バンクーバーには数多くの日系の団体が存在します。趣味の団体からビジネス団体、政府に登録している団体から仲間内の同好会、100人以上集めている団体から数人のグループまで様々です。日本にも〇〇会と称して定期的に集まっているグループは多いと思いますが、海外では現地でマイナーな存在の中、日本人が何らかの形で結びつこうという意志は日本国内より働きやすいのかと思います。
ただ、その団体運営が最近は厳しくなっています。つまり活動の低迷であります。私もビジネス系10団体を取りまとめる協議会の議長をしておりますのでより詳細な状況把握と分析をしているところであります。先日も10団体にアンケート調査をしたところ、会員の高齢化や会員数の不足などを理由に将来的な不安を抱えている団体が多いことが分かっています。
日本に目を向ければ一昔前は組合活動だ、集会だ、デモといったものから大企業の運動会から部内の歓送迎会や飲み会など一体感を醸成するような活動は多かったのですが、今ではだいぶ減りました。つまり、日本でも海外でもベクトルは同じでその度合いが海外の方がより強く出るということでしょうか?
「群れる世代」とは現在の年齢でいう70歳前後から上の方だろうと思います。当然、前述のような集まることが人生の中で当たり前のように存在していたことで何かあれば「おい、ちょっとみんな集まろうや」になります。それこそ、車座になって議論したり、飲み会だかミーティングだかわからないような会合もあったりしますが、結論は「せっかく集まったし、やる気の確認もできたから」で推し進める浪花節型の合議が多かったように思えます。
そこには必ずしも賛同しない方がいてもNOと言えない雰囲気があるのです。ましてや女性陣の食事会となれば「〇〇さんも、いいわよね!?」という押しつけ型がまかり通り、夜、ご主人に「だって、NOなんて言える雰囲気じゃなかったよのよ」と愚痴るのが関の山。
ところが先日、ある女性と駄話をしていたところ、40-50代は群れない世代だ、と明白に指摘するのです。なるほど、確かにその年層で知っている人達を頭に思い浮かべると誰も群れていないのです。その彼女曰く、「群れるのが嫌だからバンクーバーに住んでいる世代よ」と。日本でいう個の時代、ミーイズムの影響を最も受けた世代ということになります。
バンクーバーに30年もいると「バンクーバーにいる日本人は変わっている」と嫌というほど耳にするのです。何と比べて変わっているのか、その定義が不明瞭なのですが、要は集団生活、団体行動ができるかどうかを指しているようであり、それができない人は変人扱いなのです。ところが、北米はそもそも個人主義の国で個々の尊厳を重視するエリアです。その考え方に影響を受けたがゆえに北米で長く居住できるという見方もあるのです。
とすれば群れるのが好きな一定以上の年齢の方が「現地に同化できない変わっている人」と言えなくもないのです。視点を裏返せばそうなるのですが、それは極論にしても海外における日本人社会は世代間ギャップがあまりにも強く出始めており、まとまりを欠く点では確実なトレンドだと言い切ってよいとみています。
ではもっと若い世代、デジタルネーティブや先日話題にした25-30歳より若いジェネレーションZ世代はどうかと言えばSNSによる部分的共有観でお互いが深い付き合いをしようとは考えていません。例えばこんな音楽が好きとか、この店のこの料理にはまるとか、この漫画オタク集まれ、といった感じです。その人の他の部分には全く興味なしだし、深掘りもしません。
40代あたりは同じSNS世代でもオフ会なんていう集まりを通じて「やっぱり、リアルで会うのもいいよね」があるのですが、20代になるとそもそも「なんで会わなくてはいけないの?」という発想だと思います。
では他国もそうなのか、といえば傾向としては同じだと思います。ただ、日本を含む東アジア圏のバラバラ感はかなり強いと思います。
群れるのが好きな人たちを焼き鳥のような串刺し型だとすれば年層が下がれば下がるほど大皿盛り合わせ型になるのでしょうか?いやいや、団体運営も楽ではなくなった、というのが正直な実感です。しかし、こんな視点でモノを見る人も少なくなり、こんな意見を述べてもどうにかなるわけでもなし、という一抹の寂しさはあります。以上、半群れ世代のつぶやきでした。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年7月18日の記事より転載させていただきました。