みなさん、ご存知でしたか?実は私たちの脳は特殊な進化をしていて、ご先祖となった動物たちの「心」の一部は今も私たちの中で生きています。
特にご先祖が類人猿だった時代に獲得したとされる脳はかなり強力に働いています。私は脳と心の秘密についてわかりやすくお伝えするために、この脳をサルの脳と呼んでいます。
もちろん、ご先祖の心は必要があって今でも生きているのですが、人類になってから進化したヒトの脳はこれまで獲得してきたご先祖の心を抑制する機能を実装しています。人類の脳の進化とは、ある意味では動物時代に獲得した動物脳を如何に飼いならし、如何にコントロールできるか…という進化とも言えるようです。
話題のSGDsの脳から見た真実
昨今話題になっている持続可能な共生社会の創造…いわゆるSGDsも、脳と心の科学の視点から見るとこの進化の延長線上にあります。SDGsとは動物脳の短期的で身勝手な欲求を如何に抑えて、ヒトの脳に基づいた合理的で相互尊重に溢れた生き方を作り出すか…というテーマなのです。
しかし、サルの脳はかなり強力なようで、今の私たちを苦しめる不和や諍い、場合によっては抗争や戦争の原因の一つにもなっています。また、私たちの身の回りには未だに類人猿時代の脳に囚われた行動がごく当たり前に見られるのも事実です。
このことを実感させるスポーツ界のある出来事から、人類の次の進化に向けて考えてみましょう。
悪口か?差別か?
突然ですが、質問です。
「醜い顔ばかりだ」
「どんな後進国の言葉なんだ」
あなたは、この発言、どう思いますか?
「醜い顔」とまで言うと、親しい間柄であってもジョークとは受け取りにくいですね。酷い悪口のように聞こえます。
さらに「後進国」という言い方から差別的な発言のように受け取れそうですね。悪口か差別かは意見が分かれるかもしれませんが、いずれにしても、酷くバカにした態度である印象が強いですよね。
特に差別的な印象には、レイシズムを善しとしない現代的な価値観では聞くに耐えない気持ちになることでしょう。おそらく自分自身に向けて使われたとしたら、ほとんどの人が不快になることでしょう。
これは謝罪と言えるのか?
さらにこのような発言を批判された時に…
「プライベートな発言だ」
「(私たちは)どこでも同じような言葉を使う」
「世界中どこでも起こっていることだ」
「自分のイメージを貶めようとしている人がいる」
という言葉を重ねられたら、どうでしょうか?とても自分本位な印象の言葉ですよね。
これらの言葉を言い換えると、
「公言したものじゃないし」
「普段から言ってることだし」
「(自分だけじゃなくて)世界中でみんなもいつも言ってるし」
と発言は何の問題もないと言っているように聞こえます。誰も傷つけていないと開き直っているようです。また、世界中で…という表現は、「俺が悪者なら、世界中みんな悪者だろ!」と、多くの人を巻き込んで自己弁護しているだけにしか見えません。
日本では小学生に多い印象ですが、悪いことをした時に「みんなもやってるから」という言い訳がよく聞かれます。教育者に「“みんな”って誰?」と問われると数名は上がりますが、結局はたしなめられる事が多いです。このような言い訳に近い印象ですね。
そして、「自分のイメージを…」という発言はどう思いますか?人は気づかないうちに敵を作ることもあるので、実際にそういう悪意を持った人物がいたからこの動画が流出したのでしょう。ある意味で真実を語っているのかもしれません。
ですが、謝罪するはずの場でこのように発言すると謝意がかき消されてしまいます。「被害者は自分だ!」「自分に同情してくれ!」と主張している印象しか残りません。
こんな言葉が添えられていると、仮に「お詫びする」という言葉があっても、全く反省しているように見えないのは私だけではないでしょう。
いつ、どこで、誰が言ったんだ?
実は上記の発言、サッカースペイン1部、リーガ・エスパニョーラに所属する世界的なスーパーチーム、FCバルセロナに所属するA.グリーズマンとO.デンベレの2選手の間で交わされた会話でした。二人はフランス代表でもあり、名実ともに世界的なスター選手です。
会話の一部の抜粋で、さらに翻訳なので日本語訳とフランス語でニュアンスが完全に同じかは微妙なところもありますが、報道や本人らのコメント(謝罪?)によると概ね近いニュアンスだったようです。日本人やアジア人へ差別的な言動をしたと取られてもしかたがないでしょう。
この発言の動画は2019年に撮影されたとみられていますが、2021年6月に広く流出し、大騒ぎになっています。動画は来日ツアーの際にホテルでくつろいでいる場面です。ホテルスタッフにテレビゲームを部屋に備え付けのモニターに繋ぐ作業を頼んでいたようで、ホテルスタッフに向けられた発言と見られています。
騒ぎになって、二人が「謝罪」としてSNSにアップしたものの一部が、上記の言い訳(?)です。フランス在住の雨宮塔子氏によると、フランスの文化では「始めに謝ったら負け」という感覚があるようです。このような謝罪のスタイルもフランスの文化というべきなのかもしれません。
ですが、その雨宮氏も「重く捉えてほしい。責任を取るべき。」というスタンスのようです。フランスの人気youtuberも「全世界に対する差別」と非難する発信をしていますし、世論もそう傾いているように感じられます。
この2選手の差別発言について7月7日、所属チームであるFCバルセロナが声明を出しました。要約すると…
・発言でみなさまが不快になったことを遺憾に思い、謝罪する
・二人の発言はFCバルセロナの価値観とは一致しない
・クラブとして教育を徹底するので、FCバルセロナには差別は入り込まない
というものでした。クラブとしての精一杯の声明だったことと思われます。しかし、2人を教育・監督する立場としては、受け止め方が軽い印象を否めません。2人への言及が軽いですし、2人の言い訳には言及なしです。立場によっては2人の言い訳を公認しているようにも見えてしまうことでしょう。
2人の脳内を考えてみるとサルの脳が…
世界的なスター選手のビデオ流出問題はまだまだ決着する気配がありませんが、ここで2人の発言当時の脳内を考えてみましょう。
実はサルの脳は「可能な限り優位に立ちたい」と私たちに求めます。類人猿だった時代には、そのほうが生き残りやすく、子孫も残しやすいからです。だから私たちは優位に立つことを動物的な本能として求め、また自分が優位にあると感じると脳は快楽物質も出します。
優位に立つ最も安易な手段は、誰かを卑下することです。つまり、2選手は日本人ホテルスタッフを卑下することで、圧倒的な優越感に浸っていたことでしょう。まさに、心がサルの脳に支配されている状態です。
ボールを扱うテクノロジーだけでなく、心を扱うテクノロジーを
実はこれは2人だけに起こり得ることではなく、誰もが同じ脳の仕組みを備えています。脳からこの仕組を排除することは、現代のテクノロジーでは不可能です。その意味では彼らの言い訳のように「世界中どこでも」は、残念ながらある意味で真実です。
ただ、「私たちはサルの脳を備えているから差別で優越感に浸るのは正しいのだ」と容認してしまっていいのでしょうか。この容認が広がると民族の迫害やヘイト、また今もウイグルで起こっているような悲劇につながります。絶対に容認してはいけません。
大事なことは、私たちが差別を好む脳を持っていることを前提に、差別を嫌う脳を育てることです。ヒトの脳は目の前にある何かだけでなく、時空を超越した想像力や計画性を備え、サルの脳の働きをコントロールする力もあります。
ヒトの脳が「差別でいい気分になれるかもしれないが、差別は嫌うべきである」と心をデザインすると決めれば、サルの脳の支配を解除できます。ヒトの脳はこのような心を扱うテクノロジーをすでに備えているのです。私は人類の次の進化は、このような心を扱うテクノロジーの進化にあると思います。
2人の差別発言や言い訳は、彼らがサルの脳に支配されたままであることを感じさせます。これを許すような前例が世界に発信されてしまうと、私は次の民族迫害につながってしまうのではないかと心配します。足でボールを扱うテクノロジーに長けた彼らですが、心を扱うテクノロジーを発揮して、「やはり差別は嫌うべきである」と世界に示してくれたらと願いします。そして、尊敬される偉大なアスリートとして、人類の次の進化を導いてくれれば更に嬉しいです。
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杉山崇(脳心理科学者・神奈川大学教授)
大人の杉山ゼミナール、オンラインサロン「心理マネジメントLab:幸せになれる心の使い方」ではメンバーを募集中です。心理学でもっと幸せになりたい方、誰かを幸せにしたい方、心理に関わるお仕事をなさる方(公認心理師、キャリアコンサルタント、医師、など)が集って、脳と心、そしてより良い生き方について語り合っています。