陰と陽、二つのオリンピックが映し出すもの

いよいよオリンピックが始まります。これほどゴタゴタだらけになるとは誰も予想できなかったでしょう。森喜朗氏がその発言で辞任し、バッハ会長は反対派の渦中にあります。開催都市東京の知事は裏で画策を図ります。政権がオリンピックまでにどうにか抑えたかったコロナも感染者だけを見れば見事に増え、緊急事態宣言を再度出します。酒の提供を抑制しようとした西村大臣は「飛んで火にいる夏の虫」状態ですが、誰が後ろにいたのか、なぜ、自らがその責任をかぶっているのでしょうか?

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更にこんな直前になり開会式の楽曲の一部を担当した小山田圭吾氏が過去の行動について激しい批判を浴び、組織委員会は氏を守り切れなくなり辞任、氏の楽曲は使用しないこととなりました。

なぜ、これほどまでにうまくいかないのでしょうか?まるで祟られているのではないかとすら勘ぐってしまいたくなります。

日経ビジネスは「コロナ五輪という賭け」という特集を組み、その中に「1964年と2021年、2つの五輪が映す時代 幸せになった私たち」という記事を入れています。記事そのもののトーンは私は同調できない部分もあるのですが、64年と今回の大会を日本の社会経済的背景という観点から見ると確かに考えさせられる点が多いのも事実です。

64年の大会には日本が戦後復興を遂げるだけではなく、新幹線や道路、競技場、公園などオリンピックを通じて経済成長の加速を見事に具現化した大成功例でありました。国民が大車輪となり、この国家的事業にベクトルがぶれることなくやり切りました。これはその後の大阪万博の大成功にもつながります。

五輪が二つの顔を持つようになったのは巨額の放映権など利権が絡むビジネスと化したからでそれまでの経済復興を念頭に置く開催地選定から先進国開催が少しずつ増えた変化もあるでしょう。その方がマネーという点では大きなインパクトあるからです。オリンピック開催で尋常ではない予算を浪費するようになり新興国での開催そのものが困難になってきたという点ではIOCが自分で自分の首を絞めたともいえるのです。またオリンピックでのメダル獲得には近代的トレーニングが欠かせなくなり、先進国有利が顕著となり、新興国のメダル獲得がより遠くなっている「格差」も話題にならない事実です。

では日本にオリンピックを今回、誘致する必要はあったのか、といえば「そもそもIOCにとって都合の良い開催地は絞り込まれていた」ということではないかと思います。日本は政治的にも社会的にも安定しているので手を上げてくれればこれほどうまい具合になる国はなかったということです。

くだんの日経ビジネスの記事に内閣府の「国民生活に関する世論調査」で心の豊かさにどれぐらい重きを置くかについての質問で調査初回の1972年は37.3%だったものが2019年は62.0%だとし、日本がモノ消費からより内面的な満足感を求めるように変わってきたと指摘しています。

この調査、私はやや不思議に思えたのでデータそのものを見たのですが、20代や30代と60代を比べると「心の豊かさに重きを置きたい」という答えは概ね20%ポイントも差があるのです。普通に仕事し、普通に給与を貰い、普通に暮らし、何も波風が起きないことを「心の幸せ」とするならそれを謳歌していると思う人もいるでしょう。しかし、若い方に何の波風も起きない人生など普通はないのです。時代の流れで必ず、何かにぶつかり、その時に耐えるチカラがないとその平穏な日々すら送れなくなります。その点からすれば心が豊かな時代とはまだまだ言えないと思います。

リタイア層はいいでしょう。あと20年とか30年といったカウントダウンの中で子育ても終わり、孫も出来、仕事社会からは一線を引き、ゆったりと人生を楽しむわけです。しかし、社会のバトンは確実に後世に引き継がれます。今、現役で社会の中を駆け抜ける人たちはへとへとです。

なぜ、今回のオリンピックを巡り、社会を二分するほどの賛否となってしまったのでしょうか?もちろん、コロナが1年半も続き、まだ先が見通せない中、その現役世代には負担が大きすぎました。働き方は変わり、規制の中でもがきました。未体験ゾーンの中、ポジティブシンキングにしようといっても無理だったのでしょう。

バッハ会長がこの大会を歴史的なものにしたかったのなら、日本が64年大会の時と同じようにベクトルが一つとなり、前に向いて大跳躍するような空気が必要でした。しかし今回は大スポンサーのトヨタ自動車ですら開会式には出ない、五輪用CMも打たないのです。完全に自重ムード。まるで喪に服すような感じです。テレビ越しに見る五輪は感覚的に「どっか違う国でやっている大会」となるのかもしれません。

五輪と言えばテレビが売れるものですが、それも芳しくないそうです。そもそもテレビは一家に何台もある時代です。それにテレビにくぎ付けになるほど暇でもないし、テレビそのものを観る癖がないのです。スマホの画面で結果をみて解説を読んで見た気になります。

64年の五輪は確かに陽だったと思います。が、21年のそれは陰になる気がしてなりません。57年間の間に両極を体験することになった東京五輪が残す社会的影響は思った以上に深く、厳しいものになるかもしれません。我々には五輪後に本当の意味での心の復興が必要かもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年7月20日の記事より転載させていただきました。