沖縄戦に隠される慶應義塾大学日吉キャンパスの空襲被害

慶応と沖縄戦 激戦地への命令は1500km離れた豪華なキャンパスから…なぜ?

億単位の閲覧者がいるyahoo記事でかつて連合艦隊司令部が慶応義塾大学日吉キャンパスに設置され、そこから過酷な沖縄戦が指揮されていた事実、そしてなによりも「過酷な現場」と「安全な指揮所」のギャップが強調・批判的に書かれている。

現在の慶応大学日吉キャンパス 慶応大学HPより

記事タイトルの「豪華なキャンパス」という表現は明らかに揶揄だし文中には「日吉における戦争とかけ離れた生活」という表現すらある。

執筆者は日吉キャンパスにいた旧海軍幹部を批判したいのだろうが、この記事を読むとまるで日吉は戦争とは無縁な地域だったような印象すら受ける。

もちろんそうではない。日吉は空襲被害を受けている。いわゆる「川崎大空襲」による被害である。

<コラム>引き裂かれた日吉村、次に来たのは大迷惑な日本海軍とアメリカ軍

また、慶應義塾大学のホームページによると空襲によって日吉キャンパス内の慶応義塾大学工学部各種校舎は大損害を受けたようだ。連合艦隊司令部も決して安全だったわけではない。

地図情報で昔の日吉地区を見る限り空襲当時、この地域は都会ではないと推測される。都会ではない地域に空襲があったのである。異様という他ない。

yahoo記事では日吉の犠牲者が無視されている。

沖縄戦の過酷さを強調するために本土の犠牲者を無視することに何の意味があるのだろうか。

思うに近年の沖縄戦研究の高まりは「米軍史観」「大日本帝国史観」によって犠牲者、特に住民の犠牲者が過小評価されていることへの反発があるからではないだろうか。

犠牲者の過小評価を改めるために活発化した沖縄戦研究が本土の犠牲者を無視してどうするのだろうか。

yahoo記事を見る限り沖縄戦研究は結局のところ「米軍史観」「大日本帝国史観」と同じく特定の立場・主張に基づく史料操作が行われていると誤解されても仕方あるまい。

そしてその誤解はいずれ偏見となり、沖縄戦研究のみならず沖縄戦自体への偏見を生み「米軍史観」「大日本帝国史観」を蘇らせるのである。

継承されるのは記憶ではなく記録 

今回のyahoo記事で注目したいのは執筆者が沖縄生まれなのは良いとして1982年生まれ、即ち沖縄戦も米軍占領時代も経験していないということである。

沖縄生まれで戦争も占領も経験していない世代が本土の犠牲者に関心が向かわないのもある意味、当然のような気がする。

最近、戦争を巡って「記憶の継承」の必要性が唱えられるがどうだろうか。

当たり前だが記憶の継承はできない。記憶は当人にしか残らない。記憶は継承できるものではない。後世の人間が継承するのは記憶ではなく記録である。言葉遊びに聞こえるかもしれないが記憶と記録の違いを意識することは重要である。なぜなら記録とは基本的に他人が編集したものだからだ。記録は他人が編集した以上、一定の主観を含んでいる。完全な意味の客観性はない。だから我々は完全な意味で歴史を知ることはできないのである。そんなものに振り回されるのはあまりにも不毛ではないか。

沖縄戦、あるいは沖縄と本土の関係を考えるうえ求められるのは歴史に振り回されないことである。歴史に振り回されずあくまで未来志向で語るべきである。