セカンドキャリア、第二の人生ともいえるこの言葉は珍しいわけではないのですが、現代社会で一層輝きを増したのではないでしょうか?セカンドだけではなく、サードでもフォースでもあってよいと思う自分のキャリア、そして人生の選択について考えてみましょう。
使い古した話ですが、日本で80年代ぐらいまでは一般的にはセカンドキャリアは当てはまりませんでした。スポーツ選手などキャリア生命が短い人が引退後になにをやるか、というぐらいで使われていたと記憶しています。その頃はまだ終身雇用制度が普通で、転職と言えば30歳過ぎぐらいまで、とささやかれたのが私の時代でした。その後、転職可能年齢がどんどん伸び、40代過ぎぐらいまで可能になったのですが、当然、そこには第三者に売り込める能力や知能、技量がなくては厳しかったと思います。
かつて私が勤めていたゼネコンが倒産し、社員は離れ離れになります。ステップアップした人、ほぼ同等の給与を確保した人、やや下がるけれど自分の道を選べた人はまだ良い方です。外に出られなかった社員は再生法に基づき、支援企業の下、その会社に残ったわけですが、それまでとは雲泥の差の雇用条件を受け入れざるを得ない多くの社員には厳しすぎる内容でした。
社内営業に長けていた人達や要領だけでうまくやってきた人達には厳しい再雇用の世界でした。私たちのような海外組はステップアップ組が多く、名の知れた会社の社長になった者もいます。キャリアとは自分を売るという意味で自分を商品と見立てた場合、どんな特徴があり、いくらで売れるのか、これがキーなのです。見栄えは包装紙と同じで専門性や実務能力、探求心やメンタルの強さが問われます。
さてセカンドキャリアは今の時代、誰でも当てはまる話です。しかし、それにはファーストキャリアで何を残したか、これが重要です。日本において初めての就職先で3年以内で退職したケースはキャリアになりません。それは私がいうのではなく、人事評価の一般的判断基準です。組織内の自分にストレスをかけた際にどうなるか、これが重要なのです。技量や知識、経験よりメンタルのストレステストといった方がよいでしょう。これに耐えられない場合、よほどの専門性があるならまだしも一般には厳しいと思います。
そしてできればファーストキャリアでなにか到達点まで達して人生の原風景を作ってほしいのです。
百田尚樹さんが言っていたのですが、働くのは20歳前後から60歳過ぎまでの40数年。これは人生の半分で短すぎると指摘します。大体人生の2/3は働けよ、と。とすれば計算しやすく人生90年として60年働かねばならないのです。20歳からならば80歳まで。長いと思うけれど、もうそういう時代なのです。
例えば社長なり経営者なりを75歳で引退しても次の日から「毎日が日曜日」には普通ならず、相談役とか顧問として前線の人達と接点を持ち続けることもアリだと思うのです。働くことは別にフルタイムで働くことだけが仕事ではありません。それにオンラインが普及すれば足腰の痛みを耐えながら会社まで行く必要すらない、そんな働き方ができるのです。オンラインの業務は高齢者の社会進出には絶好のツールなのです。
とすれば社会環境やIT環境が働きやすい土壌を提供してくれているのですから60年をどう働くか配分するわけですが、私は25年、25年、10年という枠組みはアリだと思っています。つまり70歳になったらサードキャリアであと10年頑張るのです。知り合いに趣味が高じて蕎麦打ちをしている年配の方がいるのですが、彼の店は週末の土日しかやらないのです。でも立派な現役ですよね。これぞサードキャリアの好例だと思います。
最後に、セカンド、サードとキャリアを積むにはどうしたらよいか、ですが、私は探求心旺盛に、それから物事の視点を様々な角度から見てみよう、と申し上げています。見る角度によって全く違う景色となり、自分の判断は何だったのだろうと驚かされることもあります。そして最後は予見する能力だと思います。どんな仕事が求められるのか、自分の能力は来るべく社会においてどう生かせるのか、こう考えるのは重要でしょう。
サラリーマンをすると年齢と共に実務をしなくなるケースが見受けられます。これは将来、何も自分でできず周りに誰もいない司令官となりやすいです。これには気をつけるべきかと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年6月27日の記事より転載させていただきました。