現代のアートを理解することは教養人の必須科目

八幡 和郎

私の新刊『365日でわかる日本史 時代・地域・文化、三つの視点で「読む年表」』(清談社)について、昨日は、「平成・令和の名建築」と「日本史に残る刀剣10選」の部分を紹介したが、本日は、現代のアートをということで、『美術100選」から昭和以降の部分、『映画100選』から1990年代以降のものを、『ポピュラー音楽100撰』から1990年代を提供しよう。

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私の歴史の本は、常に現実に起こっていることまで書いてある。過去の話も現代と結びつけないと興味本位になる。また、現代も歴史的な視野から見るべきだというのが私の信念だからである。

日本美術史⑦ 昭和・平成・令和

世界に通用するアーティストたちも登場

大正期に入ると、雑誌『白樺』で的な西洋美術や文学の新潮流が紹介され、フォーヴィスムやキュビズムなど前衛画風が好まれ、一方では、日本的な美の探求も拠り盛んになった。また、昭和の戦争では、戦意高揚のため、多くの画家が戦争画を描いた。戦争協力として嫌われるが、芸術としては優れたものが多い。

『白樺』創刊号 Wikipediaより

日本画では、土田麦僊(『舞妓林泉』)、速水御舟(『炎舞』)、福田平八郎(『』)、上村松園(『序の舞』)、河鍋暁斎、富岡鉄斎、川合玉堂、浅井忠、小林古径、竹久夢二、前田青邨、安田靫彦、伊東深水など。 

洋画では、青木繁:『海の幸』、安井曾太郎、梅原龍三郎:『紫禁城』藤田嗣治:『カフェにて』、岸田劉生(『坂道』)、佐伯祐三:『テラスの広告』関根正二、小磯良平、須田国太郎、山下清、奥村土牛、小倉遊亀、版画では「釈迦十大弟子」などの棟方志功らが代表的な画家である。

また、陶芸・工芸では富本憲吉、河井寛次郎、浜田庄司などが現れたが、これは別項目で紹介する。

前田青邨は大和絵を学びイタリア中世絵画のセンスも取り入れ「洞窟の頼朝」などで日本画に新境地を開いた。入江波光らとの「法隆寺金堂壁画模写」は、それ自体が芸術作品だ。その弟子に「砂漠を行くキャラバン」などシルクロードを題材とした絵で人気を博し中国との文化交流にも貢献した平山郁夫がある。東山魁夷はドイツに留学した変わり種で、日本的とも無国籍的ともとれる風景を「道」などで精神性高く表現した。

戦前には大原美術館などで限定的にしか西洋の本物の絵に触れられなかったが、戦後は外来の美術展が盛んに開かれた。「マティス展」はその最初の成功例だが、小倉遊亀などはそれに強く刺激されたものだろう。女流画家としては片岡球子の力強さは日本画の世界で斬新なものだった。また、戦後の最大の人気画伯は岡本太郎で大阪万博の「太陽の塔」はひとつの時代のシンボルだ。

最近では画家というような枠にとらわれない、ポップな芸術が主流だが、そのなかで、世界的にも高い評価を確立しているとなると、以下の四人であろうか。

村上隆は琳派、浮世絵、アニメなどからインスピレーションをとって日本美術のある意味での集大成的な芸術をポップアーティスト、映画監督等として展開する。ベルサイユ宮殿での展示、「五百羅漢図」などでも話題となった。

かつて「前衛の女王」といわれた草間彌生は、幻覚・幻聴を絵にしたといい、香川県直島にある「かぼちゃ」など水玉模様の空間などよく知られている。奈良美智は、アクリル絵の具などによる人物画で知られる「Knife Behind Back」で知られ、写真家の杉本博司は「海景」など大判カメラを使って地平線などを表現する。

このほか、現存の人気作家としては、会田誠、千住博などがいる。   

彫刻では、佐藤忠良、透明なガラスビーズを立体物の全面に貼り付けた作品で有名名和晃平、舟越桂などが人気作家だ。  

日本映画100 ⑤ ~21世紀になって洋画より邦画のほうが復調

1990年代はシネマコンプレックスが増えて、映画の上映機会は増えた。製作委員会方式によるリスク分散の手法により、映画製作の幅が拡がったが、確実な収益を上げることに拘る傾向も出てきた。

明るい話題としては、国際映画祭の受賞が増えたことで、北野武が「HANA-BI」はヴェネツィア国際映画祭で40年ぶりの金獅子賞を獲得し、世界的に大監督として認められている。今村昌平の「うなぎ」がカンヌ映画祭のグランプリ、河瀬直美の「萌の朱雀」がカメラ・ドールなどもあった。

宮崎駿は「ルパン三世 カリオストロの城 」を手始めに、「もののけ姫」「 千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」など世界的なヒット作を連発している。ほかに、 中原俊「櫻の園」、崔洋一「月はどっちに出ている」、周防正行「Shall we ダンス?」、深作欣二「バトルロワイヤル」など。

21世紀に入ってからは、洋画の不振もあるが、邦画の成績が相対的に良い傾向がある。地方自治体が観光政策も兼ねてロケを誘致する「フィルムコミッション」が各地にできて映画界にとっては追い風になっている。

主な映画祭では、カンヌでは是枝裕和「万引き家族」がグランプリ、審査員特別グランプリに河瀬直美「殯の森」、ベルリン映画祭では「千と千尋の神隠し」がグランプリに選ばれている。

ほかに、黒沢清「回路」、青山真治「EUREKA ユリイカ」、山田洋次「たそがれ清兵衛」「誰も知らない」(是枝裕和)、井筒和幸「パッチギ!、石井克人「茶の味」、山崎貴「ALWAYS 三丁目の夕日」、「パプリカ」(今敏)若松孝二「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」、滝田洋二郎 、西川美和「ゆれる」、中島哲也「告白」、塚本晋也[KOTOKO」、山崎 「永遠の0、細田守「おおかみこどもの雨と雪」、草野なつ「この世界の片隅に」、庵野秀明・樋口真嗣「シンゴジラ」、新海誠「君の名は」、窪塚俊介「花筐/HANAGATAMI

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日本のポピュラー音楽史⑦ 2000年代~音楽シーンの混迷&変革期?

2000年代以降は女性アーティストの活躍が顕著になっていった。特に1998年デビュー組の宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみは、2000年代を代表し、2020年の現在まで活躍を続けるトップ・アーティストへと昇り詰めた。

宇多田ヒカルさん 公式Twitterより

1998年をピークにCDセールスが下降を始める中、宇多田ヒカル1998MISIA1999)、倉木麻衣1999)らがデビュー、J―RBブームが巻き起こる。女性ソロVo中心だったが、男性RBグループ、EXILEが現れ、そこから派生した複数のグループも大躍進、HIRO率いるLDHグループがエイベックス・グループの牽引役となった。

ところが、2000年代に入って、インターネットの普及で無料音楽データ交換や違法データ・ダウンロード(ナップスターなど)が横行、CDセールスは減少した。CCCD(コピーコントロールCD)などで対応したが効果は薄かったが、音楽のデジタル・データ化とレコード会社の再編化が進んだ。またレコード会社よりもアミューズ、ジャニーズ、LDHなどマネージメント会社、アーティスト主導の動きにシフトした。

21世紀初頭の10数年間は、ジャニーズ系では、バラエティーまでこなせるアイドルのSMAP、嵐が大活躍、秋元康がプロデュースしたAKB48がブレイク、こちらも大所帯の女性アイドルが様々な形態で分化増殖し、一大アイドルブームを作り、2000年代はソロよりグループ、集団のビジュアル戦略が主流となった。

CDの売り上げ減少のなかで急成長したのがライブだ。世界各地でロックフェスやライブツアーが巨大化し、日本でも ROCK IN JAPANフェスを中心に、サマーソニック、フジロックと三大ロック・フェスティバルが定着化、10万人規模の集客力を誇った。

この20年間は、音楽の制作環境でもコンピュータによるDTM(デスク・トップ・ミュージック)が普及、音楽をデジタル・データ化し、コンピュータで管理する時代が到来、世界中どこでも、編成も関係なくあらゆる音楽を創造できる環境が整えられた。

また、2000年代前半に登場したインターネット環境、及びFacebook2005)、Twitter2006)らSNSの登場による音楽シーンへの影響は大きく、音楽シーンのグローバル化を促進、瞬時にして世界中の音楽がダイレクトに共有出来る時代が到来した。

極め付けは、2007Apple社が発表したiPhone。この登場と、iTunesの開発により、音楽はレコードやCDといったエジソンの発明から約100年間続いたフィジカル(=物)の時代から解放されることなった。

音楽と映像が密接な関係を築いたのも21世紀の音楽シーンの特徴。ビデオがDVDに移行、ついでBlue-rayが登場し、さらに、2005年映像をインターネット上で展開する動画投稿&共有サービスYouTubeが登場し動画アーカイヴの世界を一変させた。2015年頃より定着した音楽のサブスクリプション(定額配信)サービス(Apple MusicSpotifyAWAなど)は、音楽シーンのビジネス・スタイルの変化を象徴している。