敵は身内にあり
200兆円規模の経済対策法案であるアメリカ救済計画が採択されて、一時はFDR級の歴史に名を残す大統領への道を歩み始めたかに思えたバイデン大統領だが、最近は勢いが感じられない。
現在、民主党は辛うじてながら上院下院共に過半数を握っているものの、野党である共和党の議事妨害を中止できるだけの上院の3分の2の議席を持っていないため、大胆な環境規制につながる法律、一部の州で進む「投票抑圧」の動きに対抗する法案が採決できない。
しかし、予算に関係する話は別である。上院の単独過半数を握っている民主党は予算調整措置という裏技を使って、上院特有の制度である議事妨害を迂回することが可能となっている。2017年のトランプ大統領が主導した減税法案、また上記で述べたアメリカ救済法もこの裏技を使って採択されている。
しかし、バイデン大統領には、大規模な財政支出のために越えなければいけない壁がある。身内であるはずの二人の民主党上院議員、アリゾナ州選出のシネマ議員とウェストヴァージニア出身のマンチン議員である。互いに民主党に属しながらも、保守志向であり、まるで共和党のような投票行動をすることが特に民主党内部から非難されている。実際、シネマ氏とマンチン氏はアメリカ救済法案にかかわる議論の際、重要事項であった最低賃金の上昇に共和党と同調して反対し、また、議事妨害の制度を上院から無くし共和党の相対的な優位を削ぐことにも反対している。
このようにまるで共和党議員のように行動し、バイデン大統領の肝いりのインフラ法案の成立を阻んでいる二人に対して、バイデン氏は集会にて暗に批判しており、味方から抵抗勢力が出てくることへの不満を隠せずにいる。
小泉首相の再現ならず
マンチン、シネマの両氏を擁護するつもりではないが、彼らの行動には理由がある。彼らが選出されたアリゾナ州とウェストヴァージニア州は全体的に保守的な政治思想を持っている人が多く、最近の大統領選の動向を見ていくとほとんどの場合、それらの州では共和党が勝っている。そのため、二人は再選のために大規模な支出を要求する民主党リベラル派に容易に同調することはできない。
一方で、民主党はバイデン大統領が実現したい政策目標の阻害要因となっている二人を切り捨てられない事情もある。もし、共和党寄りの姿勢を取り続ける二人に対して厳しい処遇、極端な場合に所属委員会から除名までに及んだら、共和党に鞍替えする可能性がある。そういった事態に発展すれば、民主党が辛うじて優位を保っている状態が一転して共和党が上院での多数党となり、民主党は予算調整措置を使用することはおろか、政府高官の任命さえできなくなってしまう。そのため、バイデン大統領は郵政選挙の際の日本の小泉前首相のように自らのアジェンダに反対する勢力を抵抗勢力だと断罪して、切り捨てることはできないのである。
ここでバイデン大統領にひとつ提言をしたい。大規模支出を実現させ、FDR並みのレガシーを残したいのなら、抵抗勢力を懐柔する以外に方法がある。
それは「敵」の有効活用である。下記に詳細を述べるが、それが実際に有効であることは、トルーマン大統領の先例、先日議会を通過した米国イノベーション競争法案成立などが証左と言えよう。
敵の力で大規模財政支出へ
トルーマン大統領は広島、長崎への原爆の投下を指示し、共産主義の拡大から自由民主主義国を守ることがアメリカの使命だとするトルーマンドクトリンを宣言したことで有名である。また、彼は当時のアメリカの「敵」と見なされていたソ連の脅威を利用して、ギリシャ内戦に加担するイギリスへの支援を果たしている。当時、ギリシャ内戦にソ連が直接的に関与していることを示す証拠はなかった。また、米議会ではイギリスの勢力圏を守るためにアメリカが手助けをすることに懐疑的な議員が一定数いた。また、戦争が終わり喫緊の脅威が不在となったアメリカでは孤立主義を主張する議員の影響力も強まっていた。
「特別な関係」と表現されることが多い長年の同盟国を助けるために、トルーマン大統領は「ソ連の影響力の拡大を防ぎ、自由と民主主義が守ることこそが、イギリスが支えるトルコ、ギリシャの反共勢力を支援する大義名分だ」と議会の演説で主張した。それを起点に、米議会は雪崩を打ってイギリスの支援に回り、多額の財政支出が実現し、ソ連に対しての対抗姿勢を決定的なものとした。また余談だが、その演説をアメリカの一方的な挑発だとソ連が認識したことが、冷戦の本格的な始まりをもたらしたとする識者も存在する。
そして、現代に目を向けると、敵の有効活用が未だに効果的だということが分かる。米イノベーション競争法案は中国との競争のため、経済安全保障の観点から半導体などの分野の育成のために約20兆円規模の投資を政府主導で行うことを目的としたものだ。従来であれば政治的信条から財政支出を拒否する共和党からも賛同者が出てきて、分断が深刻化しているアメリカでは異例の超党派の法案となった。このことから、中国に対抗するという大義名分であれば、民主党が望む大規模支出を要する政策課題の解決、実現に一途の望みがあることが分かる。また、それと同時に中国という存在によって政治的分断を是正することができ、一石二鳥だという側面がある。
しかしながら、敵を作り上げ、国内の恐怖心を助長させること以外に、アメリカの分断を解決し民主党が掲げる目標が日の目を見る方法がなさそうな点は、やはり大いに問題があると思う。米国、中国共に過度にお互いを敵視することで、あらぬ方向に事態が進んでいかないように願うばかりだ。