第一回アテネからリオ五輪までのオリンピックの歴史①

『365日でわかる日本史時代・地域・文化、三つの視点で「読む年表」』(清談社)とその姉妹編の『365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」 』のなかから、近代五輪の歴史についての部分を抜粋で2回に分けて紹介する。

クリックするとAmazonリンクにとびます

なお、『365日でわかる世界史』のほうは、五輪に参加する各国の紹介本として、いちばん内容が濃く、コスパが良い本だと思う。ぜひ、書店などでご覧頂きたい。

近代オリンピック(夏期)は、1896年に第一回大会がアテネで開かれた。2020年の東京大会は第27回であるが、1916年の第6回、1940年の第12回、1944年の第13回は世界大戦のために中止されているので、実質的には第24回ということになる。2024年はパリ、28年はロスアンジェルスでの開催が既に決まっている。近代オリンピックは、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱で始まった。

第1回:アテネ(ギリシャ、1896年):大会参加者は男子のみ。マラソンは、ギリシャのスピリドン・ルイスが優勝した。この大会のために作曲された「オリンピック賛歌」は東京大会で復活した。

第2回:パリ(フランス、1900年)ギリシャは恒久開催を主張したが持ち回りに。ただし、万国博覧会の付属行事として行われ、鳩を標的にした射撃、凧揚げ、魚釣りなども。

第3回:セントルイス(アメリカ、1904年)も万国博覧会の付属行事だった。マラソンで途中、自動車に乗った「キセルマラソン」事件が知られる。

第4回:ロンドン(イギリス、1908年)。マラソンでイタリア選手ドランド・ピエトリは競技場のゴール直前で倒れて役員の助けでゴールしたが失格とされた。

第5回:ストックホルム(スウェーデン、1912年)日本から短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三が初参加した。マラソンでポルトガルのフランシスコ・ラザロが倒れて翌日に死亡した。

第6回:(1916年)ベルリン大会が予定されていたが第一次世界大戦で中止された。

第7回:アントワープ(ベルギー、1920年)。テニスの熊谷一弥がシングルスと柏尾誠一郎と組んだダブルスで銀メダルを獲得した。フィンランドのパーヴォ・ヌルミは陸上の1500m走をはじめ二種目で金メダルを獲得。

第8回:パリ(フランス、1924年)ワイズミュラーが100m自由形、400m自由形、自由形リレーで金メダル、水球で銅メダル。映画でターザン役として活躍した。

第9回:アムステルダム(オランダ、1928年)陸上競技と体操で女子選手の参加が認められる。織田幹雄が三段跳び、鶴田義行が平泳ぎで金メダルを獲得。初めて聖火が使用された。

第10回:ロサンジェルス(米国、1932年)男子競泳で日本が400メートル自由形をのぞく5種目で金メダル。馬術のグランプリ障害飛越競技で西竹一中佐が愛馬のウラヌス号とともに勝利し、『バロン・ニシ』は大スターとして扱われた。

第11回:ベルリン(ドイツ、1936年)「聖火リレー」が実施された。アメリカの黒人であるオーエンスが、短距離と走り幅跳びで4冠を達成した。女子平泳ぎで前畑秀子が、ドイツのゲネンゲルの追い込みを押さえ制覇。ラジオ中継での河西三省アナウンサーの「前畑頑張れ」の連呼の実況が話題となった。

第12回:皇紀2600年に合わせて東京での開催が予定されていたが、戦争の激化のために辞退せざるを得なくなった。 代替のヘルシンキ開催がが予定されたが、これも取りやめとなった。

第13回:(1940年) ロンドンでの開催が予定されたが中止された。

第14回:ロンドン(イギリス、1948年年)ロンドン五輪では日本とドイツの参加は認められなかった。ランダ女子のブランカース=クンが100m、200m、80m障害、400mリレーの四種目で金メダルを取った。

第15回:ヘルシンキ(フィンランド、1952年)日本の参加も認められた。人間機関車と言われたチェコスロバキアのザトペックが、5000メートル、10000メートル、マラソンで金メダルを獲得した。ソ連がオリンピック初参加した。  レスリングの石井庄八が唯一金メダルを獲得している。

第16回:メルボルン(オーストラリア、1956年)南半球であるために11月から12月にかけての開催となった。ハンガリー動乱の直後なので水球のハンガリー・ソ連戦は流血の騒ぎになった。体操競技での活躍が目立ち、鉄棒で小野喬選手は、1960年のローマ大会も含めて二大会連続で金メダルを獲得した。

第17回:ローマ(イタリア、1960年)マラソンで裸足で走ったエチオピアのアベベ選手が優勝した。ボクシングのライト・ヘビー級では、アメリカのキャシアス・クレイが優勝した。のちのモハメッド・アリである。日本は体操での男子団体、小野喬の鉄棒での二連覇など四個の金メダルに留まった。

第18回:東京(日本、1964年)柔道無差別級ではオランダのヘーシンクが優勝した。体操の個人総合ではチェコスロバキアのチャフラフスカが金メダルを取った。大松監督に率いられた日本の女子バレーの優勝も大きな話題となった。

(後半に続く)