「制裁」について考えている。中国武漢発の新型コロナウイルスの世界的大感染、それに伴いロックダウン(都市封鎖)などのコロナ規制、そしてワクチン接種と過去2年間余りの一連の動向を振り返ると、そこには常に何らかの「制裁」がちらついてくるからだ。パンデミック対策として国は国民が好まないさまざまな対応、規則を実施せざるを得ない。緊急事態宣言の発令もその一つだろう。
そしてコロナ規制を遵守しないと、罰金が科せられ、時には「制裁」を受ける。当方が「制裁」について改めて考え出したのには契機があった。オーストリアのマーティン・コッハー労働相が先日、コロナ禍で急増した失業者がここにきて減少してきた、という朗報を記者会見で語っていた。同相は、「観光業界などで労働者を求める声が広がってきた。コロナ禍で職場を失った労働者が業界のオファーに積極的に応じていくならば、失業者の数はさらに減少するだろう」という。問題はその後の発言だ。「職場のオファーがあるのにもかかわらず、それに応じなく、失業手当手を長期間受けている労働者には何らかの制裁が必要となるだろう」と語り、失業者手当の削減などを示唆したのだ。
労働相の発言は正論だが、別の観点からいえば、労働者に対して、「何でもいいから早く職に就け。さもなければ失業手当をカットするぞ」といった脅迫にも受け取られる。労働者には職場の選択権がある。自分に合った職場、賃金水準を探す。自分の適性に合わない職場で労働条件が悪いオファーを受け入れることは出来ない。だから、失業状況が続く長期失業者も結構多い。
もう一つは読者から貴重なコメントを頂いた。そのコメントの一部を紹介する。
「ウィーンの歌劇場で働いている音楽家です。実はオーケストラの労働組合から電話があって、国立歌劇場、ブルグ劇場、フォルクスオパー(国民歌劇場)に9月1日より新たに入団する人は全てワクチン接種をしなければ契約を与えられないと決定したと言ってきました。つまり若い新入団員、そして客員やエキストラにもワクチン接種の義務が生じるということです。立場の弱い入団試験合格者に、安定した就職と未知のワクチン接種を天秤にかけさせるなんてあまりにも非人道的だと思いませんか?」
音楽家のコメントは理解できる。ワクチン接種と雇用保証をリンクさせていることは非人道的だというわけだ。「――しなければ、――になる」という論理だ。ワクチンの接種を医学的観点から拒否する人がいる。彼らにとって生命に関わる問題だ。職場確保のために生命の危険を冒すことは出来ない。多分、どの国の社会でも20%前後の国民はそのように考え、ワクチン接種を拒否している。そこまではいいが、「ワクチン接種をしない人は雇わない」と言われれば、苦しい。「ワクチン接種」と「職場の保証」のリンクだ。労働者にとっては立派な「制裁」となる。
ワクチン接種は決して本人の感染予防対策だけではなく、社会全体の感染防止でもあるから、個々の是非論ではなく、国民の義務だという主張も聞かれる。雇用者側にとってコロナ感染者が出れば、営業閉鎖に追い込まれる事態が出てくるから、社員にはぜひワクチンを接種するように、それを拒否するなら雇わないという理屈が出てくるわけだ。
上記の2例について、当方は悩む。国の失業政策や雇用者側の主張は理解できる一方、労働者、国民の状況も無視できないからだ。失業労働者は労働斡旋所(職安)に頼らず、自分の適性に合った職場を探す努力をしていくべきかもしれない。音楽家の場合、楽団側の立場は理解できる。演奏家に感染者が出れば、コンサートはキャンセルせざるを得なくなる。ワクチン接種の医学的理解を深める努力が一層大切かもしれない。それでもワクチンは絶対に受けないと考える人の場合、他の選択肢がなくなる。
「制裁」といえば、政治、外交の世界でよく使用される言葉だ。そして「制裁」の最大の被害者は多くは国民であって、政治執行者側ではない。イランの女性ジャーナリストが当方に語っていたことを思い出す。「自分はイランに戻る時はトルコ航空を利用する。イラン国営航空の飛行機がよく墜落するからだ。なぜなら、制裁の故に飛行機の部品購入が出来ないからだ」という。彼女はウィーンからトルコ航空を利用してアンカラ経由でテヘランに戻るわけだ。
欧米諸国は対ロシア、対イラン、対北朝鮮などに経済制裁を実施して政策の変更を要求している。その制裁の効果は無視できない。為政者が強がりをいっても国民経済は制裁下で苦しむからだ。
コロナ禍で世界の多くの国民はさまざまな困窮下で生きている。国はコロナ対策を進めるために国民にワクチン接種を求める。そして国民経済の復興のために労働者には職場復帰を求める。それらの要求に応じない場合、なんらかの「制裁」が待っている。声を大にして「制裁だ」とはいわないが、現実は「制裁」であるケースが少なくない。
世界経済や政治に余裕がある時はいいが、コロナ禍で世界経済に余裕がない時、国も国民も一定の譲歩がどうしても必要となってくる。権利だけを声高く主張しても解決できないからだ。願われる点は、国がコロナ禍に悩む国民(コロナブルー)にこれまで以上に配慮を示すことだろう。ところで、人道的な「制裁」は有り得るだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。