インテリジェンスと高級ホテルの奇妙な関係:諜報戦の前線基地なのか?(原田 大靖)

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グローバル・インテリジェンス・ユニット チーフ・アナリスト 原田 大靖

去る6月30日、東京・千代田区にある「ホテルグランドパレス」が49年間の歴史に幕を下ろした。同ホテルは、1972年2月に丸の内にある「パレスホテル」の姉妹ホテルとして開業し、プロ野球のドラフト会議や大相撲優勝力士の祝賀パーティなども開かれたことでも有名だが(参考)、最も印象深いのは1973年に起こった「金大中事件」の舞台であったという点である。

これは当時、韓国民主化運動の指導者でのちに大統領となる金大中氏が、22階のスイートルーム2212号での会談を終え、廊下を出たところを韓国中央情報部(KCIA)の襲撃を受け、拉致されたという事件である。

2021年6月30日で営業を終了したホテルグランドパレス 出典:公式サイト

金大中事件に限らず、ホテルがインテリジェンス戦争の最前線となることは国内外を問わず多々ある。戦前においては、二・二六事件の舞台としても有名な「山王ホテル」は、ソ連のスパイであるリヒャルト・ゾルゲの拠点であったし、南麻布にある在日米軍施設「ニュー山王ホテル」は今でも米系インテリジェンスの活動拠点であることは想像に難くない(参考)。

海外ではさらに露骨に諜報戦が展開されている。かつて英ロンドンの高級ホテル「セントアーミンズホテル」は、英秘密情報部(MI6)により“safehouse”(隠れ家)とされ、バーでは各国のスパイが情報を交換し、イアン・フレミング(MI6の諜報員であり、『007』の原作者)らもよく目撃されていたという(参考)。もっとも同ホテルにおける諜報活動の時代は過ぎ去り、今ではスパイ時代のアイテムが展示されたりしているとのことだが、その真相はclassifiedである。

かつてMI6のsafehouseとして使われた「セントアーミンズホテル」 出典:Smithsonian MAGAZINE

このように一見華やかな側面があれば、当然影の部分もある。例えば2006年、ロシアの元情報将校アレクサンドル・リトビネンコ氏が、ロンドンのメイフェアにある「ミレニアムホテル」でお茶に放射性物質ポロニウム210を入れられ毒殺されている(参考)。2008年、北京五輪の際には、米共和党のサム・ブラウンバック上院議員が、中国公安当局はいくつかの国際的なホテルチェーンにインターネット監視装置を取り付けている、との見方を示し話題となった(参考)。

ホテル業界は、今次パンデミックにより最も打撃を受けているセクターの一つだが、世界の高級ホテルの市場規模は、健全な成長率で拡大すると予測されている。主要プレーヤーには、「マリオット」、「ヒルトン」、「ハイアット」、「フォーシーズンズ」などが含まれており、これらグローバルトップ4で全体の約25%のシェアを占めている。地域別では米国が最大の市場でありシェアは約30%、中国、ヨーロッパがそれに続く。

そうした中、我が国はその経済的なポテンシャルに対して、高級ホテルの数が少なすぎるといわれている。Five Star Alliance(参考)という「5つ星ホテル」の情報サイトによると、東京の「5つ星ホテル」は32件しかヒットしない(日本全国でも54件)。これに対して、例えばニューヨークは122件、ロンドンは116件、パリで87件もヒットする。

しかしこれは裏を返せば、我が国の高級ホテル市場における潜在的可能性の高さを示していることにもなる。現に東証REIT指数では、「ホテル型」の上昇も目立つ展開が見られている(参考)。上昇の要因としては、ヴァケーションとしてのみならず、ビジネス、テレワークでの需要が高まっている点が挙げられている。上述のように、高級ホテルは諜報戦の舞台ともなってきたが、他方で現在は、とくに我々一介の市民にとっては何ら臆せず安心して利用できる場所である故である。

麻生副総理が2008年の総理大臣時代に「バー通い」を批判され話題となったが、これについて麻生総理(当時)は「(たくさんの人と会う時は)ホテルのバーは安全で安いところだと思っている」と述べているように(参考)、高級ホテルの安全性は時の総理大臣のお墨付きである。アフターコロナ経済が本格始動した暁には、高級ホテルのバーでジェームズ・ボンドのごとくマティーニを飲みながら、かつて東京やロンドンで展開された諜報戦に思いを馳せるのもいいかもしれない。

原田 大靖
株式会社 原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
東京理科大学大学院総合科学技術経営研究科(知的財産戦略専攻)修了。(公財)日本国際フォーラムにて専任研究員として勤務。(学法)川村学園川村中学校・高等学校にて教鞭もとる。2021年4月より現職。