オスカー・ワイルドは何と答えるか

東欧ハンガリーの国民議会(国会)で15日、未成年者に対して同性愛を助長し、挑発する情報宣伝活動を禁止する法改正が賛成多数で可決された。予想されたことだが、性的少数派(LGBTQI)やその支持者は「性少数派の権利を蹂躙し、表現の自由を抹殺、ひいては未成年者の権利を制限する」として抗議デモを行った。

義兄が描いた紙芝居「幸福な王子」の1枚

オルバン右派政権が性的少数派に対して厳しい姿勢であることは良く知られている。その政権が今回、法改正を通じて未成年者の同性愛を挑発する書物の発行や映画の上演時間制限、宣伝活動の停止などを決めたのだ。バイデン米政権を含む欧米諸国では既に批判の声が上がっている。欧州連合(EU)のウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員長は16日、ツイッターで「ハンガリーの法改正は非常に懸念されるものだ」と述べている。

オルバン政権は「未成年者の保護」と説明しているが、その主張は反対者の怒りの前に打ち消されている。多くのリベラルなメディアは、「オルバン政権は性的少数派の権利を厳しく取り締まるロシアのような国になろうとしている」といった論調で報じている。

当方はこのコラム欄でブタペストで中国の名門大学復旦大学姉妹校の開校には強く反対してきたが、LGBTQI問題ではオルバン政権の基本的立場を支持する。同性愛を含む性的少数派は人間の本来の性の在り方とは異なるからだ。また、今回の法改正が「表現の自由」を制限し、「未成年者の権利を損なう」とは考えない。ただし、未成年者の同性愛を助長する情報宣伝行為に対して法的に規制するやり方には少々懐疑的だ。法的規制で同性愛を含む性的少数派問題が解決されるとは思わないからだ。

政治は時として、主権者(国民)の意向に反した決定を下さなければならない。国民の顔色、風向きだけを見て、次期選挙のために国民が嫌う政策を実行できない政府はその存在価値を失う。何らかの決定を下さなけばならない時、国民にその理由を説明して、理解を求める。その後、議会を通じて政策を決定する。民主政治は通常、そのようなプロセスで進められる。オルバン政権がそのプロセスを経て今回の法的改正に踏み切ったとすれば、それはハンガリー国民が決めたことだから、外から、ああだ、こうだと批判はできない。

奇妙なことだが、現代は少数派が多数派より発言が取り上げられ、そのプレゼンスを至る所で発揮している時代だ。それを「自由」と「寛容」、そして「多様性」の3つの魔法の言葉が支えている。逆にいえば、多数派は少数派の主張に反対したり、批判することが難しくなってきた。これは一般の国民だけではなく、政治家にとっても同じことがいえる。“少数派謳歌時代”を引っ張っているのは同性愛を含む性的少数派の活動だ。オルバン政権への批判もその延長線にある。ただ、オルバン政権は批判を恐れず、性的少数派の問題に対してはっきりと反対を表明しているわけだ。その点は評価できるが、今回のように検閲を強化し、情報宣伝活動を規制した法改正を施行したとしても効果はあまり期待できないことだ。

当方はアイルランド出身の作家オスカー・ワイルド(1854~1900年)が好きだ。その小説『ドリアン・グレイの肖像』や童話『幸福な王子』に心惹かれる。ワイルドは多く名言を残しているので、当方もこのコラム欄で度々引用させてもらっている。ワイルドは同性愛者として刑罰を受け、刑務所生活を送った作家だ。ワイルドの家族は迫害から逃れるために名前を変え、ひっそりと生きて行かなければならなかった。ワイルドが同性愛者だったからだ。家族も社会から様々な迫害を受けた。英国の数学者で人工知能の父といわれるアラン・チューリング(1912~54年)も同性愛者だった。彼は強制的にホルモン注射を受けさせられた。最後は自殺している。

ワイルドやチューリングが生きていた時代、同性愛者への弾圧は非人道的であり、過酷だった。それではハンガリー政府の未成年者の同性愛を助長する言動の制限に関する法改正が第2、第3のワイルドを生み出す危険性があるか、といえば、その可能性はほぼないだろう。

繰返すが、オルバン政権は、同性愛を含む性的少数派の問題について、機会がある度に国民と真摯に議論を重ねることが大切だ。同性愛が良くないとすれば、なぜ良くないのかを堂々と議論すべきだ。もちろん、性的少数派も同じように、自身の考えを自由に述べ、社会の偏見打破に取り組むべきだ。

人は幸せを求めている。その点、異性間の婚姻も同性婚も同じだ。同時に、私たちは次世代に対して責任を担っている。自分たちだけの幸せではなく、生まれてくる次の世代に対して責任と義務を担った歴史的な存在だ。そして、その歴史を閉ざすことは出来ないのだ。

生まれた時から与えられた性に対して違和感を抱く人が実際にいる。独週刊誌シュピーゲルには性転換した人々の話が掲載されていた。彼らにとって性転換は避けて通れないのかもしれない。しかし、性転換が幸せをもたらすかどうかは本人も分からないのだ。

オスカー・ワイルドに一度、21世紀の性的少数派の生き方をどのように受け取るかを聞いてみたい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。