麻生太郎先生のモラルハザード論

麻生太郎先生の発言は、表現が直截的にすぎて、乱暴な印象を与えるせいか、政治的には物議を醸しやすいわけだが、経済的な側面から内容を検討する限り、理に適っている場合が多い。

例えば、少し古いが、2018年10月、麻生先生は、「78歳で病院の世話になったことはほとんどない」としたうえで、「自分で飲み倒して、運動も全然しないで、糖尿病も全然無視して、何とかかんとかになったという人の医療費は健康に努力している俺が払っている経費かと思ったら、あほらしゅうてやってられんと言った、ある我々の先輩がいたので、いいこと言うなと思って聞いていましたよ」と発言したのである。

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この先輩は、健康に努力している人が病気になったとき、その医療費を負担することについてまで、「あほらしゅうてやってられん」と考えていたはずはないから、賛意を表した麻生先生の発言には、何らの咎められるべき点もないのである。

さて、保険とは、個人の管理下にない危険、個人の努力によっては制御し得ない危険、個人の次元においては予測し得ない危険について、十分に大きな被保険者集団を形成することによって、統計的な制御と管理のもとで、確率的に予測し得るものにする仕組みである。逆に、個人の管理下にある危険を保険の対象とすることには、いわゆるモラルハザードを引き起こす懸念がある。

麻生先生の先輩は、健康に努力しない人は、そのことで疾病率を上昇させ、健康保険の保険料を引き上げる方向に寄与して、逆に、健康に努力し、疾病率を低下させ、保険料を引き下げる方向に寄与している自分からすれば、不公平に感じられると主張しているのであって、要は、モラルハザードの存在を指摘しているのである。

つまり、健康に努力することで、どこまで病気の危険を制御できるか、これが論点なのである。実は、麻生先生は、予防医療の推進にも言及し、「誠に望ましいと思いますよ」と述べている。また、現状の健康産業の隆盛を全て詐欺的な商法と認定しない限り、健康管理の科学的な効果を否定できないのである。

要は、麻生先生は、病気の危険には、予防医療的な努力によって制御できる部分と、制御できない部分があって、後者については、保険の一般理論が適用になるにしても、前者については、モラルハザードを発生させない制度的工夫が必要であるといっているわけだ。まさに正論である。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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