コロナ感染についての雑感

アゴラに先月18日、「ステイホームという名の自宅流刑:人間らしさを取戻せ」と題された記事があり、筆者の潮匡人さんは次のように主張されていました――そもそも、私達の人生は「不要不急」で成り立っている。それがなければ、ただの生存であり、人生とは呼べない。「緊急事態宣言」や「まん延防止等重点措置」は、私達の生活から〝人間らしさ〞を奪った。(中略)ハムレットなら、こう叫ぶに違いない。「寝て食うだけ、生涯それしか仕事がないとなったら、人間とは一体なんだ? 畜生とどこが違う」(シェイクスピア著・新潮文庫)

『新約聖書』に「人はパンのみにて生くる者に非ず」とあるように、筆者の上記見解は私にも十分理解出来ます。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が繰り返される中で、我々は長期に亘り継続的に様々な制約を受けてきました。その中で、精神というか人間にとって非常に大事な要素が虐げられてしまう、といった部分があったと思います。

そうして多くの人に制約を課してきた長期間、取り分け東京都など後に事態の改善に繋がるという意味でどれだけのプラスを齎したと言えるのでしょうか。小池都知事は自己宣伝に余念無く我々の血税を浪費してTVに頻繫に出て支持率上昇に繋げたようですが、此の間医療キャパシティ等々の大幅な改善なしに一体何をしていたのかと思うのです。総じて都知事はやるべきをやらず我々に辛抱を強いるだけで、対応・対策は不十分極まりなかったと言わざるを得ない有様です。

最初の緊急事態宣言発出ひと月程前の昨年3月9日、私は当ブログで下記のように指摘しましたが、近い将来予見し得る医療逼迫を回避すべく何ゆえ早くからそこに全力投球し続けなかったのでしょうか。此の問題は言うまでもなく東京都のみならず、厚生労働省あるいは専門家と称される数多の人達も糾弾されるべき事柄です。

――現下のコロナウイルスに対する作業を見ていますと、全く現状把握が出来ていないというような感じがしてなりません。(中略)日本の場合「指定感染症」扱いにしたものですから、PCR検査をし、コロナウイルスの保菌者だと分かれば、法律上入院・隔離というのが定まっています。従って専門家と言われている人達は今日まで、それを出来るだけさせないようにしてきたのだと私は理解しています。何故なら、医療現場がキャパオーバーでパンクしてしまうからです。そもそもが、指定感染症に決めたこと自体が間違いだと思っていました。

今日に至るまでの一連の過程を見るにつけ、私は前・現総理の責任というよりも医務技監や尾身先生を始めとする専門家と呼ばれる人達の責任が大きいと捉えています。クラスター対策ばかりを言い続け全面的なPCR検査を一刻も早く実施すべきタイミングでそれが抜けていたわけですから、政府に提言する専門家として一体何をしていたのかと思います。

また、何ゆえワクチン接種が他の先進諸国に比して日本でこれだけ遅れたかということですが、その主因は厚労省が適用する薬事承認等のルールに起因するのではないでしょうか。現行のルールは今回のようなパンデミック下では余りにも厳格過ぎだと思います。イスラエルや英国の如く早期にワクチン接種体制が築かれていたならば、病床等の逼迫感というのも随分違っていたのではないでしょうか。

非常時にも迅速に対応出来るように、現行法制度にメスを入れなければ、誰が総理になっても十分な対応は困難だと思います。菅総理は後手に回ったとの批判を受けながら、法制度を変更すべく頑迷固陋な専門家や役人と戦ってこられていると思います。これ以上人間らしさが失われること無きように、兎にも角にも法律や制度を早急に見直し、非常事態時にはそれに迅速に適用出来るような柔軟な体制が望まれます。


編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2021年7月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。