高齢者の過度のステイホームや酷暑下のマスク着用などはかえって免疫力を低下させ、重症化例を増加させてしまうのではないでしょうか。政策として、免疫力の強化という方向にも重きを置くべきではないでしょうか。

質疑が新型コロナ対応とオリンピック開催の是非に終始したことは時間的制約からやむを得なかったのでしょうが、米中対立と今後の日本の選択について誰一人触れなかったのはとても残念なことでした。

「冷戦時代の米ソ・東西対立と今の米中対立との相違」「日本の果たすべき役割とその変質」については、政治家それぞれが持つ国家観や世界観、歴史観の本質が端的に表れるものであり、政権を担う意欲を語る枝野代表からも、是非その見識を聞いてみたかったと残念な思いが致しました。

今国会会期末に野党が不信任を出せば衆議院解散か、との憶測もあります。私自身は、解散は内閣不信任案可決、信任案否決、予算案や重要法案が否決された場合など、限定的な場合に行うべきと考えておりますが、我々の野党時代には、「世論からどのように批判されようとも、不信任案を出して解散・総選挙に追い込むことが野党の使命である」と先輩議員から教わったものでした。

「このコロナ禍にあって国政の機能が停止してもいいのか」との批判も予想されますが、解散して総選挙になっても政府が無くなってしまうわけではなく、総理以下の政府の役職はそのまま機能します。「このような政府には任せられない」と本当に思うのであれば、堂々と不信任案を出し、解散されれば政権奪取を目指して戦う、その覚悟が無くて、どうして国民がその本気度を認識するのでしょうか。

7日月曜日は静岡県知事選挙に自民党推薦で立候補している岩井茂樹候補(前参議院議員、前国土交通副大臣)の応援で、富士宮市に行って参りました。この時期の街頭演説会の開催の是非については賛否がありますが、屋外開催、参加者全員のマスク着用、十分な社会的距離、などを徹底すれば、候補者の識見や人柄を直接知る機会があってよいものと考えます。

新幹線や高速道路、港湾や空港などの交通インフラが整備され、気候も温暖で県民所得も高い静岡県の人口減少数がなぜ日本で第5位であり、転出超過数が第4位なのか、「静岡の謎」と言われるこの問題や防災対策に真摯に向き合う岩井候補の思いが結実することを心より祈ります。

学生の方より、デモの意義についてのご質問を頂きました。

民主主義における主権者の意思表明の手法として、デモには大きな意義があります。個人的には、拡声器を使って大音量で一方的に主張を叫んだり、鉦や笛太鼓などの鳴り物で存在をアピールするよりも、多くの人が整然と行動し、静かに討論して主張を述べ合う方が、より迫力があって効果が大きいものと考えています。

幹事長在任中に「石破はデモはテロだと述べた」と報道されて大批判を浴びたことがありました。そのような意図は全くなかったにもかかわらず報道されてしまったことは、私の言葉が足らなかったものと反省しております。最近のデモは人数も頻度も減り、継続性も無くなったように思われますが、批判する側もそれだけ冷めてしまったということなのでしょうか。

都心では、梅雨は一体どうなってしまったのかと思うほどに暑い日が続きました。紫陽花の綺麗な季節ですが、やはり雨模様でなければ紫陽花の青さは際立たないものです。

荒井由実の「雨のステイション」(1975年)を聴いてみたくなる季節です。「雨の街を」(1973年)も名曲ですが、歌詞にコスモスが出てくるので、梅雨の歌ではありませんね。荒井(松任谷ではなく)由実を夢中で聴いていた頃からほぼ半世紀が経ったのだと思うと、去来する思いには複雑なものがあります。

皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。


編集部より:この記事は、衆議院議員の石破茂氏(鳥取1区、自由民主党)のオフィシャルブログ 2021年6月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は『石破茂オフィシャルブログ』をご覧ください。